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なぜか職場で、話せない

 先週末の4月21日をもって、心身の回復のために休養期間をもらうことになった。とりあえず1ヶ月程度を目処にということだが、早くも1週間近くが過ぎている。

 今さらだが、職場自体が休暇期間ということもあって、自分だけが仕事をしていないという罪悪感や焦りはない。今のところは。

それに、仕事に向き合おうとすることが若干億劫だという気持ちもある。身体も休み休みでなければ動かせないし、今の私には休養時間が必要なんだと、十分に理解しているつもりだ。

 ただそもそも、仕事に対して億劫な気持ちを持つことが初めてで、少々戸惑っている。それこそ、今までは否応なしに急ぎの仕事が手元にあって、それを「億劫だ」と思う暇もなかった__暇がなかったから、どんな仕事でもこなせていた?そうだ、年始の2月ごろまでは、明らかに無理な量をこなしていたじゃないか。

だとしたら今の「億劫」は、暇が私に与えた甘えなんじゃないか、という考えが湧いてくる。さすがに体力の減少は「身体が動かせない」という事実があるから、どうしようもないけれど。
身体さえ動くようになってしまえば、暇を感じられないほど無茶苦茶に働いてやろうか__いや、たぶんそれ、同じこと繰り返すだけだな。


 そもそも私は今、身体以外にも問題を抱えている。それが心、精神的な問題だ。

 ぶっちゃけ、気軽に話せる相手__コミュニティがほしい。私はいつも、そういうコミュニティを職場内で作り上げる癖があった。だって、一日の内で一番時間や思考を割くのは仕事だから。話せる気軽さでいえば、仕事仲間はかなり上位に入ると思う。
なにより同じ組織に所属している、というだけで最低限の共通言語が無条件に与えられるし、むしろあえて自分の趣味や個人的な価値観を晒す必要もない。
そういう意味で、職場内のコミュニティは、私にとってとても都合がいい捌け口だった。

 ところが、今の職場ではそれが出来ない。

 職場内で私語を禁止されているわけではない、私に敵意を持つような人も(たぶん)いない。もちろん私自身だって、職場の誰に対しても嫌な気持ちを持っているわけじゃない。
なのになぜか、職場内で特定の人物以外と話すときに、私は異常なほど「話せなく」なってしまうのだ。

「話せない」というのは、声が出なくなるわけではない。声をかけられれば、答えることは出来る。笑うことも出来るし、本当にときどきだが、話しかけてくれた相手に対して、こちらから話を振ることも出来る。

 だから、仕事をする上でのコミュニケーションは現状、表立った問題がない。きっと職場の人たちも、私が「話せない」と思い悩んでいるとは夢にも思っていないだろう。

 ところが実際の私の頭の中は、表には出ていないだけで、もっともっとやかましいくらい言葉や感情や情報が動き回っている。なのに職場の人に声をかけられた途端に、それらが凍りついたように固まってしまうのだ。理由も、原因も分からない。
そしてその「固まってしまう」という事実に、私自身が勝手に傷ついて、落ち込んでいる。

 ずーーっと、そんな負のループが、私の頭の中でだけ、続いている。


「だったら、職場以外でコミュニティを作れば良いのでは?」

 遠回しに、あるいは直接的に、そんな風に言われたこともある。その通りだな、と思うので、もう少し身体が動くようになれば、そのために動きたいなと思う。


 でも本当に、一体どうして。私は固まってしまうんだろうな。職場の全員と仲良しこよしがしたいわけでもないし、心のうちを曝け出してしまいたいわけでもないのに。
せめて納得ができる理由がほしい。でないとずーっと、私はこの負のループから抜けだせない。

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