HSPとソロキャンプ
HSPという用語が浸透しだした頃、親しい人々に「もしかして私はHSPというやつだったりするのだろうか」と訊いたところほぼ全員に「もしかしなくてもHSP」と返された。初めて自分の生きづらさに名前がついた瞬間だった。
十代から二十代のうちは人に対してとにかく過敏で、ひどい共感性羞恥と安定しない自意識と他人の感情に振り回され、身体は健康でも生きるのに不自由していた。
通知表の所感には、感受性が高すぎると何度書かれたかわからない。
※ただ、生きづらさの何割かは自分の性格が悪いだけだったと今では思っている
三十代を過ぎてから人とは多少距離をおけるようになったが、逆に、対人ではないところで簡単にオーバーフローするようになった。五感が受け取れる情報量のキャパシティが減り、音や光、匂いなどの外部刺激をダイレクトにダメージとして受けるのだ。平常時ですでに防御力ゼロなので、通勤電車の騒音と他人の匂いだけでメンタルにくる。かといって働かない選択肢はないし免罪符にするつもりもないので、基本的に自分でどうにかせざるを得ない。
そんなわけでソロキャンプ。
静かで、風に季節の匂いがあって、他人の気配が薄い。五感を乱す要因が限りなく少ない環境は、バス通りに面した自宅で寝ているよりも気が楽だ。
広いキャンプ場でひとりぼーっとしていると、五感が洗い流されるような感覚になる。「不快ではない」というだけなのに、目に見えて感覚が落ち着き、メンタルが整っていく。
もちろん、テントを立てたりペグを打ったりと身体と五感はフルに使うし、風雨など予期しない天候に見舞われたりもする。けれどそれも、自分が選んで受け取っている情報だと考えると気にならない。
また、凝った料理はしなくても、環境のせいかただの白米がいつもより美味しく感じる。普段、無意識のうちに自分の感覚にフィルターをかけているのかもしれない。
そういうのを時々取っ払うためにもソロキャンプは自分にとって重要なデフラグツールなのだなと思う。デフラグって死語か。
写真は車中泊旅の合間に見た富士山。車中泊旅も無心で運転できるので好き。
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