セブ島移住始めました
はじめましてみなさん。
現在セブ島に住んで9ヶ月になりました。そんな僕ですが、ただ住んでるわけではなく、ゲストハウスをやるためにこちらに住んでいます。
もしお時間あれば一読ください
まずはじめに自己紹介させてください
荒木元親 あらきもとちか
1993 12 9 射手座 動物占い長距離ランナーのチーター
東京出身 好きな食べ物 ラーメン二郎と富士丸
東京では、シェアハウス・bar・コワーキングを立ち上げたり、運営したり、失敗したり自分自身がずっと場所関係の事ばかりしていました。
今回は人生が少し変わり、進んだことを話そうとしているのですが、簡単にセブ島に住むまでの経緯を簡単に書いて行こうと思います。
小学校・中学校・高校とずっとサッカーをやっていました。
別にうまくもなく、ただただ毎日ボールを蹴っていました。
海外にも興味ないし、頭も良くない。やりたいことも特にない。企業や業種もよくわからない。
どこにでもいるような人間でした。むしろ、情弱な人間であり、なにも知らない人間でした。
ただ、大事にしているというか、自分の根本的なものはなんなのか?と聞かれたり、自問自答すると必ず思い出す事があります。
それは、自分が小さい頃に祖父・父と約束したことです。
「人を救える人間になりなさい」
この言葉を祖父の家にあそびに行くとずっと言われていました。
別にやり方や業種なんてなんでもいい。ただ、そういう人間になりなさいとだけ言われました。
まだ小さい自分は当時メガレンジャーを見ていたので、当たり前過ぎでしょとしか思ってませんが、人生賭けても人を救えるかどうかと今の自分は思いますが、当時の自分はメガレンジャーみたいに、人を助けたり、困ってる人を見たら手伝ったり、何でもやったるわという心意気でした笑
そんなメガレンジャーかぶれもいろんな経験をして、高校生になりました。
高校生のときに考えていたのが一つだけあります。
「社長になりたい。会社を持ちたい。」
なぜ?と聞かれても、「かっこいいから」としか返せなかっただろう笑
何かの仕事でtopになる。そうしたらかっこいいし、お金もあったら人も救えると、抽象的ですが、思っていました。
そして、大学生社長になるなら、経営を学ばなければと、経営学科に進んだ。
大学とは、その学問を本気で学びたいものが集まる場所だと本気で思っており、僕にとっては無くてはならない通過点だと思ってました。
しかし、扉を開けるとそこには期待に応えられるような環境はありませんでした。周りは飲み会大好き遊びが大好きとパリピが多くいました。
最初は流されまいと思っていたのですが、受験が終わり、地獄から開放されてしまった反動で毎日が飲み会でした笑
そんな日々を夏前までやっていました。
そんな時、ふと思いました。
「このままだったら、腐って死ぬ・人になにかできる人間になれっこない」こう思ったので、人生で初めて外の世界に行きました。
外の世界とは大学外のイベントや講演会など。
いろんな社長や学生なのにとても稼いでる人などいろんな人がいました。
大学にはいない人間が山程いました。
外の世界の人たちはやりたいことに走っていて、キラキラしていた。
「自分もなにかやってみるか。」
そう思ったときに始めたのが、Barを貸し切っていろんな大学の人間を集める交流会をやってみた。
自分自身が友達を増やしたいというただの願望を叶えるためにやっていました笑
が、これが案外うまくいった。
人生でたぶん初めてお金を稼いだ経験かもしれない。
第1回目がうまくいったので、2回3回と続けてみました。
その結果、バイトしなくてもギリギリ生活できるくらいにはなり、よりBARイベントのコンテンツを試行錯誤していました。
そして、どんどんやるにつれて2つの問題が出てきました。
1 飽きる 普通に同じこと淡々とやるということは難しいんだなと思いました。継続がどれだけ難しいか学びました。
2 楽しかったけど、やりたいことではなかった。 70歳まで同じような事ができるか?と聞かれたらnoと言うと思う。やりたいことってなんだろうと考える事が増えた。
