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クリスマスプレゼント『だろ』が『だよ』じゃないから好きだという話

こんにちは。わたしは餅辺です。

突然ですが、あなたは『ブレンパワード』という作品を知っていますか? 非常に特徴的なセリフ回しがネタにされることで(一部で)有名なアニメです。それらセリフは唐突だったり独特すぎて初見で意味が分からなかったり、なんか意味不明だけど感動したり……視聴者に強い印象を残し、20年近く前のアニメにも関わらず、今なお愛され続けています。

しかし、その魅力は響きや突拍子の無さだけには止まりません。数々の特徴的なセリフの裏には当然ながら、発言したキャラクターの意思が、至った経緯が、事情が作り込まれています。

表題の「クリスマスプレゼントだろ!」は、主人公のライバルである24歳の青年が、敵同士となって再会した母親に言い放ったセリフです。その背景には、彼が8歳から13歳までのほとんどのクリスマスを一人ぼっちで過ごし、母親に対し非常に屈折した感情を抱えていたことがあります。

いい歳した大人が情けない、そんな昔のことでみっともない……そう思われるかもしれません。しかし本編を見てみると、そうした言葉で切って捨てるにはあまりにも重い、彼らの感情の動きが見えてきます。それがセリフに表層上の面白さだけでない深みを与えているのです。

今回はそんなブレンの中から「クリスマスプレゼントだろ!」の登場する第9話『ジョナサンの刃』について、そしてこの『だろ』がとても好きな理由を、このセリフが発されるまでの流れを追ってから、お話ししたいと思います。


未見の方へのざっくり解説

ここで、あなたがブレンパワードを知らない場合に備え、ざっくりとした説明を書いておきます。ブレンパワードとは、海底に沈む謎の宇宙船『オルファン』をめぐる人々の戦いを描いたアニメ作品です。

なぜ戦いを? その疑問の答えはオルファン自身にあります。オルファンは宇宙船でありながら生物的な特性を持ち、意思を持っています。そしてその目的は、地球から脱出し宇宙へ旅立っていくことにあります。

なら好きに出ていけばいいのでは、と思うかもしれませんが、そうも言えない事情があります。オルファンの全長は150km。そんなものが海底から出てくるには、当然膨大なエネルギーが必要となります。それを賄うためのエネルギーを、地上の生物から吸い上げることで満たそうとしている……そう考えられているのです。

当然、人類はそれを看過しません。一丸となってオルファンを海底に封じ込めようとします。ですがその一方で、オルファンをむしろ宇宙へ旅立たせようとする一団も現れます。それは多少の犠牲を払っても、というトロッコ問題のような考えからではありません。オルファンに乗り込み共に宇宙へ旅立てるなら、地上などどうなっても構わないと考えているのです。

宇宙に希望を見た彼らは『リクレイマー(開墾者)』と名乗り、地上の人々と敵対します。人数で圧倒的に劣る彼らの武器となるのは、オルファンの生み出す、全長11mほどの意思を持った人型マシン『グランチャー』です。その体内には操縦席めいたスペースがあり、戦闘における判断や反射神経を人間に任せることでより俊敏に戦うことができます。平たく言ってしまえば巨大ロボットとパイロットの関係です。

しかしグランチャーが生まれる時、一定の割合で『ブレンパワード』が生まれることがあります。これはオルファンから生まれながらも本能的にオルファンを憎んでいます。グランチャーと対等に戦えるブレンパワードは、人類にとっての味方となる存在です。

主人公の伊佐未 勇(いさみ ゆう)は、幼い頃から両親や姉とともにリクレイマーに属していたものの、ふとした出会いからその過激な出張に疑問を持ち始め、ついには研究用のブレンパワードとともに出奔。軍艦『ノヴィス・ノア』に合流し、リクレイマーと戦う……というのが主な筋書きです。


本題の解説

「クリスマスプレゼントだろ!」は第9話『ジョナサンの刃』に登場する『ジョナサン・グレーン』というリクレイマーのセリフです。そして言葉を向けられたのは彼の母であり、リクレイマーと敵対するノヴィス・ノアの艦長でもある『アノーア・マコーミック』です。

彼らは実の親子でありながら、姓は違っています。というのも、ジョナサンが家族であることを否定するために、マコーミックの姓を捨ててしまったからです。このことから分かるように、彼らの親子関係は暗い色彩を帯びています。

