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世の童貞に思うこと

私は学部時代、ふと思った。ヤリチンの行動にはある法則があるんじゃね?と。よく考えてほしい。ヤリチンってどこにでもいることね?各大学に一定数は必ず存在する。慶応のある飲みサーにだけ存在しているだけではない。これだけ世に蔓延ってるなら、超絶的な希少価値ゆえに成り立ってるわけではないはずである。可愛いあの子も実は裏でA君とヤりまくってたって話も結構普通にある。俺もやりてえ!

私のヤリチン研究生活の始まりである。

仮説を立てまくり、実行し、反省点を考え次に生かす。何度も繰り返していくうちに、ある程度私なりの法則が掴み始めていた。バイト先にセフレが3人いてカオスな状況も味わった。ハッピー!

そんな時、後輩や同期の童貞たちから相談を受けることが多くなった。童貞コンサルや!とルンルンだったが、童貞たちの良くない共通点が見えてくる。それは「失敗を恐れすぎてること」である。みな私のことを成功しかしていない人間だと思ってる。そんなことはない。今の私は幾多もの失敗という名の屍の上に立っており、今も普通に失敗はする。童貞たちはヤルまでの過程をRPGか何かと勘違いしている。この言葉を言えばヤレる、など全員が共通した何かをしていくことでクリア(セックス)できると思ってるがそれは違う。確かにある程度の共通点はあるが、全てではない。自分なりの武器を探し、その上でどこを磨くかを考えなければならないのだ。

ではどう武器を探すのか?

それは失敗しかない。

童貞たちは口を揃えて「めんどくさくなった」と逃げるのだ。あくまでめんどくさくなっただけで、やればできるという理由を掲げ、失敗はしていないと思い込んでいる。行動しろ!行動した先の失敗から経験や思考が生まれるものである。

童貞には童貞たる所以がある。私も元々セフレなんか作れるような人間ではなかった。よく喋るし、そのせいで色気がなくなってしまい、何も得られず虚しく家でオナる日も多かった。

何の成果も!!得られませんでした

結果には必ず原因があるように、失敗には必ず理由がある。しかし、仮説を立てなければ失敗の原因を探るのは雲を摑むような行動である。自分は日頃どんな話し方をしてるのか、女の子はどのタイミング、内容の言葉で反応が良かったのか。また奢ればヤレるわけでもない。何事も必要条件と十分条件をごちゃごちゃにしてはいけない。飯の前に仮説を立て、全ての行動に思考を巡らせろ。しかし、思った以上に成功しないことに悩むときもある。耐えろ。その先にユートピアはある。いつか可愛いあの子とヤる日のために。