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心境の変化。辛かった出来事を乗り越える
なぜかわからないが、急に心が強くなってきたかもしれない。
職場でモラハラとしか思えないことが起こって、もう耐えられないと何度も思いながら会社に行き続けた。私を支えたのは目標だった。仕事を早く終わらせる。とにかくそれだけに集中することにより、他人の勝手な言動を気にしないようにした。人間関係は諦めて働いた。クビにするならすればいい。そんな気持ちで働いた。そんな気持ちでないと働けなかった。
結果的にそれはよかったように思う。少しずつ、認められてきているように感じるから。
そして、一番驚いているのは、あんなに絶望して毎日泣いていた自分の身に起こった出来事が、大したことじゃなかったように感じられてきたことだ。
気にくわないからとあることないこと陰口を叩かれたり、業務上協力してくれなかったり、全部心が潰れそうに辛く、そして辛すぎて自分がどんなに辛いかをとにかく誰かに聞いてほしくて、親友にいつもネガティブな愚痴を聞かせたりしていた。
すこし前までは、泉から湧き出んばかりの不安を鎮めるために、その不安を心から次々に吐き出していかないと溢れてしまいそうな精神状態だった。でも今はそれがなくなってきた。
訳知り顔で勝手なことを振り撒かれていることも耐えられず、誤解を解いてまわりたい衝動もあったがそれも急になくなった。別に、勝手なことを言われていても、友達とご飯にいけば楽しいし、私を分かってくれている人との時間を大切にしていれば私の人生になんの影響もない。むしろ引きずって暗い顔で愚痴を吐いてしまっていたことを猛省している。
これが乗り越えたっていうことなのかもしれない。分からないけど。気持ちが全然、違っている。
もう一度、モラハラの最初からやり直せるなら、陰口を叩かれてることなんてどこ吹く風で笑顔で過ごしたい。嫌がらせをしてきた中心人物に対しても、その場でうまくこちらが悪者にならないように言い返してやりたい。そんな嫌な人に対してまでもいい子でいようとせずに、もはや嫌な奴でありたい。今の私なら、できる気がする。つまらない人のつまらない言動等、ほっといて私は私で元気に過ごすだけでよかったのに。すべての声を真剣に取り入れる必要はなかったのに。大事な人たちとの時間を、犠牲にしてしまっていたことが本当に悔やまれる。
中心となってうるさく騒いでいた人も、全然怖くなくなった。むしろ、この人は周りから叩かれないように必死な人なんだな、たぶん結構心弱いんだろうな、と冷静に見れるようになってきた。みんな何か言われないために必死だから、こんな人のくだらない言動に付き合うんだろうな。真実が分からない人たちばかりの職場ならばなおさらそんな人たちとつながりなんて持たなくていい。私は仕事をするだけだ。
被害者意識全開で、言い訳ばかりしていたことはよくなかったと思う。言い訳しないで自分の仕事を全うしていれば、見てくれている人はいる。明るい気持ちを取り戻したこれからは、前向きに過ごせそうな気がする。
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