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友だち、恋人、同僚、あらゆる関係性スーパーラブ

働き始めてから初めての土日休み。正確には先週の6,7日が初めてだったけれど、入社した4月1日から1週間研修所で泊まり込んでいたため、働いていたという感じがせずむしろ旅行帰りのような感覚だった。その研修が終わり、やっと出社するようになった今週。働いた、、、!という感覚のまま金曜日を終え、社会人として”はじめての”土日休みを迎えたのである。とはいっても、2ヶ月は研修&定時帰りなのでまだ社会人(仮)の状態だけども。

研修所では朝から晩まで誰かがとなりにいてあまりにもひとりになる時間がなく、かといって部屋に帰れば孤独になるだけで胸のつかえが取れなかった。2日目からたまらず夕食後散歩に出かけた。今となってはその時間がすごく恋しい。丁度良い気温と湿度、山がちだけど海が見える街。集団でいるときは好きじゃなかった場所が、ひとりになるとこんなに良い場所にいたんだと気付いてひとりでぎゅっと空気を抱きしめた。そのときずっとthe chef cooks meの『最新世界心心相印』を聴いていて、今聴き返すとその街の風景や空気の肌触り、気持ちがびっくりするほど新鮮に思い出される。歓迎会が催された水曜日の夜。同世代の男女100人と仕事と夢の話でごった返す会場が嫌すぎて最初の乾杯と食事だけを済まして抜け出した。こっそり1階の大浴場に行き、まだだれも使っていない広い湯船に外から聞こえるはしゃぎ声を聴きながら浸かったときの得も言われぬ悲しさなどを思い出す。もしかしてこれから聴き返す度にそれらを思い出すのだろうか。

土曜日。1年ぶりの友だちと遊ぶ。フリッツアートセンター初めまして。彼と遊ぶと知らなかった自分と出会えて楽しい。ふたりの会話の中には、「なんか良い」が詰まっているように感じる。Kくんもそう感じてくれているといいなと思う。
敷島公園は桜が散り始めていてとても良い気分だった。入口でソフトクリームを買って食べながら桜の森を横切ったとき、ひらひら舞う桜の花弁をソフトクリームで捕まえようとしたけどうまくいかなかった。それを笑い合えて良かった。

日曜日。幸い(まだ)サザエさん症候群にはなっていない。夕方サザエさんを見なかったので気付かなかっただけでこれからどんどん進行していくかもしれないけど。
「パストライブス」を観た。ギリギリに出発したが上映開始15分前に着いてガッツポーズしたのもつかの間、ロビーはコナンを観るであろう少年少女、付き添いの親でごった返していた。いつも平日に観ていた学生気分が抜けきっておらず、土日の映画館の地獄を忘れていた。食べ物売り場の列なんか映画館からはるか飛び出して隣のサンマルクカフェにまで伸びていてそこで買うのは0.00001秒で諦めた。反則だが背に腹はかえられない、サンマルクカフェで飲み物を買って入場した。コナンすごすぎる。右も左も上も下も全部コナンを上映していた。入場する人たち全員が同時に4つのシアターで上映されるコナンに吸い込まれていった。たまにドラえもん。
3番スクリーンはガラガラでほっとした。

恋愛映画かと思ったけど恋愛がすべての映画ではないと見終わってわかった。幼い頃別れた幼馴染みの男女が12年ぶりにSNSを介してネット上で再会したものの再び疎遠になり、また12年後お互いパートナーがいる状態で今度は正真正銘の物理的な再会を果たす、とここまで聞くとありがちでベタベタなラブストーリーのようで、2人は駆け落ちして愛し合うのか、と想像するが最後までふたりには恋愛が絡んだ出来事が何も起こらない。その現実的な関係性を魅力的に感じる一方、もしも幼い頃離ればなれになっていなかったら、とあらゆるもしもを考えてしまい切なくなった。しかし、作中で片方の男性の「君が故郷を離れなかったら、付き合って結婚して子どもができたりしたのかなっていろいろ考えたよ。でも僕は自分のやりたいことを求める君を好きになったんだ。」というセリフに感動した。あらゆる可能性を考えるけど好きになった君との関係性はいましかあり得ない、というこの上なく切ないけどこの瞬間を大切に思う気持ち。最近は考え得る全ての可能性を包括する物語が多い(ように思う)けど、今しかないこの瞬間を精一杯大事にしようとするこの映画が大好きになった。

「イニョンよ 意味は“摂理”、または“運命” 特に人との関係を意味する言葉よ」
「見知らぬもの同士が道ですれ違い、袖が偶然軽く触れたらそれは2人の間にはきっと前世(pastlives)でなにかあったから」


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