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新5000円札の顔はハードボイルド津田梅子

最近気になって調べた人物。それは、津田梅子。

なぜ調べたか?
あれ、新しいお札のうちの1人って津田梅子だったよな
→津田梅子って確かクリスチャンだったよな
→てか、何した人だったっけ?
→津田塾大学卒の友達も結構いるし、いっちょ調べてみるか

ということで。

調べてみたらゴリゴリ帰国子女熱血英語教師だということがわかった。


11年間のアメリカ生活

まず、彼女は日本初の女性の国費留学生
6歳のときに、岩倉具視使節団としてアメリカへ出発し、11年間そこで勉強。めちゃ優秀な成績をおさめて、無事帰国。

日本帰国

しかし、日本に帰ってくると、逆カルチャーショックの嵐
国費留学生としてアメリカに行ったのに、帰ってきて家の手伝いと弟の世話くらいしかやることがない!

そう、当時は男性超優位の社会で、女性が活躍する場は、家庭の中しかない。日本社会を自分の身でひしひしと感じた梅子は行動に出る。

これじゃあかん。日本は女性の地位を向上させないと!女性の地位を上げるためには何が必要なのか?教育だろう!

と女性のための学校を作ることを志し、実行した。

そのあとまたアメリカに留学したり、資金集めをしたり(これがしんどかった)、紆余曲折を経て女子英学塾、今の津田塾大学ができたのでした〜。


と、まあ、梅子が何をしたかに注目するとこんな感じなんだけれど、彼女がどんな人だったのかっていうのも同じくらい大事だよね。

梅子様は・・・

とにもかくにも優秀

アメリカ留学開始直後は英語はほとんど話すことができなかったが、留学中は、生物学の勉強に精を出して、先生と共同で論文を出すなど、超優秀。
大学に通うため、もう一度アメリカに留学すると、あなたは残ってもっと研究をするべき!と教授に引き留められる。

意志が強い

日本で英語に強い女子校を作ったわけですが、それはもういろんな壁があって大変だった。
でももう梅子はこの時点で、自分が留学した経験は日本の女子教育を向上するためだったのだ!と、自分がこの事業を達成しないといけないという使命感に突き動かされていた。
いろんな壁を越えて、無事に女子英学塾をオープンすることができた。

キリスト教を信仰してた

アメリカ留学時代、日本でキリスト教禁止令が解かれた年に、早速洗礼を受けた。ホストファミリーがクリスチャンで、一緒に教会に行っている間に、信仰をもったそう。
日本に帰ってきてもアメリカとの違いに葛藤しつつも、クリスチャンの圧倒的に少ない文化の中で、教会に行って、聖書を読んで、神を信じていた。
ちなみに、梅子の両親は、梅子の強い信仰の影響を受けて教会に通うようになってクリスチャンになった。

お父さんが結構進歩的

梅子パパは、学者で、オランダ語と英語が話せたりと、この時代、めちゃめちゃ進歩的な考え方をもっていた。まあそうじゃなかったら、そもそも娘を留学に出さないよね。
お父さん自身も農学校をしてたんだけど、農学と同時に聖書も教えてた。あの札幌農学校よりも一足早く。
そして青学を設立するのにも関わった、というめちゃ凄腕。

熱血教師

発音が違かったら何度でもやり直させて、怒る。スペリングを間違えてたら、怒る。ディスカッションでおかしな考えをしている人がいたら、怒る。男女交際や身だしなみにも厳しい。
でも、生徒と真剣に向き合っていた。内容が大事だ!と文法や単語を教えるにとどまらず、論文や会話の内容をよく考えさせ、様々な側面から思考させた。

優しくお茶目な顔もあり、先生として、また1人の女性として生徒たちは良い影響を受けたと想像できる。

6歳で家族と離れてアメリカへ留学するという、華々しく自立的で、だが大変な道のりを歩いてきた梅子はその境遇に見合う以上の努力で、天命を全うすべく駆け抜けていった。そんな人生だったんじゃないかな。

日本は今でも男女の社会的な地位の差とか、一般的な取り扱われ方に差があると女性である私は思う。会社でも、家庭でも。
まだまだ変わらないといけない社会だと思う。だけど梅子ほど純粋な思いで女子教育に尽くしている人は今でも珍しい。

あと、使命があるってすっっっごくいいよね。ここまでのユニークで大規模な使命じゃなくても、モチベーションを持ってたら、みずみずしく生きれるんじゃないかな。

これからよろしくね、梅子さん。


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