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モトの自己紹介と活動理念
はじめまして、モトです。
当ページをご覧頂きありがとうございます。
このページでは
・自分の存在意義や、在り方について分からなくなっている
・このまま今の仕事に極度のストレスや不安を感じていて、続けるべきなのか悩んでいる
・仕事を辞めたいけど、自分に何が出来るかわからない
・何を目標に生きていけばいいのか見えなくなっている
という事で悩んでいる方のヒントになるように
・自分の存在意義を知り、本来の自分らしさを取り戻すキッカケづくり
・視野を広げ、広い選択肢を見つける視点の持ち方
・自分なりの目標を見つけ、自分らしく生きていくためのヒント
などを綴りました。
そして、具体的なイメージが湧きやすいように
・10年間勤めた自衛隊を辞めて、自分の存在意義が分からなくなった話
・時給830円の低賃金重労働の仕事で受けた仕打ちの話
・古着転売ビジネスに限界を感じ、とある考え方に出会った話
を私の人生経験から得たエピソードを交え、その中で得られた気づきや教訓などをお伝えしていきます。
それでは、早速どうぞ。
*
あの頃の私は、自分を見失っていました。
18歳の頃に親の勧めで公務員の道を志すようになり、陸上自衛隊に入隊しました。
高校時代に柔道部だった事もあり、体力には自信がありました。初めて就いた職業が特別国家公務員という事もあり、親や親戚からも喜んでもらえました。
自衛隊は、
・土日祝日は休み、年に2回ボーナスもある。
・長期休暇もあり、定年後の仕事の斡旋もしてくれる。
・寮に住んでいれば、生活費は国が負担してくれる。
・勤務年数が長ければ序列が上がるし、いるだけで徐々に給料もアップしていく。
・災害派遣では国から感謝されるし、災害派遣手当も支給される。
今考えてみても、なかなかの高待遇だと思います。
ただ、大変なことがとても多いのもあった上での待遇です。
しかし、あの日。
2011.3.11 東日本大震災
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100年に1度の大災害が起きました。
東日本大震災です。
私テレビやネットを通して震災の状況を知りました。当時、仕事の都合で研修を受けるために関東地方にいました。
野外で実習を受けていた時に、何やら異変が起きます。
「(…グラグラ)」
「!?」
たまたま休憩中だったので、外にある自販機にお金を入れてもジュースを買うことができません。
どうやら停電で自販機の電源が落ちているようでした。
すると、
「ええ!?東北で震度6強の地震だってよ!」
関東地方は確か震度4程度で収まりましたが、あまりにも甚大な被害のため、すぐさま実習は中止になり、部屋に戻る事になりました。
部屋にあるテレビを着けると、東北地方の津波の映像が延々と流れていました。自分の地元のよく通っていた場所が次々に流されている映像を目の当たりにしました。
正直、何が起きているのか、分かりませんでした。
「これは現実?夢じゃない?何が起きてる?なんで?は?何が起きた?」
あり得ない現実を受け入れることができず、混乱しました。すぐに帰ることも出来ず、テレビやネットニュースを通して地元の被災を見守ることしかできませんでした。
仙台に帰ると、まだ災害派遣は続いていました。
どことなく暗い表情で、精神的な痛みを引きずりながら生きているように見えました。テレビを付ければ毎日のように震災に関する情報ばかりです。
CMなどにも「震災復興!」「がんばろう!東北!」といった内容のモノが毎日のように流れていました。
しかし、いくら励まされても、前向きな言葉をかけられても、希望が見えてこないような、そんな状況でした。
無理もないです。100年に1度の天災ですから、そんな簡単に前向きになんてなれなくて、当然だと思います。
震災をキッカケに職場での人間関係の揉め事も多かったです。災害派遣での勤務にストレスを感じて他人の陰口を叩くひとも少なくはありませんでした。
自分自身も災害派遣には何度も行きました。
徐々に精神的な疲れが溜まってきました。
災害派遣の詳しい内容については、守秘義務があるため書くことはできませんが、震災が起きてからも余震が続いたり、状況が変化すれば緊急出動しなければいけないという状況下でした。
精神的に休んだ気がしませんでした。
だけど、自衛隊の一歩外に出れば災害派遣について心配してくれる人がいたり、質問をされたり、お疲れ様、頑張ってねと声をかけられる事もありました。
私は、自衛隊の裏の事情を知っているだけに、素直にありがとうございますとは言えませんでした。複雑な心境だった事を覚えています。
未来への漠然とした不安
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ある日、ふと考えごとをしていました。
「このまま自衛隊にいるべきなのかな」
「災害派遣でみんなボロボロじゃねえかよ」
「これがまた起きたら精神崩壊する人が増えるだろ」
「こんなの、いつになったら終わるんだよ…」
災害派遣での自衛隊の活躍ぶりは、誰もが周知の事実だと思います。メディアなどでも国民的にもてはやされる時期はありました。
