私って、アセクシャルなの?
「もときって、アセクシャルなの?」
あるとき友人との会話の流れで、こう聞かれて、私はひどく答えに困った。
決して、「アセクシャル」の意味が分からなかったから、ではない。ただ念のため、以下に言葉の意味を記しておこう。
ついでに言えばこのとき、セクシャルについて問われたことに対する不快感もなかった。それはあくまでも友人と私の関係性があるからこそで、時と場合によっては、驚いたり不快に思うこともあるので、悪しからず。
さて。では一体全体どうして、私が答えに困ったのか。
「うーーん、分からんのよなぁ。
性的欲求も恋愛感情も、自分ではあると思ってるけど……もうずいぶん、"そういう相手"に出会ってないからなぁ」
"そういう相手"とはつまり、私が自ら性的な意味で触れたいと思う相手、ということだ。
正直なところ、触れ合いや肉体関係が強要されるなら、それなりに応えることはできる。もちろん生理的に無理だと思う相手でさえなければ。
それでも、行為自体を楽しんだり快楽に浸ることは、あまりない。隠せる程度の嫌悪感というか、なんというか……作業、仕事をこなしている感覚と近い。
ただ、相手が大事であればあるほど、そういった自分の「作業感」が、ひどく申し訳なく思える。なによりその行為によって、相手との関係性が変化してしまうことが怖い。
だから私は本当に大好きな相手ほど、恋愛関係や姓的関係になることは避けるようになった。どんなに「良い人だなぁ」と思った相手でも、こちらを"そういう目"で見ていると分かったら、距離を置く。
(まぁそもそも、私のことを"そういう目"で見る人は極端に少ない……というか、ほとんどいないのだけれど)
いろいろと考えて、私は友人へこんな風に答えた。
「私は相手が誰であれ、一緒にいて楽しく話が出来たら、それで気持ちが満たされる。これが一般的にいうアセクシャルなら、そう思ってもらって良い。
でも、私自身は『欲求が無い』とは言い切れないから、アセクシャルとは名乗らない。
じゃあ男が好き?女が好き?って聞かれることもあるけど……そもそも私は、性別を認識しようって考えたがない。
その人がどんな経験をして、どんな価値観を持っているか。そういうことを少しずつ知っていって、良い人だなと思えば、恋愛感情だとか性的欲求に繋がることがあるかもね」
私の言葉を頷きながら聞いていた友人は、続くようにこう言った。
「そうだね。セクシャルのことは、他人の評価ともときの評価が、一緒である必要はないよね」
「私もそう言いたかった!ありがとう、分かってくれて」
友人は嬉しそうに笑いながら、片手をあげてこちらに見せる。私もそれに合わせて、片手をあげて見せた。
「さすがでしょ?」
「うん、さすが。やっぱり出会えて良かったよ」
パチン、と小さく響く乾いた音。それは確かに、なんの下心もない無邪気なハイタッチだった。
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