見出し画像

石のエッセンス?

ペトリコール

「ペトリコール(Petrichor)」という言葉をご存じだろうか。日本版Wikipediaには「雨が降った時に、地面から上がってくる匂いを指す言葉。ギリシャ語で「石のエッセンス」を意味する。」とある。さらに、この言葉は1964年に豪の二人の鉱物学者がネイチャーに発表した論文の中で作った造語である旨が述べられている。語感では古代からあるような感じがするが、存外新しい言葉である。私は知らない言葉だったのだが、ゆる言語学ラジオ的には、これは蘊蓄クリシェとのこと。それでは、覚えておかねばならないだろう。

ちょっとした疑問

まあ、現実には使う機会もないしwikiの冒頭記述だけ覚えておけばいい話なのだが、例によって細かいことが気になりだした。「ギリシア語で「石のエッセンス」を意味する」と書いてある部分。「ペトロ」はペトローリアム(原油)などでも使われるようにギリシア語由来で「岩石」の意なのは知っているが、「リコール(イコール)」の部分が分からない。これがエッセンスという意味なのだろうか。そもそも「石のエッセンス」って何? 植物のバニラから抽出した香料をバニラエッセンスというが、これも石から感じられる「匂い」なのでエッセンスと名付けたのだろうか。

エッセンスはどこから?

日本語版のWikipediaではよくわからないので、英語版を見てみると「(Petrichorという)言葉は、古代ギリシア語で岩を表す”petra”(または石を表す"petros")とギリシア神話の神々の血液にあたるエーテルの流れを表す"ikhor"から構成されている。」(The word is constructed from Ancient Greek πέτρα (pétra) 'rock', or πέτρος (pétros) 'stone', and ἰχώρ (ikhṓr), the ethereal fluid that is the blood of the gods in Greek mythology.)と記述されている。イコールとはそういう意味なのかと納得。別の辞書をみると「イコル(神々の体内を流れている霊液)」という説明もあった。言葉の成り立ちは少し明確になったが、エッセンスがどこから来たのかが依然としてわからない。

論文をあたってみる

冒頭に書いたように、この言葉は1964年に書かれた論文の中で作られた言葉だが、幸い当該論文の最初のページだけはネットで閲覧できる。言葉の定義の部分を見てみると"The diverse nature of the host materials has led us to propose the name 'petrichor' for this apparently unique odour which can be regarded as an 'ichor' or 'tenuous essence' derived from rock or stone.”とある。なるほど、ここで"essence"がでてくる。
直訳してみると「(臭いのもととなる)ホスト物質の性質の多様性に照らし、岩や石に由来する「ichor」あるいは「繊細なessence」とみなすことができるこの明らかに特徴的な匂いの名称を「ペトリコール(petrichor)」とすることを提唱したい」といった感じ。ichorもessenceも非常に日本語になりにくい言葉である。

訳語を少しだけひねってみる

ここで冒頭の気になりポイントに戻る。原論文の記述をみてみると、日本語wikiの著者が「石のエッセンス」という表現を使った気持ちはよくわかる。ただ、やはり、ペトリコールという言葉が"petr+ichor"で構成され、”ichor”自体には”essence”の意味合いはないと思われるので、ペトリコールという言葉の意味の説明としては、「「石のエッセンス」を意味する」は必ずしも適切ではないように思う。「石のイコル(ギリシア神話で神々の体内を流れるとされる霊液)を意味する」とでもする方がよいのではないだろうか。
なお、"ichor"には派生的な意味として医学用語の「膿漿 ]という意味があり、論文の著者がそのイメージで使っている可能性もなくはない。その場合は「「石の滲出物」を意味する」といった表現になるだろうか。

いずれにしても、Wikipediaの記述をいじらなければならないようなものでもなく、どこまで行っても、私の納得感のレベルの話である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?