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ルルちゃん、亡くなりました

 このことは過去、どこかに書いただろうか。いやそれとも、書こうとして中途半端なところで書くのをやめてしまったか。


 2020年が明けて2週間ほど経ったとき、私が一人暮らしにしては大きな部屋を借りて住んでいた頃のこと。

 ルルこと、実家で飼っていた犬が天国に逝ってしまった。朝起きると母親からメッセージが入っていた。

ルルちゃん、亡くなりました
よちよちしてて、ここ3日ぐらい食べなくて
朝起きたら、亡くなってました

 涙が流れたり、感情が大きく揺れ動くようなことはなかった。

「これを送ってきた母親はどんな感情だったんだろう」「こういうとき、どういう感情でいるのが適切なんだろう」とか、そんなことを考えていた。

 なんとか感情的になろうと思って「もうルルには二度と会えないんだ」という事実を自分に何度も言い聞かせた。二度と会えない、今から実家に帰ってもルルはいないんだ。一生会えないんだ、と。

 でも「なんとか感情的になろうとする」ことが、そもそも失礼というか薄情な行動に思えて。あのときの私はルルの死について深く考えることを、すぐに諦めた。


 ルルはコーギー犬だった。牧羊犬らしく、羊に踏まれないようにと短く切られた尻尾に、大きな耳。あとは短い足をつかって、柵なんかにつかまってよくご飯やおやつをねだられた。ルルはちょっとぽっちゃりしていたから、階段の上り下りをするときに短い足のせいでお腹が地面に当たったりもしていたな。

 それからルルは、他のコーギーと違って毛がまっ茶色じゃなくて、ところどころに黒い毛が混じっていた。額の真ん中に入っているラインも、よく写真でみるコーギーは白いけれど、ルルは黒かった。

 あとルルは、あんまり運動が好きな子じゃなかったと思う。私と散歩に行っても、あんまり走ったり遠くに行こうとしなかった。そしてグイグイとリードを引っ張るくせに、私が好きに歩いてもらおうとすると不安になるのか、私がそばに行くまで立ち止まって待っている。


 あぁ、そうそう。ルルが一度、脱走したことがあった。両親が旅行に行って、留守番を頼まれたとき。ルルの出入口である裏口の扉がしっかり閉まっていなかったようで、私がアルバイトに行っている間に姿を消したのだ。

 夜11時ごろに帰ってきてからルルの脱走に気づいたときのあの恐怖は忘れられない。スマホのライトで照らしながら散歩コースを5周くらい歩いて、実家の駐車場内もくまなく探した。

「たぶん警察署で保護とかされてるよ」と母親になだめられても、「もし事故にあっていたら」「二度と帰って来なかったら」と考えて恐怖が拭えず。実家のリビングで一睡もせずに過ごした。

 翌朝すぐに警察署に連絡すると、本当にルルは保護されていた。いつもの散歩コースからかなり外れた大通りでおばあさんに捕獲されたらしい。危うく車道に出ていたら…と思うと今でもゾッとする。

ちなみに私が警察署まで迎えに行くとルルは超ハイテンションで現れて、婦警さん曰く「ご飯もいっぱい食べました!」とのことだった。警察の皆さんがすごく笑ってたので、さすがにちょっと恥ずかしかった。しかも帰り道は私の真横に並んで離れようとしないし。お前1人でここまで来たんだろ!?とちょっとだけ怒った。まぁ、ちゃんと戸締りしてなかった私が悪いよな。


 ルルとのお別れは決して突然ではなくて、ちゃんと予兆があった。私が就職して上京するときから、すでに元気いっぱいというわけでもなかった。「もうそろそろヤバいかも」と母親から何度か連絡ももらっていた。


 だから一度、就職した年の夏頃に帰省して、ルルに会いに行った。予定があって急遽決まった帰省だったから、両親にスケジュールを伝えることもなく。1人でふらっと実家に立ち寄って、裏口を開けてルルを呼んだ。

 ルルが「私」を認識していたのかは分からない。ルルは人懐っこかったし、人を見て態度を変えたりするような子じゃなかったから。

 ただ、ルルが私に気づいて私の足元に歩いてくるまで、明らかに今までよりも時間がかかった。ふらふらしている、というほどではなかったが、歩くのが億劫そうに見えた。

「ルル、久しぶり。ただいま」

 ルルが近くにきてから声をかけると、短い尻尾が勢いよく左右に揺れているのが分かった。その振動につられて、少しだけ体全体も揺れている。その様子が愛おしくて、私はなにも考えずにその身体に触れた。その瞬間。

「!!!」

 私は思いっきり息を吸い込んだ、音がはっきりと出るくらい。

 ぽっちゃりだったはずのルルの背中が、骨ばっていた。手のひらの感触をはっきりと覚えている。決して健康的とは言えないすこしざらついた少ない毛と、皮膚、その奥にある骨。

 私は思わずルルの身体に触れた手をすぐに引っ込めてしまった。ルルはそんな私に少し驚いたようで、ビクッと後ずさりした。

 あの感触は、私に否応なく「死」を連想させた。だから私はそれ以上、ルルの背中を撫でてやることが出来なかった。


 そうして私は思った。きっとルルに会えるのは、撫でてやれるのはこれが最後だろうと。


「ルル、ありがとうね」


 今までなら、私が裏口の扉を閉めようとすると、ルルは全体重をかけて扉を押し開けようとしていたのに。そのときは扉を閉めようとするのを見ても、扉から2歩ほど下がった場所で座り込んで、じっとこちらを見つめていた。


 きっとあの瞬間があったから、私はルルの訃報で取り乱さずにいられた。あれ以降も、ルルの写真や動画を見ても、他のコーギーの写真や動画を見ても、それほど大きく心が揺らぐことはない。

 でもこうして書いていると、少し寂しい。後悔はしていないけれど、会いたくなる。

 どうか天国では、大好きな野菜やおやつを食べて幸せに太っていますように。


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