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「話せない」の正体?

なぜか職場で、話せない」の理由を、1人悶々と考えてみた。

 自分で言うのもなんだが、私は「協調性が高い」「コミュ力おばけ」だ。とくに高校2年ごろから周りにそう言われ始めて、会社の入社試験で受けた「適正診断」で突出していると数値でも明らかになった。
そして社会人になって以降も、周囲からのその評価が変わったことはない。

 だったら私は、さぞ友だちも多くて、たくさんのコミュニティに属しているんだろう……と、多くの人は考えている、と思う。

 ところがどっこい、実はそうでもなかったりする。

 フラッと1人で居酒屋やバーに立ち寄れば、仲良くおしゃべりをする相手が出来ることはあるし、顔馴染みの店に行けば、たいがい顔見知りがいる。でも皆、名前も連絡先も知らない人ばかりだ。
属しているコミュニティも、高校時代の同級生、大学時代の同級生、大学時代のアルバイト仲間、くらいで大した数はいない。しかも、適度に互いに干渉し合わない友人同士の集まりばかりなので、関係性としては割と淡白なほうだと思う。

 そんな私が、たった1人で東京にやってきた。とにかく慣れるまでは仕事が第一優先、とはいえ、プライベートの時間が全くないわけではない。新しい環境で、新しいコミュニティが欲しい、と思った。
大丈夫大丈夫。いつもの調子でぬるっとするっと、職場でも飲み屋でも、知らず知らずのうちに輪を広げられるだろう__と、思っていたのに。

 出来なかった。そもそも広げる輪の作りかたが__コミュニティの作りかたが、分からなかったのだ。

 あれ?なんで?だって今までは__と、少し昔を振り返る。


 小学校。地方都市にあった私の学校は、一学年で19人という超小規模小学校だった。クラス替え、という概念もなく、隣の教室は違う学年の子たちがいる。
女の子10人、男の子9人、という狭い世界の中では、性別の違いこそ明確にあれど、分かりやすいグループやコミュニティは存在しようもなかった。

 中学校。入学する前から一つ年上の姉に懇願されて、吹奏楽部への入部が決まっていた。夏休み中に、部活動を覗きに行ったこともある。
いざ入学してからは、クラスの誰それと仲良くなったという記憶は、明確にはない。部活動という、用意されたコミュニティの中に、私は入っただけだった。

 高校。出席番号順で並べられた席の、近くに座っていた女の子が声をかけてくれた。その後知らず知らずのうちにメンバーは4人になったけれど、あるとき仲違いして、私だけ孤立した。
どうしたもんかなぁと思っていると、偶然、同じ中学の子を見かけたので話しかけ、その流れで放送部に入ることになる。同時期に、学年が変わったこともあって孤立している私に声をかけてくれた子もいた。

 大学。入学式前の新入生歓迎会で、同じグループ席に座った女の子が声をかけてくれた。これが今の親友になる。あと、入学当初から多少目立つ格好をしていたおかげで、誰かれ構わず声をかけられた。
他にはアルバイト先でも、出演させてもらうライブハウスでも。やっぱり、すでに用意されているコミュニティであれば、私はすんなり入ることが出来ていた。

 そして新社会人、1年目。奇しくも今と同じ場所、東京でのこと。
このときの私に「自らコミュニティを作ったことがない」なんて自覚はない。ただ、客観的評価である「協調性が高い」「コミュ力おばけ」という言葉を盲信し、慢心していただけだった。
 結果として。同期、部署、チーム__いくつもあったコミュニティのどこにも、私は属することが出来なかった。当時の私を知る人々は、いったいどんな風に私を見ていたんだろう。
私はワケも分からないまま心身を壊し、そしてそれを理由に会社を辞めて、関西に戻った。最後まで、会社内で孤独感を覚えていたことや、コミュニティに属せなかったという事実にすら、気づくことはなかった。

 その後は関西で、いくつかの職に就く。どこも当然のように職場内でコミュニティが用意されており、私はまた「協調性が高い」「コミュ力おばけ」として日々を過ごすだけで良くなった。


 __なるほど。私がまたこうして今、東京で1人思い悩んでいる合点がいったよ。ありがとう、思い出してくれた私。
けっきょく、悪いのは場所でも他人でもないわけだ。

 にしても。こうして「出来ない」にぶち当たるのは本当に久しぶりだなぁ。どうしたもんかねぇ。

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