しかし母であるアノーアはそうは考えていませんでした。彼女はジョナサンを愛していたので、息子も当然母を愛していると考えていました。たとえ艦長職が忙しく、幼少期のジョナサンの元にろくに帰れずとも、青年時代にしばらく会えていなくとも、心は繋がっていると信じていたのです。その証であり、彼女の心の支えにもなっていたのは、息子が10歳の時にプレゼントしてくれたクリスマスカードでした。

しかしそんな思い込みは、再会したジョナサンその人によって打ち砕かれることになります。アノーアの艦と敵対関係にあるリクレイマーのジョナサンが現れたのは、当然友好的な目的ではありません。彼はオルファンが探し求める、とあるものを手に入れるためにノヴィス・ノアに潜入していたのです。

不運な偶然が重なり、ジョナサンはすぐに発見されてしまいますが、そんな事態を想定していない彼ではありません。銃と、自身に巻きつけた強力な爆弾をネタに、アノーアを含む船員たちを脅迫したのです。彼は不遜な態度で『私はリクレイマーのジョナサン・グレーン』と名乗って見せます。

ジョナサンはアノーアを憎んでいました。仕事の忙しさを理由に、多感な時期にないがしろにされ、孤独を味わせ続けたこと。それでいながら自分が立派な母親だと考えているその傲慢さを。この潜入任務は、母が望まない形に成長した自分を見せつける、母への意趣返しでもあったのです。

しかし人質を確保したまま進んだ先で、彼は信じがたいものを目撃します。自身を顧みなかったはずの母が、14年も前、自分が10歳の時に渡したクリスマスカードを大事に飾り続けていたのです。

この事実にジョナサンは大きく動揺し、アノーアに詰め寄り、否定の言葉を浴びせかけます。

「あんたにはカードを持ってみせるような見せかけの愛しかない! こんなことやられたって……子供にはわからない! 伝わらないんだ! 男との愛情を育てるのを面倒がった女は……っ子供との愛情を育てるのも面倒だったんだよなぁ? だから俺を捨てて、仕事に逃げたんだ!」

一方のアノーアは「あなたを愛しているわ」と答えつつ、後ろ手にコントロールパネルを操作し、艦の操作をロックしてみせます。口では愛だと言いつつも自身の職責を優先した母の姿に、ジョナサンは薄っすらと口角を歪めます。

そんな彼に、アノーアは「殺したいのならそうしなさい。それであなたの気が済むのなら」と言ってのけます。しかしジョナサンにとって、それは何の意味もない提案に過ぎません。口では憎しみを叫びながらも、ジョナサンは母を愛していた。愛していたからこそ、その愛が得られないことを怒り、憎んでいたのです。

ここでアノーアを撃っても、彼の気が済むことは絶対にありません。にも関わらず、それを母は理解していません。ただ表面上の憎しみだけを読み取って、それでいて全てを理解したように振る舞っているのです。

「よく分かっているじゃないか」

口ではそう言い、銃を向けるジョナサン。しかしその内心にはそんな憤りが渦巻いていたのだと思います。

場面は変わり、ジョナサンは言葉巧みに誘導され、人質とともに艦の格納庫に閉じ込められてしまいます。

そんな中、アノーアは『母として』ジョナサンの説得を試みます。彼女は説得に際し、ジョナサンが引き継いだ遺伝子を引き合いに出します。アノーアには夫がいません。彼女いわく大変聡明な方の精子を買って、シングルマザーとなったのです。その優秀な遺伝子を引き継ぐジョナサンには、自分の行いの愚かさが分かるはずだ、と。

しかし子供を嗜めるように語りかけた言葉は、ジョナサンの怒りの火に油を注ぐだけでした。つまり母は「どういう人間に育つかは生まれる前から決まっていて、私はそのために最大限の努力をした。だから自身の養育に問題はない」そう言っているのだと受け取ったのです。

二人は口論になりますが、他の人質も黙って見ているわけはありません。彼らは厳格な艦長として過酷な責務をこなしていたアノーアを知っています。人間、無理なものは無理なのです。だからこそ一方的な怒りを理性的に諭そうと試みます。

