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パラリンピックとわたし

夏が戻ってきた8月の終わり。
わたしは人生で初めてパラリンピックを観ています。

ここからわたしの正直な気持ちを書きたいと思うので
もしもそれによって傷つけてしまうようなことがあったら
ごめんなさい。
わたし自身いわゆる”障害”というものに向き合い始めたばかりで
なんて表現して良いのか?まだわからないんだけど
一方でほんの一瞬見ただけでもすごく大きく心が動いて
感じたことがあって
それを表現してみたい!という気持ちになったので今書いてみてます。

まず、なぜこれまでわたしがパラリンピックを観てこなかったか。
これは恥ずかしいことだけど包み隠さず話すと、

なんとなく悲しい気持ちになってしまいそうだなと感じていたんだと思います。
わたしは自分自身が繊細さんだと思うのですが
例えば映画でも悲しい物語を見るのはちょっと慎重になります。
まだまだセルフラブジャーニーの始まりのあたりにいるので
自分がブレることもたーくさんあって、

気持ちを引っ張られたり、引きずったりすることもある。

自分の中にある傷だったり、トラウマが反応していて
大きな恐れになっているんだと思うのです。

だから障害のある方を見ると
その感情は違うと頭でわかっていても
やっぱり「大変そうだな。」とか
「かわいそうだな。」って思ってしまうわたしがいました。

でもわたしの中で変化が起き始めたきっかけは
わたし自身が癌を経験して
その時の周りの反応に対して感じたことだったんです。

大変だよね。とか
かわいそうに。って感じで
ちょっと腫れ物に触るような感じの人もいて

別にそれも愛ゆえのことだとわかっているから
その人に対してどうこう思うってことは全くないんだけど
でも決してそう思われて、そう扱われることが
心地よくはなくて。嬉しくなかった。

なぜならわたしは癌で治療中で
みんなみたいに生活が出来ないし
確かにやりたいこともやりたいように出来なかったりする。
でも一生懸命生きていて

わたしにとってはその時のわたしが全てで
誰かと比べたら大変なのかもしれないし
かわいそうなのかもしれないんだけど

自分はかわいそうなんだって思って生きるのは
辛いことだったから。
そう感じたから。

だからその時のわたしは、
癌と向き合いつつ
できることをして
誰かに頼って
そうしてその中でも楽しみを見つけて生きるんだ。

それはかわいそうなんかじゃないよねって感じて。

その体験からこれまでのわたしの障害のある方への感情も
ちょっと違っていたなって見直していくようになったんです。


そんな変化の中
instagramでファンになった三上大進さん♡
とにかく話が面白くて
可愛くて
一瞬でファンになっちゃいました!
大ちゃんの話を聞くだけでわたし含めたくさんの人が元気をもらえるの♡
そんな大ちゃんに障害があるとちょっと経ってから知った時に
驚いた一方でわたしの中の感じ方が変化していることにも気づけて

障害は個性だって言葉よく聞いていたけど
なかなか自分の中で消化できずにいたものが
本当に心からそう思えた瞬間だった気がします。

そう。それでその大ちゃんがパラリポーターをすると知って
すごく興味が湧いたことがきっかけでした。


そうして観たパラリンピックで感じた正直な感想は

素直にすごい!でした。
え!かっこいい!でした。
試合として見応えある!でした。

それとさらに感じたこと。

あぁ、わたしと、私たちと変わらないなってこと。
まったく同じだってこと。

ただその違い(個性)が目で見てすぐわかるだけなんだと思ったんです。

わたし自身は外見における、目で見てわかる障害はありません。
でも今、社会にでて働くことが苦手だったり
すごく緊張しやすかったり
スーパー怖がりさんが出てきたり
あと胆石もたまにうずうず症状が出ることもあります。
最近は低気圧でも影響されるようになりました。

言うなればこころについての障害がある
と感じたんです。

こころと体は違うって言う方もいると思うのですが
わたしは今は、等しいように感じています。

心の生きづらさも
見て見ぬ振りしたり
なかったことにしようとしたりすると
すごく苦しいけど
それを認めて受け入れて
そして道を決めていけば強みになったりする。

そしてその自分にとっての障害をどう捉えて
どう受け入れて生きていくのか。

そんなところも同じことだなって感じたんです。

そんな風に感じたら
過去のわたしとは見方が変わってきました。

少しずつ
不必要な固定概念を手放していく。

そんな旅の途中です。

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