君の名前で僕を呼んで 感想

映画 君の名前で僕を呼んでを先日鑑賞した。
舞台は1981年の北イタリア。
17歳のエリオの元に、エリオの父の研究の手伝いに訪れた24歳のオリバーとの一夏の同性の恋を描いた作品だ。
この映画の存在は数年前から知っていたのだが、詳しい内容は知らずただの恋愛映画だと思っていたので、同性愛を取り扱った作品だということは先日初めて知った。

鑑賞者に非常に深い知識を要求する映画だというのが鑑賞直後の印象だった。
1981年という時代背景、作中で度々出てくる古代ギリシャの彫像や文学などの知識がなければ真の意味でこの作品を理解することはできないだろう。
感情の機微は事細かく描かれており、その殆どが抽象的であるために、ただ映画を見るだけでは「長々と同性愛の描写を見せられている」としか認識できないはずだ。
もちろん北イタリアの自然豊かな描写は美しいし、演者だけでも見れるものはあるだろう。
だが1981年は同性愛というもの自体に深い理解がなくそういった背景で、同性愛者が実際にどのように生きていたのかを理解しなければ主人公2人の心情は把握し難い。

万物は流転する。
作中のあるシーンで引用されているこの言葉は、同時にこの作品をも象徴している。
結局至福に包まれた瞬間であろうとも耐えがたい苦痛となって引き裂かれる。
しかしその痛みもまた喜びになる。

先程時代背景や知識を理解してなければ理解が難しいと書いたが、そうであってもこの作品は心情理解が難しい。
言葉では殆ど語られず、エリオとオリヴァー以外の登場人物の行動もそこまで描かれていないからだ。
何を考え何を感じたのかを想像しなければならない。
だからこそこの映画は感情を美しく描き出している。

優れた映画に必ずしも慟哭やドラマティックなシーンは必要ない。
ラストの3分はまさしくこの映画がどういう話であったかを一切の言葉なしに映し出していた。



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