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不良になれなかった自分へ

元井です。
これは昨日の記事に関しての補足です。

自立するためにはグレてしまえ、反抗しろ、と書いた、そういう自分自身はどうだったかという話。

今の自分は、過去の自分とは全く遠い人間になってしまった。その過去の自分、若いころの、自分に向けてちょっと文章を書いてみようと思う。

反抗期をやるやつはバカだ、なんでそんな無駄なことをするんだとうそぶいていた愚かな自分に。

そして今の自分は、そんな優等生からすると想像もできない場所にいる。想像もできないようなことをやっていて、意味不明な動きをして、変なものを愛している。当時、夢見ていた大人の自分の姿からは逸脱してしまった。



生い立ち

男四人兄弟に両親という、六人家族の長男。上から下まで十歳のひらきがある。そういう家族の中にいて「グレる」という選択肢はなかった。


この「選択肢はなかった」という言い方すら、もうなんか鼻につく。小賢しい。

ただ単に気が弱かったんだと思う。優しく育ったと言えば更に聞こえがいいが、ただただ内気だった。

10歳の長男である自分が、0歳の赤ん坊の末弟を見れば、優しく優しく接して自分も穏やかに育っていく…とは限らないんだよな。ここでも自分を誤魔化した書き方をしている。

結局楽な道を選んでいったんだと思う。何も考えずに済む道。考えるのをやめていた。深く考えてなかった。逃げていた。


記憶は、体験したことを人に話すことで、自分の脳内に定着するらしい。

自分は、小学校時代の記憶がほとんどない。中学校も、高校も。なんなら大学も、今に至るまでの記憶も乏しい。断片的で、殆ど覚えていない。

体験を話す相手がいなかった。話そうと思いもしなかった。耳を貸してくれる相手もいなかった。語り合う友人もいなかった。

そんな自分の記憶を探りながら書いている。


小学校の時、まわりにまだ不良という存在はなく、あるのはただのいじめっ子だった。それか乱暴者だ。やんちゃな子といってもいい。

自分の知らない裏で何かあったらしいのは知っていたけど、よくはわからなかった。

いじめもあったらしいけれど、それもよくわかっていなかった。

いじめられていた人に普通に話しかけていた、と大人になってから聞いた。実感に薄い。なんにも知らなかったんだから、なんにも考えていなかったから、やっていた。話しかけた相手のことも、いまやよく覚えていない。

今そのいじめられている人にそれと知って声をかけられるか、と言われると、ちょっとわからない。

ただ、高学年のとき、なんとなくハブられていた同級生の男の子がいて、服とか何やら汚いとかそういう理由だったと思う。そいう人間をはぶくという空気に逆らって話しかけていた、というのは今書いていて思い出した。

小さく反抗していた。

しかしそれも「いい子」「優等生」でいないといけないという気持ちに支配されていたよなと思う。

当時、優等生、長男、ちゃんとやっていないと親に愛されない、相手にされないという気持ちに完全に飲まれていた。自分のことはわかってる。家で兄を演じるに疲れ果ててゲームや本に逃げていたことも、知ってる。やったのは反抗じゃなく逃避だった。

学校ではまだその優等生的な動きを多少はやっていた。それをしていれば居場所がある、役割があるから、そこにいていいと思えるだけだったと思う。

外の世界に、逃げ方を教えてくれる人はいなかった。


思春期

お利口さんのまま中学校に進学した。書いててうんざりしてきた。


中学校は優等生っぽさに加えてひょうきん者のポジションで動いていた。人を笑わせておけば気まずくならないぞ、と思った。

ここらへんは太宰治の人間失格なんかにも、それをやった主人公が書いてあった。うんざりする。特に思い出はない。

中学校になると確かに明らかに不良っぽい人達が増えた。ただ別に言うほど荒れた学校でも無かったし、縁も無かった。

空気が読めなかったんだと思う、ただ普通にいい人をやって人を笑わせていたのでそういう人らから目をつけられることもなかった。運動部だったし、身体も大きい方だったので。

いいやつでいる、優等生でいる、人を笑わせる

その3点で全部誤魔化してきたように思う。他人が何を考えているかも全然わからなかった。その時から他人がみんな自分より大人なんじゃないか、自分よりも先に行っているんじゃないかという不安や怖れがあった。

プライベートで、学校の外で友人と遊ぶということは一切なかった。

高校に入ると、進学校だった事もあって優等生というカードもなくなり、普通の人に。笑わせるというのも全くできなくなって、話す相手もいないのでいい人もクソもないただのコミュ障になった。

知ってる人たちだったからできた、友人(らしきもの)がまわりにいたからできた、ということが一切できなくなった。

完全に、完全にもうこの時点で自分は幼かったと思う。少なくとも、人生での私的領域や、社会関係においては未発達も甚だしい。

その「学校」という枠組みの中でさえ、依存心が強く、自立せず、他人との関係性が作れていない自分が、学校の外で何が出来たのか。

非モテうんぬん、片思いがうんぬんと言っても、全くそれ以前の状態だった。

部活に入っていたのでその中の人たちとは話ができた。卒業後、関係は切れた。不愉快な奴が多かった。俺も不愉快な人間だと映ったか、見下されていたとも思う。

反抗をして、逆らって、自立ということは程遠い。何もかも分からなくなって、不快な奴らに迎合した自分に嫌気が差して、ただ嫌なやつになっていった。



モラトリアムの終わり


大学には、本当に大して何か意気込みがあるわけじゃなかった。就職したくなかった。

理系科目が無理だったので文系かな、という消去法だし、母親に文学部よりつぶしがきくとそそのかされて法学部に入った。ひと月経つ前に後悔した。未だに後悔してる。法律なんて少しも学びたくなかった。結局学ばず卒業した。