しかし、その裏では毎日緊迫感に包まれる勤務が何ヶ月も続きました。隊員の多くの心は確実に蝕まれていました。
自分が精神的に疲れていても、相談なんて出来るわけがありません。みんな頑張っていたし、疲れているからです。
「みんなも頑張ってるんだから仕方ない」
「俺だけ辛いなんて言ってられない」
そうやって、自分に言い聞かせていました。
それから月日は流れていきます。
整体師の道を志す
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震災から数年後、私は自衛隊を退職をしました。退職に至るまでの経緯は長くなるので、ここでは省略しますが、周りには「整体師になる」と言っていました。
ただ、本音を言うと自衛隊から逃げるための口実でしかありませんでした。「こう言えばみんな納得するだろう」という嘘をついていたのです。
退職後には、整体の学校に通いながらアルバイト生活を送りました。無事、整体師の資格は取る事が出来ました。一見すると、順調そうに見えるかもしれません。
しかし、その後の働き口がないことに気づきました。
恥ずかしい話ですが、当時の私は
「資格さえ取れば開業できるだろう」という甘い考えしかありませんでした。
学校に通いながら、現役の整体師の先生方などと話す機会もありました。すると、こんな話をされました。「資格なんてあって当たり前で、その上でどうやって経営を成り立てて行くかが大事」という、生々しい話をかなり聞いたのです。
今になって考えてみれば当たり前ですが、
「資格を取れば開業できるはず」と考えていた私からすると、衝撃的な事実で完全なる盲点でした。
よく話していた整体師の先生方は、
自分でホームページを何年もかけて作り、
開業資金のために融資を受けたり、
集客をしてSEO対策もしっかりと行い、
患者さんとの信頼関係構築のための勉強も疎かにせず、リピーター戦略も練り、、
整体師として、経営者として生きて行くためにとても勉強熱心な方ばかりでした。
当時の私は、患者(消費者)としての考えしかなかったため、そういった業界の裏側を知り、自分が業界のことや、起業して生きて行くという現実の厳しさを何も知らない事をその時初めて知りました。
私は、何も知らなかったのです。
そういった真っ直ぐに生きている人に囲まれていると、自分の軟弱さがとても恥ずかしく感じました。
「整体師になる」と嘘をついて自衛隊から逃げてきたような軟弱な自分に整体師なんてなれるわけがないと思いました。
整体師の先生方は、整体師になるために何年もかけて勉強をしてきて、経営者として自己投資したり、全国を飛び回って勉強もしている人ばかりでした。
それに比べて、自分はどうだ。
自衛隊を逃げるために嘘をついて辞めて、整体師になるための覚悟すら決まっていませんでした。そう言う現実を知った上でもチャレンジしていくような積極的な気概すらありませんでした。
こんなクソみたいな甘い考えで、開業なんて出来るわけがないと思いました。そこから色々悩んだ結果、整体師の道も諦めてしまいました。
自分の価値とは何か
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自衛隊も辞めて、整体師の道も諦めて、行き場を失った私は、生きている意味がわからなくなりました。
退職直後に詐欺にあい、150万の借金をしました。
家賃が払えなくなり、一人暮らしができなくなりました。実家に出戻りして親との関係も悪化しました。
父親からは、毎日のように「早く出ていけ」と言われました。
公務員だった頃の肩書も、整体師としての未来も全て失った私には、なんの価値もないと思いました。
「自分の価値ってなんなんだ?」
「こんな自分に出来ることなんてあるのか?」
「自分には生きている価値があるのだろうか?」
「なんのために自衛隊を辞めた?なんのために資格を取った?」
「自衛隊で積み上げてきた経験なんて役に立つのか?」
自分が選んだ道なのに、自分が決めてきた事なのに、何から何までわからなくなりました。
そこからしばらく訳の分からない事でずっと悩みました。
「働かないと人間には価値がないのだろうか」
「自分はなんために生きているのか」
「誰に聞けば分かるのか」
「自分はどこに、どう向かえばいいのか」
「こんなに苦しいのに人生って続くのか…」
「人生って辛い、残酷、、」
あまりにも漠然とした考えが頭の中をぐるぐると駆け巡り、いくら考えてもわからなかった事を覚えています。
もう、生きている意味がわからないのです。
何が辛くて何が苦しいのかすらわからない。
わからない、わからない、わからない、わからない。
あの頃の私は、完全に自分を見失っていたのです。
それから、次第に人と会う事が怖くなり塞ぎ込むようになりました。もう、人間不信に陥っていたと思います。
「街のどこかでばったり出会したら馬鹿にされるんじゃないか…」
「こんな姿見られたら、後ろ指刺されて笑われるんじゃないか…」
そんな、ありもしない被害妄想に毎日のように苦しめられました。
低賃金重労働、時給830円時代の話
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ただ、働かないわけにはいかなかったです。
私は当時、郵便局でバイトをしていました。