「そんな憎まれ口を叩けるのも、命を与えてくださったお母さんがいたからでしょ」
「艦長は毎日君のことを思っていたぞ」

しかしそんな言葉はジョナサンの心には届きません。彼にあるのはただ、抱え続けた理屈にならない苦しみを誰にも理解してもらえず、理屈で否定されるということへの憤りです。

「勝手に思ってるだけの想いなど、子供に伝わるわけがないだろぉ!」

そして理屈を理屈で一蹴しながらも、ジョナサンは同時に困惑していました。まるっきり伝わらない独りよがりな形であったとしても、渇望し続けた母の愛は確かに存在していた。そうだとすれば自分はなぜ、苦しみ続けなければならなかったのかと。

言語化するには難しすぎる相反した感情を前に、ジョナサンはただ唸り声を上げ、抱えた問題から目を背け、リクレイマーとしての自分に戻るしかありませんでした。

一方、格納庫の中でそんな会話がされている間、外も黙っていたわけではありません。勇たちは人質を救出すべく、ブレンパワードを使った作戦に出ます。それには中にいるジョナサンの気を引く役目を、誰かが担わなければなりませんでした。

人質となっていた幼い男の子『クマゾー』はジョナサンの気を引くため、彼に話しかけます。そして子供ながらの純粋さゆえに、大人たちがあれこれ言い争いながらも誰も触れなかった核心を口にします。

「お兄ちゃん、お母ちゃんのおっぱい、欲しいんだも?」
「ママのおっぱいが欲しいんで、ここに会いにきたんだも?」

本心を見透かされたジョナサンは激昂し、年端もいかない子供を平手打ちにします。そのことを他の人質から一斉に咎め立てられ、何よりそれほどまでに憤激した自分自身にジョナサンは動揺します。

「違うぞ、違うんだ。俺はこんなことの為にここに来たんじゃない!」

自身の感情を整理できず、冷静なリクレイマーとしての自分にも戻ることができなかったジョナサンは、混乱のままクマゾーに銃を突きつけます。自分の本心を見抜いた存在を、この感情の元凶を取り除くことで、とにかく心を鎮めようとしたのです。

しかし子供が殺されようとするのを黙って見ている大人はいません。クマゾーが気を引いていた隙に拘束を解かれたアノーアは、息子が罪を犯すのを止めるべく飛びかかり、銃を突きつけます。

緊迫した状況を破ったのは、勇の乗ったブレンパワードでした。この突入により事態は一転します。これによりジョナサンは一旦は乗員に捕らえられますが、爆弾を使って混乱を生み出すと、ふたたびクマゾーを人質にし、艦内を逃走します。

一波乱ありながらも、なんとか出口へと差し掛かったジョナサン。しかし先回りしていたアノーアがそこには待ち受けていました。息子を傷つけたくない母は、投降するように説得します。

「いい加減でクマゾーくんを離して投降なさい。そうすれば悪いようにはしません」

これを聞いたジョナサンは激昂します。怒りを、不信をどれだけ伝えても、それでも『自分は息子に信じられている母である』という前提を崩さない母。その傲慢な言葉に、積もり積もった怒りが爆発したのです。

「嘘をつけぇ! 悪いようにはしないなんて ずぅっと言ってきたじゃないか! だけどいつもいつも裏切ってきたのがママンだ!」

「そんなことありません!」

「8歳と9歳と10歳の時と、12歳と13歳の時も僕はずっと! ……待ってた!」

このセリフには主語がありません。主語がないのはつまり、それが二人の間で共有される前提であり、省略しても伝わると思っているからです。

いつまで経っても母が帰って来ず、たった一人で過ごした寂しいクリスマスのことは、当然母も負い目に感じている。クリスマスカードを飾ってくれているくらいに思い入れがあったんだから、あんなに苦しい思いをさせたクリスマスのことを覚えていてくれているはず。だから『自分が不信を感じている』ことを分かってくれるはず。

ですが……

「……!? な、何を……」

アノーアは答えられませんでした。息子にとって至上の苦しみだったクリスマスの一日は、母にとっては何の変哲もない、普通の一日に過ぎなかったのです。ですが、彼女は彼女なりに息子を愛していて、その息子が本気で怒っていることだけは理解できました。だからただ、当惑のままに聞き返すことしかできませんでした。

