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乾杯に代えて

公の場で親友と自信を持って言える数少ない存在の彼が往復書簡っぽくnoteを書かないかと誘ってくれた。

デジタルな文通のようなものでしょうか。

おいらと彼が出会ったのは小学2年でおいらがサッカー少年団に入ったときだ。
名探偵コナンの真似事でサッカーを初めて見たが生まれつきの体の弱さと空間察知能力、バランス感覚、ひいては運動能力全般に乏しいおいらはサッカー自体を楽しめなかったが彼や他の同学年の友との出会いによって小学卒業まで少年団をやめることはなかった。

おいらから見た彼は秀才そのもの。
勉強は学年で常にトップで日本で名前を知らない人などいない大学に現役で合格しストレートで大学院まで出て、現在は東京住まい。
結婚も比較的早く、まさに日本での勝ち組路線の先頭を行っている。

一方のおいらは勉強も運動も苦手でスーパー不器用。
得意なのは浪費とパーティー。
そんなおいら達はなぜ小学2年から約20年もの間もっとも親しい関係でいることができたのだろうか。

変わる人もいれば変わらない人もいる。縦に変化する人もいれば横に変化する人もいる。そして変わらない人も大勢いる。

成長の方向は違えど、成長の速度が似ているような気がする。
だから今のところ何年経っても考えの波長が合うのだと思う。

今回の往復書簡の目的は叶わない乾杯をnoteで代用しようというもの。
2年前においらは日本を去ってヨーロッパに来た。
それ以来一度も帰国をしていないので乾杯はお預け状態。

ちょうど2年前に彼は結婚という大きな節目を迎えた。
お互いに相変わらず方向は違えど絶妙に同じようなリズムで進み続けている。

次に会った時の為にこれまでの2年でおいらがどう変わったかをここにまとめておくよ。


かっこつけることをやめた
自分のミッションを見つけた
人との対話を楽しむようになった

常に変化を求めて動き続けるおいらはこの2年ですごく変わった。もう本当にすごく変わった。笑
でもそれはある一点が大きく変わったというよりは、百ある細かい変化がおいらの中のあらゆるところで起きた。

なので起きた変化を列挙するのはもはや手遅れで不可能なのだがあえて自分で誇れる変化は上の3点ではないかなと。


かっこつけるのをやめた。

かっこつけて生きていたよ日本では。
母国日本ではかっこつけていないと生きにくかった。
恥の文化とは良く言ったものだが、今は格好つけている方が滑稽で恥ずかしい。
弱みは隠すものではなくて見せるもの。
ヨーロッパに住んで考えが変わったのだ。
きっと異国に住むという難しさを肌で感じたために格好をつけている余裕がなくなったのだろう。
でも今はすごく楽だ。周りのみんなはおいらの弱さやみっともない部分を初対面の時点で知ることができる。
気持ちが楽だ。
そもそもおいらは誰の為に格好をつけて生きていたんだろう。
おいらが格好をつけていても誰も得しないのに。


自分のミッションを見つけた。

おいらにはすごく抽象的な人生の目的が4年ほど前からある。
みんなの世界を小さくする。というもの。

地球の形は変えられないけど、人々がそれぞれ持つ世界のスケールみたいなのは変えられる。
おいらが世界の果てに居て、地元のみんなが見たことのないビールを見せることができる。
その瞬間その人のスケールは広がり、世界の果てが少しだけ近く感じられる。
そんな風なことをやりながら生きていこうと決めたのだ。

でも漠然としすぎていた。
あまりにも具体性に欠けていた為、ぼんやりしていた。
ヨーロッパに来て一年が過ぎた頃から絵を描き始めた。
狂ったように。
絵はおいらの言語のようなものになった。
世界を小さくするという趣旨からは少し脱線しているがより具体的なミッションがアートを通して与えられた。
ヨーロッパで日本よりもシビアな環境にいるおかげなのかもしれない。
みんな生きるのに必死だ。
幸運にも豊かな国で生まれ育ったおいらには思った。
幸せになるのはステータスでもお金でもない。
自分が自分らしく世界の一部となること。
それをアートを通して伝えていきたい。
かなり端折っているけれどもそういうミッションを得たのでこの頃は狂ったように絵を描いている。

日本にいた頃とは大違いだろう。


人との対話を楽しむようなった。
これは人との分かり合えなさに悩む彼に言いたいことかもしれない。
実は、人と対話をするという目標を2019年の正月に掲げ、一年間意識して取り組んだのだ。

そのきっかけは、当時アイルランドの職場の優秀な日本人の先輩である。
彼はトップセールスでプライベートでも周りの人をケアする器の大きな人だった。

そんな彼は北海道出身で高卒だが職場で高い能力を発揮できている先輩に惹かれた。
おいらは普段から読書をすることで知識を得たりや考える能力を養っているのだが、彼は読書も一切しない。
お酒の席で聞いてみた。どうやって能力を伸ばしているのかと。

答えは、人と対話を続けているとのことだった。
はっとさせられた。
これまでのおいらは自分のことばかりを理解しようとしていて、周りの人を理解しようとしていなかったのだ。

人との対話を繰り返すことで成長してきたという先輩を見て、おいらも対話をするよう決意。

人との会話を対話に変える。
具体的には、相手の気持ちと考えを分けて聞いたり、自分の本音を出して相手の本音を引き出して距離を縮めたり。
とにかく一対一で身近な人と深く対話するようになった。

ある事象に対しておいらはこう思ったんだけど、あなたはどう思った?感じた?それはなぜ?
そして相手の答えには全力で共感しようとした。
自分とは全く異なる価値観や考え方でも、そういう考えの人もいるよねーと納得する。
まだおいらなりの明確な対話のセオリーは無いけどもがむしゃらに格好つけることなく人と話すのは面白い。

なるほど、対話には成長させられる。

親密な関係の相手だろうと初対面の相手だろうと、外国人だろうと、いきなり対話は始められる。
お互いの意見に同意はしなくても理解はできる。
対話の相手が自身の気持ちや考えに整理がついてない時も多々あるが、そういう時は一緒に整理するのが面白い。

人の気持ちや考えには理由がある。
そこを共に探すのも対話ではないかと。

こうしておいらは共感力みたいなのが少し養われつつあって、人と分かり合える瞬間が増えていっている。

こんな感じで、良い変化の一つが対話をするようになったことかなー。

書き出すとキリがないので、この辺りで止まろうと思う。
時代の波にしたがってオンラインで乾杯できればと思います。

自分にしかできないことで人の人生を少しでも良くできたら。。。
この願望を叶えながら少しずつおいらはおいらの幸せに近づいていっています。
これは終わりのない旅でゴールなんか存在しない。
ひたすら自分の人生を自分のアートと思って進み続ける。

彼の悩みの原因もここにあるのかも。



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