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姥捨山で会いましょう

1980年。未来は素晴らしいと誰もが信じていた。
2000年。懐疑的な意見は少数に収まっていた。
2020年。過去の多数派は、楽観論者と笑われた。

そして2042年。古希を迎えた武谷大輔にとって、世界は最悪の形に変わっていた。

「…もうこんな時間か」

夕焼けの光が差し込む一軒家。清掃業者が去り、がらんどうになったリビングを眺め、大輔はぼんやりと思った。この家はこんなに広かったのかと。

氷河期を越え、妻と二人三脚で上り詰め、死に物狂いで建てたマイホーム。ローンの支払いと息子の学費に四苦八苦した日々も、振り返れば充実していたように思える。少なくとも空っぽの今よりはずっと幸せだっただろう。

この家は明日、政府に差し押さえられる。老人には不要だからだ。5年前に施行された『特定高齢者保護法』は、年金制度の廃止と引き換えに、健康で文化的な最低限度の生活を保証する施設へと、孤独な老人を入居させることを定めた。

当然反発はあった。だが弱者のため闘う者たちを、世間は「仕方ない」の一言で片付けた。誰もが自分のことで手一杯な時代、人里離れた山奥に作られた施設は、選択の結果から目を背けたいという意思を体現したかのようだった。

大輔は妻と息子夫婦の遺影を眺める。みな、先に逝ってしまった。それでも生きてきた。その先に何かあると信じていたから。それがこんな仕打ちだと知っていれば、自分は頑張れただろうか?

「う…」

嗚咽が漏れ、零れた涙に気づく。カーテンはすでにない。男のプライドが、彼をトイレへと進ませた。狭い個室の中で、彼は1人泣いた。

…空っぽの老人に何が残されていただろう? 赤く腫れた目にそれでも宿るのは何の光だっただろう? 怒り? 絶望? 憎悪? …否。それは後ろ向きの感情ではない。

「…今まで、ありがとう」

我が家に一礼し、大輔は歩いていく。前を向く瞳に、希望という名の光を宿して。

(会いに行こう。姥捨山のあの人へ…)

【続く】

それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。