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創作大賞感想 路地裏に地図を作った案内人。蒔倉 みのむし


『見つけ次第消す課』通称『ミッケ』である。
どう見てもヤバイ店名である『月曜日をぶっ飛ばせ』(通称:げっぷ)
誹謗中傷等の事案については、ミッケではなく『犬猿のな課』(通称:犬課ケンカ)
NHKはnote発展課の略

蒔倉みのむし/なんのはなしですか。より
相関図。真偽は不明
まず読めるのかも不明

上記は、私が調べた限りの、蒔倉みのむし「どうかしている」情報だ。まったく「なんのはなし」なのか分からない設定だ。そもそも「なんのはなしですか」を題材にして小説を書くと初めて聞いたのは二ヶ月くらい前だ。

「なんのはなしです課」通信でいうと七通目辺りになる。その間十週間。十週間で「なんのはなし」でもない小説を書き上げた。

これを何と表現すれば良いのかとても困る。彼が書いたものに対する正当な評価を書けない。なぜなら、小説とは別の異質な才能みたいなものが溢れてきているからだ。

途中から怖くなった。彼が打ち出すパズルの嵌め方に、頭の中どうかしているのではないかと本気で思った。

この小説は、noteの街の路地裏が舞台だ。当然、noteの街には、路地裏なんてものは存在していなかった。

路地裏を創作したのは、現実の世界にいる私達だ。今でこそ、この十八週間でそれこそ「路地裏」が認知され始めているが、少し流行ったかなというくらいの時に彼は書くことに踏み切っている。

その時点で少しおかしい。彼は何に感化され何に突き動かされたのか分からないが、そこから一切ぶれずに自分の事と並行して進めている。この時点の何がおかしいのかとハッキリ書いておかないといけない。この発想の出発段階は、

私が、創作大賞への記事を出す前だからだ。

蒔倉みのむしは、もしかしたら一番の「なんのはなしですか」感染者なのではないだろうか。一貫して楽しく書くということを徹底している。彼は路地裏の人達に物凄く影響を受けている。

楽しく、くだらないことを書くことは、私が言っていることだったり、路地裏の住人達が実践していることだ。それを観察し、調べて小説に嘘みたいに落とし込んでいる。

路地裏に小説としての地図を作った。それも、現実に存在する私達を題材として登場させながら世界観を描ききった。

意味が分からない。画面の向こうの人間を読み取って物語にその本人がいるように落とし込んでいる。そこに少しの違和感もなく、全体を通して一貫して軽く、俯瞰しているような文体で読み手を試してくる。毎日続く連載に、いつしか次は誰がゲストなのか気になるようになる。小説に出演している人が笑っているのが見える。出演していない人も楽しんでいるのが見えてくる。

これは、なかなか出来ることではない。そしてこれは何よりも本当に意味があることではないからだ。

究極の内輪ネタだからだ。

内輪ネタを描くと大抵最初の熱の高さと周りとの温度差に気付く。だが、この作品はだんだん冷めるどころか熱を上げていき終わっている。それが彼の才能だと思う。

無価値の価値を構成と技術で価値ある読み物として引き上げている。

創作に対して調べることを妥協せずに、細かい部分にまで目を向けていて、周りの反応よりも自分が表現を追求する方が楽しいと感じているように思える。

材料を料理する才能がずば抜けている気がする。面白いと思ったものを繋ぎ合わせるのがずば抜けている。

脚本とかも勉強してみて欲しい。小説という表現方法の枠が彼に合っているのか本当に分からない。

完成したものは小説だが、きっといくらでも彼の頭の中ではシナリオを変化出来ると思う。それも自然な形でだ。読んでいたほとんどの人が「すごいな」という小説の感動とは違う違和感も感じていると思う。

そして、本当にこの無駄なことに費やした時間が尊いと私は思ってしまう。私達を喜ばせるために彼は書き上げた。普通ならやらないことを嬉々として書き上げている。

誰か本当に、この「おかしい人」を見つけてあげて欲しい。

あなたに影響を与えた先輩として、私は今後も逃げずに、真っ直ぐに貫く姿でいようと思いました。

なんのはなしですか

自分の感想を書かなきゃならないのに、滑り込んできて、全ての計画が狂ったはなし。

どうでもいいか






自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。