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仕事が原因で適応障害になった話・その2

 仕事をしていた頃の平日の睡眠時間は大体5時間程であったが、辞める年は3時間寝られるかな?といった具合であった。
 目覚ましのアラームで起床、タイマー予約で洗濯された衣類を干し、洗面・着替えを済ませ、朝食と水筒を用意して出勤する朝のルーチン。
 異変を感じたのは洗濯物を干している時であった。
 心臓が止まった感じがして息ができない。「このままだと〇ぬ」と感じた瞬間だった。
 「今日も主担任に何か言われるのかな」という思考が常にあり、「体調の問題でできない・難しいと断りを入れても理解が得られず」一言えば百返ってくる。
 気が休まる暇が一刻もなかった。
 朝夕の通勤時に涙が止まらないようになった。朝礼の時にポロポロ涙がこぼれた日は、もうこのまま働くことはできないと思った。

 校長室に行った。空き時間を増やしてもらえるように頼み、それが難しければ職を辞したいという旨を伝えた。
 涙ながらに訴える私に「今日はお休みする?」と心配そうに訊ねられたが、「私が休んだら生徒や他の先生に迷惑がかかる。今日は頑張れます。」と断った。

 ある日の空き時間に職員室で頭痛に耐えながらパソコンで作業をしていると、ベテラン先生から「忙しい?」と聞かれた。「忙しくはないんですけど!……ずっと頭が痛くて……」痛みでイライラしていたのもあってトゲトゲしく返してしまった…申し訳なく思いながら弱弱しく白状すると、「ストレスよ」と言われた。
 ストレス…?
 その時は原因がストレスだと全く思わなかったが、今なら断言できる。
 頭痛も病気の症状も全てストレスが原因だ。
 その先生は校長先生や上司に連絡を目立たない様にしてくださったり、相談に乗ってくださったりと、精神面で大変助けられた。
 ベテラン先生のように、さりげなく他人に手を差し伸べられる温かい人間になりたいと思った。

 その後、心療内科を受診して適応障害と診断され、薬を処方された。
 薬を飲みながら仕事を続け……虚無のまま小学生の対応をする。
 ある日のトイレの介助中、上司に「順応してるね」と言われた。
 「そうですか~?慣れてきたんですかね~」とにこやかに返したが、生徒の気持ち汲んで行動することに慣れ、上手く対応できているように見えるだけで、指導にはなっていない。
 「この行動ができるようになってほしいからこう指導する」というより、「この行動をさせないためにはどういう対応をすればいいか」といった学習を私がしているに過ぎない。
 言葉で意思の疎通が難しい相手に対してどう「指導する」のか私には分からなかったし、「どうやったら伝わるか」を試行錯誤する心の余裕がなかった。

 上司と校長先生を交えた面談で、空き時間が1時間しか増やせないということになり、次月末で辞める旨を伝えた。
 次月末では難しく、条件付きで学期末までということで話がついた。

 その頃には生きがいだった教科の仕事も精神的につらくなり、熱意のない授業になってしまうことが…しんどくなってきた。
 手は抜いていないし、例年通りの内容だが…これでは生徒に「面白い!楽しい!」と思ってもらえない…
 生徒に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 長期休業の宿題を作り、(使うかどうかわからなかったが)長期休業明けのテストを準備し、私物を整理して学校を去ったのであった。(了)

【終わりに】
 私の仕事を軽減するにあたって、いろいろな先生に負担をかけてしまうことになってしまったこと。
 私が辞めざるを得なかったことで、代わりの先生が見つからず教科指導でご迷惑をかけてしまったこと。
 本当に申し訳なく思います……しかし、そうしなければ恐らく私は命を絶っていたと思います。
 精神的に追い詰められていましたし、体調も過去一番悪かったです。

 昨今、教員の心の病について、教員不足などの記事をよく目にします。
 一人が休んでも他の教員の負担が増えすぎない環境を整えること(定員に余裕を)、空きコマの増加(業務時間内に業務が終わるように)、教員自身の能力を生かして働き甲斐のある仕事ができること(その人の適正にあった配置)、労働時間・休憩時間を定めること(曖昧にしない)、部活動の撤廃(地域のスポーツクラブへ)など、教員を捨て駒にしない働き方改善が進むことを願います。

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