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アダルトチルドレンとかHSPといった言葉がなんとなく苦手

すべてに対してじゃなくて、たまに。

"私はアダルトチルドレンだったんだと気づきました。"

"私はHSPであると気づきました。"

こういう宣言を聞くともやっとするときがあります。自分も使っておきながらなんですが、毒親という言葉も苦手かもしれない。

一時的にそういうカテゴリーに自分や自分の親のことを当てはめて自分への理解を深める材料にするのはいいけれど、そこで完結するための言葉ではない気がする。

あくまでキャッチーな言葉というか、分かりやすく くくるための指標みたいなもので、個々の問題はもっと複雑で個別的で対処の仕方も成長の仕方も千差万別だからっていうことをわかった上で使うのが大事な気がする。

うまく言えないけど、免罪符みたいな使い方はなんか違うなあと思う。

私人見知りなんですって言って、人と打ち解ける努力を放棄して開き直ってる人に感じるものと似てるかもしれない。

うまく言えないけど、違和感。

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