郵便局のバイトは時給830円のバイトでした。
1ヶ月目いっぱい働いても、手取りで13万円。
低賃金なわりに重労働でした。
仕事の覚えも悪く先輩に毎日のように怒鳴られました。同じミスを何度も連発してしまうのです。
ただの言い訳に聞こえるかもしれませんが、当時の私はいろんなことが一気に起こり過ぎて、メンタルがかなり落ち込んでいました。そのせいで、仕事にも悪循環が起こります。
・仕事の内容が頭に入ってこない
・仕事の内容が理解できない記憶が出来ない
・何度も同じミスをしてしまう
・わからない事を質問できない
・なるべく人と関わらないようにして過ごす
あんな状況になっていたのは、人生でも初めてでした。(たぶん軽度の記憶障害ぽくなっていたと思います)
今までは簡単に出来ていたような事がまるでできなくなりました。コミュニケーション能力も極端に下がっていたと思います。
これはあまり言いたくありませんが、当時、あまりにも仕事が出来ないし、コミュ力も低かったせいで、いじめの対象のような扱いを受けました。
私は、ここまで自分が落ちぶれる経験をした事がありませんでした。
過去を振り返ってみても、どちらかと言うと人の上に立つ立場の方が多かったような気がします。
自衛隊の頃は責任のある仕事もしていたし、後輩もたくさんいて、教官役として新隊員の教育に関わっていたこともありました。
それがいつの間にか時給830円のバイトでこき使われるようになり、仕事もろくにできないような、いじめの対象者のようなポジションに成り下がっていました。
人生初めての経験で、あまりの落差に何度も落ち込みました。
いろんな事が起こり過ぎて、自分に対する信頼もできなくなりました。ありとあらゆる全てのことに自信が持てなくなっていました。
人から強く言われても言い返すことが出来ません。
もう、自分の事を何も信じられないくらいに落ち込んでいました。
「こんな仕事をするようになったのも、こんなことになったのも、、全部、ぜんぶ、ぜんぶ、、!!自分のせいだ。自分が自衛隊を辞めたのが悪いんだ。なんであの時、あんな決断をしたんだ。なんで自分だけ、こんなに不幸なんだ。なんで!なんで…!」
と毎日のように自分を責めていました。
*
それから数ヶ月後、私は12年ほど慣れ親しんだ地元を離れ上京することを決めました。
31歳の頃でした。
28歳で自衛隊を辞めて、整体師を志したのにその道も諦めてしまいました。人生の方向性を見失い、1〜2年間引きこもりのように悩んでいました。
30歳にもなって、独身で、実家暮らし。父親には毎日のように早く出ていけと言われていました。
それに対しても何も言い返せない自分がずっと嫌いでした。
東京に引っ越してから数年後、私はベッドに寝転がりながらSNSを眺めていました。
東京に来てからも、これといった変化はありませんでした。
「東京に行けば何か変わるはず」
「環境を変えれば人は変わるはず」
と思っていました。
特別な事は何もしていませんが、本来の明るさを取り戻しました。新しい環境に飛び込み、知らない人と出会い、知らない場所で働くことで毎日刺激を受けていくなかで、いつの間にかクヨクヨ悩むことが減ってきたのです。
ですが、時が経つにつれて、変化のない毎日に退屈さを感じるようにもなりました。
とあるビジネスとの出会い
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当時、副業に取り組んでいました。元々古着が好きだったと言う事もあり、古着転売というビジネスをしていました。リサイクルショップで古着を仕入れて、それをフリマサイトで販売するというかなりシンプルなビジネスモデルでした。
初心者でもわりとカンタンに稼ぐことができて、頭の悪い自分でもできたくらいなので、誰でも出来るような初心者向けのビジネスでした。ただ、慣れてくると、退屈になって来るわけです。
「このビジネスをいつまでやれば良いんだろうか。
確かに人と関わらないでお金を稼ぐ事は出来るけど、なんか退屈だな。とゆうか、こんな同じことの繰り返しの作業やってても、誰とも会うわけでもないし、自分がやる必要があるのか?」
また漠然とした悩みが浮かんできました。
かと言って、何をどうすれば良いのかわからない。とりあえずSNSを開き、なんとなく情報収集を始めました。
ある日、情報発信ビジネスというものに出会いました。よくよく話を聞いてみると、情報発信ビジネスを始めるにあたり、まず初めにやるべき事があるという事を知りました。
それは、自己理解というものでした。
文字通り、「自己を理解する」という考え方です。
自分を深く理解して行くことで、自分の思考パターンや、行動パターンが分かるようになり、自分自身を客観視出来るようになるというメリットがあるとの事でした。
はじめは、そんな地味な事やって何か意味あるの?と思っていました。ですが、自分自身を深く掘り下げて行くと、今まで見えていなかったものが次々と明らかになっていきました。
まず、初めに分かったのが、
「精神的に弱ると、極端にコミュニケーション能力が低下する」
という事でした。
上に書いてきたような内容を見ると頷けるとはおもいますが、強いショックを受けるとIQがガクンと低下して判断力が下がり、人の話している言葉をうまく認識できなくなるという事がわかりました。