本当に好きなこと、勉強したいことを学びたかった。学べば良かった。後悔先に立たず。

本当に、どれもこれも主体性がない。


自分が無い、主体性がないので他人とも向き合えない、関係が作れない。高校と同じことの繰り返し。部活に入る。話す相手がいないので。


そのまま卒業する。特に語ることは無い。ずっと部活をやってた。人に向き合ったことで少しはましになった。やっと反抗期を大学4年の頃に迎えた。大したものじゃないし、全然不完全で、何より自分の中の依存心が消えなかった。

高校も大学も「部活で活躍すればなんとかなる」という思い込みにすがり、支配され、従順でいた。奴隷だったと言っていいと思う。


その奴隷のまま社会に出る。ここで誤算があった。

ひとに言いにくいヤクザな会社に入った。少なくとも大声では言えない。親にも親戚にも言えない仕事。

そこに入った。そこしか入れなかった。希望した業界だけど斜め下の方。


反抗

この会社に入る、というのがもう反抗でしかなかった。反社会的。

親は自分に公務員になってほしかったらしい。だから法学部と言ってたのかもしれない。実際自分の大学から公務員になるやつは本当に多かった。

真逆の方向に進んだ。あと公務員になんかはミリもなりたくなかった。


そして、労働環境的には完全にブラックだった。

でも奴隷根性の自分にはちょうどよかった。

どう過ごしていいかわからないプライベートを全部潰してくれるぐらいの業務を与えてくれて、都合が良かったんだと思う。

毎月最低1週間の泊まり込み。
配属されるまでの2ヶ月間は猶予があった。
三ヶ月目にいきなり20日間会社に泊まり込んだ。そういうものだと疑問に思わなかった。
(実は次の年度の大手の会社に願書を出していて、筆記も通って2次面接を控えていた。けど会社をサボるのが怖くて辞退してしまっていた)

そこから8年半。

最初に入った会社に忠誠を誓う、という状態でいた。で、辞めた。忠誠心と労働に対してこの会社から正当な評価は返ってこないと絶望してやめた。

多分これが、本当の意味で初めてのグレた行動だったと思う。反抗期。遅すぎる。


現在

そこから更に8年半程たった。

ああいう、後ろ向きな理由での転職は良くない。転職先は新卒の時に憧れた誰にでも言える後ろ暗くない会社。
しかし、前の会社に自分がいなくなったことを後悔させてやる!みたいな気持ちが強すぎて、何もかもが空回りしてダメだった。

仕事は前職のようにうまくはいかず双極性障害に。しかしそのお陰で結婚した。

結婚に至るまでの、何をして良いのかわからないと思ったプライベートでの、様々な冒険が自分を自立させたと思ってる。まだ本当の自立なのか?と聞かれたらわからない。

ただ、まあ好きに色々やってる。
誰の指示でも、何かの縛りもなく、好きなことを好きなように。

仕事はまだ苦戦しているし病気も治ってないけれど、意味のわからないことや無駄なことに楽しみを見出して楽しく過ごしている。

オフ会を定期的に開催して知らない人と会いまくってる。酒のんで騒いでる。
トークイベントをやる。
人を占ってる。占いイベントもやってる。
よくわからない人のイベントに行って適当に騒ぐ。

この4年間で数百人とネットを通して会った。

何をやってるのか良くわからない変なおじさんになれた。



不良になれなかった自分へ

自分では賢いと思っていた、けど友達がおらず人が苦手だった、考えているようでほとんど何も考えていなかったあの頃の自分は、今の自分を見てどう思うだろう。

友達の作り方も、知らない人との会話も、全部普通にやれるようになったぞ。

合う人と合わない人がいるから、合わない人と親しくなれなくてもあまり気にしなくていいぞ。

他人の言うことを真に受けてした後悔は本当にキツいから、他人の言葉に耳を傾けても最後は自分でしっかり、本当にしっかり自分の責任で考えるんだよ。

未経験のものを恐れないで、失敗も怖くない。本当に怖いのは挑戦しないという失敗をし続けて、何も学べないことだよ。

そして、自分の選択は全て自分の責任においてやるんだよ。

自分の判断で、偉そうな他人や、指図してくる他人に逆らう不良になれなかった自分へ。

それでも自分の欲しかったものから目を背けなかったことだけは偉いぞ。反対方向に全力で走ってたけど、無知で考えが足らなくてもその不器用さが愛おしい。

あきらめないでくれ。周りを見渡せば味方はいるぞ。ちょっと視界が狭くなってるだけだから。もう少し周りの人と素直におしゃべりできたら良かったね。まあでも、いつになっても遅くないから大丈夫だよ。身体、大事にしなね。

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