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『感謝』には「ありがとう」と「すみません」の2種類がある?

 どうもこんにちは。もちもちです。
 いまSNS界の魔境都市Xにて、ある車椅子ユーザーの話が議論を呼んでいるのはご存知でしょうか。

 話の内容をかいつまんで説明すると、とある映画好きの女性車椅子ユーザーの方が、それまで何度か座席までの移乗介助を頼んでいた映画館からやんわり出禁をくらったというものです。

 この出来事にその車椅子ユーザーの方は大変ショックを受け、悲痛な胸の内をXに投稿。そのポストは瞬く間に拡散され、一部界隈で白熱した議論が行われる運びとなりました。

 お題はもちろん、その車椅子ユーザーを出禁にした映画館の対応の是非について、です。

 あなたはこの件についてどう思うでしょうか?
 俺の個人的な意見を言わせてもらえば、この車椅子ユーザーが出禁になったのはやむなしかなと思っています。

 何故なら映画館のスタッフは映画館のスタッフであって、介助スタッフではありません。そういうオプションサービスを実施しているならともかく、そうでないのなら完全な業務外であり、頼むことがまずお門違いだと思うからです。ましてや出禁にされてネットに大々的に恨み言を吐くとか根性がねじ曲がってるとしか

 ……と、まぁこの出来事自体は正直どうでも良くて、俺が今回こうしてnoteを書いているのは、その後に繰り広げられた議論の中でちょいちょい見かけたある意見が気になったからです。

 その意見というのが、「人に感謝し続けないといけない人生というのは自尊心が削られ続ける」というもの。

 (この後に「だから障害がある方が他人に助けられることについて感謝する必要はない」という話に繋がるのですが、今回その辺の話は割愛します)

 この意見が俺には全く理解できませんでした。
 だって「ありがとう」と言って自尊心が削られたなんて経験、今まで一度もしたことが無いからです。

 むしろ「ありがとう」という言葉ほど便利な言葉は無いと思っていました。誰かに何かしてもらった時、とりあえず「ありがとう」と言っておけばどうにかなります。

 何せ「ありがとう」と言われて嫌な気分になる人間なんてまずいませんからね。

 もちろん、中には「俺は人に感謝されると虫唾が走る……!」なんて人もいるかもしれませんが、それは間違いなく関わり合いにならない方が良い人間なので、早々にヤバい人のスクリーニングができたと思えばむしろプラス。

 百利あって一害なし。老若男女、国籍問わずとりあえず言っておけばどうにかなるコスパ最強の魔法のワード。それが「ありがとう」という言葉。

 ……という認識だったので、「感謝し続けると自尊心が削られる」という話が俺にはどうにも理解できませんでした。

 そんな「感謝」に対する考えの違いがどうにも気になり、その発言の周りをウロチョロしていた矢先、俺はあるひとつの可能性に思い至りました。

 それは「感謝し続けると自尊心が削られる」という人たちにとって、「感謝」とは「ありがとう」ではなく「すみません」なのだ、ということです。

 俺にとって「感謝」とはお礼ですが、彼らにとって「感謝」とは謝罪なんですね。

 であれば、「感謝し続けると自尊心が削られる」という言葉の意味もわかります。謝りっぱなしは確かに自尊心が削られますから。

 ただそうなると、俺と彼らの間にある「感謝」に対する認識の違いは、一体どこから生まれたんでしょうか?

 元の性格の違いなんでしょうか?
 それとも生まれ育った環境の違い?

 その辺の経緯はどうあれ、この認識の違いは相当生きづらいだろうな〜と思います。だってお礼が言えない/謝れない人間ってまず間違いなく好かれないですからね。

 ここは健常者も身体障害者も関係ない、人間関係における基礎の基礎です。

 事の発端となった映画館を出禁になった車椅子ユーザーの方も、「とても残念だけど今までありがとうございました」の一言を付け加えられていたなら、ポストへの反応もまた全然違ったんじゃないでしょうか。

おわり





ここまで読んでくれた人、どうもありがとうございました!

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