おまけに、人と話すことが怖くなり、ビクビクしながら過ごすようになり、話していてもどこか挙動不審のような態度になってしまい、上手く人とコミュニケーションが取れなくなるのです。こうなって来ると、ありもしない被害妄想で頭の中が占拠されてしまい、毎日「何か」に怯えながら過ごすことになります。
ただ、自分自身を深く掘り下げて行く事で、その悩みは徐々に消えていきました。
これはやってみないとわからない話なのですが、自分が辛かった経験や、負の感情って言うのは、自分の胸の内にしまっておくから苦しくなります。
はじめはすごく嫌でした。
あんな辛いことや、辛い気持ちを誰にも見られたくなかったし、敢えて蓋を開けるような事をしたら、フラッシュバックして、またあの頃の自分に戻ってしまうのでは、頭がおかしくなってしまうのではないかと思いました。
ですが、自分が過去に抱いていた辛かった経験や感情を書いたり、言葉にして人に話すこと、つまり外に出していくことによって、今まで自分の中にあった負の感情が、ただのデータ(エネルギー)に変わることを知りました。
確かに自分の感情ではあるんですが、自分のモノではなくなるのです。もちろんたった一回出しただけで気持ちが楽になる訳ではありませんでした。これはやってみないとわからない話ですが、何度も何度も自分の気持ちを外側に出し続けることによって、徐々に自分の心を締めつけていた鎖のようなものが解けていきました。
その結果、今まで感じていた謎のソワソワ感や、孤独感をあまり感じなくなったのです。
むしろ、今まで感じたことのない根拠のない安心感や、静かに燃えるような自信、孤独すらも楽しめるような精神的な余裕が生まれるようになりました。
睡眠の質が上がったり、集中力がアップし、思考力が身につき、中途半端癖が減り、一つの物事をやり遂げる力が身につきました。
元々明るかった持ち前の性格も取り戻し、徐々に本来の自分らしさを出せるようになってきました。
そして、この自己理解を深めていくことが、情報発信ビジネスにものすごく役に立ってくるのです。
情報発信ビジネスは、自分の人生経験を発信して行くことによって、それに興味を持ってくれた人に対して商品を販売することが出来るというビジネスモデルでした。
元々、人と関わることが好きだったし、何より古着転売に飽きてきていたし、在庫を抱えるビジネスモデルには限界があるなと思っていました。
情報発信を通して、今までの自分の人生を通して学んできたことや、自分の興味のあることや、好きなこと、得意なことを仕事にしてみたいと考えるようになりました。
そこから情報発信ビジネスについて本格的に学ぶことになりました。私は、このビジネスを通して、沢山の仲間と出会うことができました。
例えば
ビジネス仲間で勉強会を開いたり
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自分主催のコミュニティを作ってみたり
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古着の仕入れ同行を企画したり
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ビジネス仲間と焚き火を企画したり
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プライベートでも飲みにいったり
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![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/133731841/picture_pc_b2033657e9461fa1f737daeb63f4a80f.png?width=800)
このように、自分の好きな事や、趣味がそのままビジネスに直結していくような形になり、人生まるごとが仕事になるのです。
私は、情報発信ビジネスを通して、自分が想像もしていなかった人との出会いがたくさん生まれるようになりました。
仙台にいた頃の私は、漠然とした悩みを誰にも相談することが出来ず、たった1人で悩んでいました。
ですが、情報発信ビジネスを通して、カタチは違えど自分と似たようなことで悩みながら生きてきた人と出会うことが出来ました。
家族でもなく、恋人でもなく、
友達ではあるけど馴れ合いではない
心の深い部分で繋がり合える仲間との出会いが私を成長させてくれました。
よく考えてみると、社会人になってから、定年退職をして、そして、この世を去る日まで一番長く続けて行くことが仕事だと思っています。
人生の大半を仕事で終えるのであれば、どうせなら仕事の取り組み方や、人間関係も、こだわって作っていきたい。
そして、それを可能にしてくれるのが情報発信ビジネスだと思っているし、そこで関わった仲間と共に成長していきながらやりがいや生きがいを感じた活動をしていきたい。
私はそう考えています。
ここまで長々と話してきましたが、少しでも興味を持っていただけたら幸いです。
それでは。
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