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死人が出る物語は安直か

死者が出る作品に対し、「安直」「レベルが低い」といった批判を目にすることがある。誰かが死ぬことはショックで当然であり、それで読者を感動させたところで大したことではない、という主張だ。しかし、本当にそうだろうか?

ニュースでは毎日のように誰かの死が報じられている。不謹慎かもしれないが、それで感動したりショックを受けたりするだろうか? 見ず知らずの他人の死は「そうなんだ」と受け流してしまうことが多くないだろうか。

それはニュースで伝えられたのが単なる事実に過ぎないからだ。事実は想像力を掻き立てるものではないし、感情移入を促すものでもない。ただそこにあるものを、ありのままに伝えるのみである。そこに衝撃を受けるかは事実に対し、受け手がどれだけ関わっているかのみに左右される。

一方、物語は想像力を掻き立てる。人物の内面や住む世界、葛藤などをえがくことで感情移入を促し、架空の登場人物を実在の人間のように感じさせるのだ。そして彼らの死という事実は単なる物語上の出来事に止まらず、読者に大きな衝撃を与える。

現実と虚構。伝えられる事実のどちらが重いかなど聞くまでもないだろう。だが、実際の反応は逆。その理由は単純だ。物語を通して、読者が登場人物を血の通った人間として認識し、身近に感じたからだ。それはその物語が力を有する証拠である。

力のない物語では人を感動させることはできない。その中で登場人物が死んだところで「そうなんだ」以上の感想は出てこない。逆に言えば、人が死ぬことで感動させる作品とは、登場人物をしっかり人として仕立てている作品だということだ。

それだけの力がある作品が「安直でレベルの低いもの」だとは私には思えない。もちろんこの展開はどうなんだ、といった技法的な批判はあるだろう。しかしそれもあくまで「該当作品が力のある作品である」という前提上に立つ問題であって、作品そのものの良し悪しを語るのとは別の問題である。

(おしまい)

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それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。