そんな自分も大学3年生になってしまった。まわりがインターンや就職でソワソワしてきた。
そんなときに考えていた事はやりたいことってなんだろうという事だけ。
そして、そのやりたい事で人を救えることってなんだろう。
行き詰まっていました。
そんな時、経営者の方に言われた事が僕の人生を変えてくれました。
「どっか海外でも行ってきたら?なんかあるかも?しらんけど」
確かに海外って行ったことないな、行ってみるか。
その日にパスポートを申請し、航空券も取った。
ではどこに国に行こうと思った時、一番最初に浮かんだのがアメリカ。
夢が詰まってそう笑 たったこれだけ。
しかし、ただお金がなかったので断念。さすがに航空券が高すぎる。
自分が選んだのはセブ島でした。
アジアならやすいし何より、近いし、温かいし、おもしろそう笑
こんな適当な選択で自分の運命が変わると思ってませんでした。
8日間の旅。深夜2時着の便です。今の自分なら絶対に取らない便笑
初めての1人海外だったので、なにから何までわからない事だらけ。
けど、
このワクワクがとても楽しかった。
日本語通じない・暑い・電車ない・そこらへんで人寝てる。日本では考えられない事ばっかり。
アドレナリンが出まくりながら、ホテルに向かった。
そして、セブ島の歩き方を読み、観光名所を行きまくり、なんと2日で歩き方を制覇してしまった笑
2日で終わってしまったけど、初めての海外ですべてが刺激を貰えるものであり、全てが新しかった。食べ物も・飲み物も・家も・人柄も・気温も・文化も・当たり前も。すべてが全く違う。けど、僕にとって住みやすく、とてもおもしろい国でした。
この時僕は一つだけ強く思ったことがありました。それは、「いつかセブ島でなにかやってみたい」
この思いがいつまで経っても消えることはなかったです。
そして、日本へ帰国した時に、すぐにセブ島に行くことになるとこの時は思ってもなかったのです。。。。
大学も始まり僕はセブ島の大冒険のことをいろんな人に喋りました。そこで僕はある問題に直面しました。
僕の周りの友達は海外に行けない子・抵抗がある子が圧倒的に多かったのです。
僕は素直に勿体無いし、早く海外に出て欲しいと心の底から思いました。
しかし、彼らの問題はそれこそ無限にありました。その問題が結果海外への高いハードルになっていました。どうにかしてこのハードルを下げたいと思いました。
そこで僕は海外によく行くメンバーに聞いてみました。「なんで海外行くの?」すると彼らは二つの答えを導き出してくれました.。
一つは「楽しさ」です。
「世界遺産だったりビーチに行ったりご飯食べたりそれだけで楽しいじゃん」確かに人間は楽しさがないとダメだよなと思い人を動かすには「楽しさ」が必要だと感じました。
二つ目は「学び」でした。
「荒木は差別されたことある?」「荒木は近くに地雷埋まってたことある?」「荒木は環境汚染で苦しんだことある?」答えはすべてNOでした。『海外に行けばすべてが経験できるよ」と言われ納得しました。人間は『楽しさ」と「学び」で動くかもしれないと思いました。さらに僕の友達に『荒木とフィリピンに行きたいと言われました」僕はその時確信しました。
「楽しさ」「学び」「荒木」この三つでハードルを下げようと思った時に思いついたのが
スタディーツアーでした。
このスタディーツアーで海外に行くきっかけになってほしいとの願いを込めました。実際一人では何もできないですが、とりあえずやってみようと思いました。
そして、スタディーツアーは現在で約9回開催
累計200人もの方が参加してくれました^^
めっちゃうれしいですし、多くの人が僕に感謝をしてくれて、それだけで心がいっぱいになり、本当にやってよかったなと思いました。
そして、ツアーをやっていて思いました。
もっと便利な場所、拠点がほしいなと心から思いました。
しかし、探せど探せどそんな場所はありませんでした。
なら、自分で作るしかない
こんな理由で僕はゲストハウスを作ろうとして、、、
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