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小さな誤報 ~ 総理の”焦り”について 

岸田総理が電撃的にウクライナを訪問し、ゼレンスキー大統領と会談した。G7議長国として広島サミット開催前に何としてもウクライナを訪問を実現したかった総理としては、数少ないチャンスをうまく生かした外交的に意義のある訪問であったと思う。

 ところで、これに関する報道をネットで見ていると日テレニュースに次のような表現があった。「今回、 “極秘”とされた電撃訪問には、G7の議長国として迎える広島サミットを前にした「焦り」もあったとみられています。」また、地方紙の見出しの中には「G7で出遅れ、焦る 首相キーウ訪問」迫るG7サミット、首相に焦り 議長国のみキーウ未訪問 与野党も要求」という表現も見受けられた。

どう思われるだろうか。総理の「焦り」という感情が、今回のウクライナ訪問の動機の一部を構成していると受け取られないだろうか。さらにいえば、訪問計画が総理の「焦り」に影響されて「拙速」なものであるという印象をニュースを見るものに与えないだろうか。そもそも「みられています」って誰にみられているの?せめて、責任回避の受動態ではなく、(日テレとしては)「焦りもあったとみています」と能動態でいうべきではないの?とにかく、非常に安易に「焦り」ということばを使っており、報道内容自体を安っぽくしていると感じる。

一方、時事通信の配信記事の中に「政府関係者は先週、首相の様子について「G7で議長だけ現地を見ていない状況への焦りはかなり深い」と明かし、インド訪問に合わせてウクライナ入りに踏み切る可能性を示唆した。」という表現がある。また、NHKのネット記事コーナーである「政治マガジン」の記事では、昨年秋頃の状況について「年明けからのG7議長就任が目の前に迫ってくるにつれ、岸田は焦りを感じるようになっていた。」という記述がある。

こちらの記事も総理の「焦り」について触れているが、いずれも、ウクライナ訪問の機会をなかなか作ることができないことについての総理の心情を述べたもので、真に総理の心情がそうであったかは知るすべはないのではあるが、事態の背景描写としてはそれほど違和感はない。許容範囲だと思う。

総理が相当以前からウクライナ訪問を強く志向していたということはこれまでも各種報道で散々触れられてきている。国会日程をはじめとする諸事情でなかなか訪問のタイミングがつかめないうちに、サミットが迫ってくることについての「焦り」はあったかもしれないが、それはあくまでも周辺事情の一つであり、今回の訪問の直接的な動機ではないだろう。

何よりも問題なのは「焦り」ということばを強調するがゆえに訪問計画自体が不十分な中でなされたものとの印象を与えかねないところにある。訪問計画自体は、ウクライナのみならず、インド、ポーランドなど関係する国々とも調整の上周到に計画されたものであるはずである。例えば、日テレニュースの記事は「今回、 “極秘”とされた電撃訪問は、G7の議長国として迎える広島サミットを前に、何としてもウクライナ訪問を実現したいという総理の強い意向を踏まえ、インド訪問という機会を利用して周到に準備されたものとみられています。」という書き方も可能で、これなら随分印象が変わるのではないだろうか。
 別に総理を誉めろといっているわけではなく、言葉遣いによって、事態の印象が左右されるような報道の仕方はよくないと思うだけである。「焦り」という言葉一つの使い方という細かい話ではあるが、個人的には、今回のウクライナ訪問に関して、「焦り」を訪問の”動機”の一つとして報じるのは「小さな誤報」だと感じる。神は細部に宿りたまう、というわけではないが、信頼あるメディアを指向するのであれば、こういう細部の積み重ねにも気を配ってもらいたいものである。

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