それはジョナサンにとって、前提の崩壊を意味していました。ずっと抱えていた心の欠落を埋めるため、渇望していた母の愛。何度も何度も期待し、裏切られてきたそれが、今度こそ手に入ると、自分の知らない場所にあっただけなのだと思えたその時、結局そんなものはどこにもなかったのだと気づかされたのです。それを悟ったジョナサンはただ、万感の想いを込めて叫ぶしかありませんでした。

「クリスマスプレゼントだろぉ!」

『だろ』というのは何かを断定する時には使われません。そういう時には『だよ』『だ』を使います。『だろ』はいわば、知っているはずのものを再確認させる、思い出させるために使う言葉です。

つまり『あんたは当然知らなかった』と断定し、知らないことを教えてやるという前提にある『だよ』ではなく、『どうして知らなかったんだ、あんたは知っていたはずじゃなかったのか』という失意や落胆、そしてどうしようもない憤りが『だろ』という二文字を選んだことに籠められているのです。

声優さんの熱演、絵の力、音響。それらと合わさり、この二文字が表した感情の動き。わたしはこのセリフをアニメを見る前から知っていました。ですが本編でこのシーンを目の当たりにした時、衝撃を受けました。そしてこのセリフが、ネタ的な意味だけでなく愛され続けている理由の一端を知った気がしました。

親子の決裂はもはや決定的なものとなり、アノーアはただ、艦長としての責務も忘れ、クマゾーを連れて逃げていくジョナサンを前に、呆然としていることしか出来ませんでした。……アニメ本編はこの後も続き、見せ場もあるのですが、ここでは割愛します。

ですが、アノーアが薄情だとか、母として失格だとか、そういうわけではないとわたしは思います。ジョナサンの糾弾には『11歳』の時が欠けています。これは10歳の時にクリスマスカードを贈られたのが関係しているのでしょう。

おそらく彼女らは11歳の時にはクリスマスを共に過ごしたのです。それはアノーアが、ジョナサンがクリスマスを楽しみにしていると知ったから。知ることができたからこそ、息子のために忙しい日々の合間を縫って家に帰ってきたのです。

ですがそれは、ジョナサンに取って不完全なものだったのです。彼が求めてやまなかったのは母の愛、言い換えれば『無条件の、絶対的な』自己肯定でした。だからこそそれは『クリスマスカードを贈ったから』……自身の行動の対価として与えられてはならなかったのです。

10歳以降のカードが登場しない以上、ジョナサンはそれから一度もカードを贈っていないのでしょう。それは彼が、母の愛が無条件で示されるかを、いわば試そうとして取った行動なのだと思います。

ですがアノーアは、それを『もう母とクリスマスを一緒に過ごす年頃じゃない、もう十分だ』というメッセージだと捉えてしまったのです。せっかく無理に休みをとっても、息子はさして喜んでくれない。それなら一緒に過ごさなくても別にいいだろう。だからこそアノーアにとって、クリスマスは『自分にとっても息子にとっても普通の一日』であり、その日に息子が一人だったからといって、殊更に記憶に残すことはなかったのでしょう。

どちらも人間である以上、どちらかが悪いとは言い切れるとは私は思いません。ただ、だからこそ心に残るエピソードになったのだと思います。


未来へ

今回は意図的に割愛しましたが、この『ジョナサンの刃』にはまだまだ魅力が詰まっており、コメディリリーフのように汚い金持ちを体現するミスターモハマドや、クマゾーの見せた勇気、母親をなぜ憎むのか理解できないヒロインの比瑪……ジョナサンもこうしたナイーブな一面だけでなく、格好いいところを見せてくれたりもします。

さらにはこの一つ後の話も、ジョナサンの言葉にショックを受けたアノーアや、彼とリクレイマー時代に交友があり、同じように家族関係に大きな悩みを抱える勇が意見をぶつけ合い、そしてアノーアが衝撃の行動に出るなど……見所がたくさんあります。

ブレンの本編はネット配信もされており、レンタルビデオ店にわざわざ行かずとも家で楽しむことが可能です。この記事をきっかけにあなたがブレンをもう一度楽しんでいただけたら嬉しく思います。(未視聴でしたら、この期に是非どうぞ)

最後まで読んでいただきありがとうございました。

Photo by 🇸🇮 Janko Ferlič on Unsplash

【おしまい】




【AD】普段はこんなものを書いています

【AD】こちらは自作の中編小説です。少しグロいものの面白いと自負しています


それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。