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鮮やかな鮮やかな関係

 小学2年生のとき、大晦日に母方の祖父母の家に泊まりに行った。私は当時放送していた戦隊モノのロボットを欲しがっていて、兄弟のいなかった私は祖父母に愛されていたから、祖父母はそのロボットを買いに近所のイオンに出掛けた。私は愛されていたから、家の中で彼らの帰りを待っていてもよかった。触ったらやけどしそうなストーブの前で横になって、何をするでもなく、絨毯とフローリングの温度差を楽しんだりしながら、ただロボットが与えられるのを待っていた。結局、そのロボットは売っていなくて、ごめんねとおばあちゃんが言っていた。悲しくはなかった。無かったんだなあと、ただ思った。
 外がだんだん暗くなってきて、夕食を食べる雰囲気になった。お寿司でも取ろうかと誰かが言って、みんなそれに賛同していた。私が風呂に入る前には寿司が冷蔵庫に入っていて、風呂から上がると寿司を入れる容器のふたが開けられ始めていた。手伝ってと言われたので、皿と箸をテーブルに並べて醤油を小皿の近くに置いた。寿司の内訳はオーソドックスなセットのものだった。マグロとかサーモンとかイカとかイクラとかとびっことか納豆巻きとか、いろいろ入っていた。私は好き嫌いが人並みにあって、刺身を食べたことがなく、魚卵と納豆巻きしか食べたことがなかった。だからその日もイクラととびっこと納豆巻きだけを食べていた。すると誰かが刺身系も食べなよと言った。しばらくは無視していたものの、あんまりにうるさいので仕方なく、マグロを口に入れた。かまぼこみたいにサクサクした触感だと想像していたら、思ったよりぐしゅぐにゅしていて驚いた。魚卵よりも死体のほうが生物っぽくて、私は庵野秀明ではないため別に拒絶反応があったわけではないが、変だなと思った。(当時こんなことを思っていたわけではない)
 マグロが初めて胃袋に入ってから数時間後、おなかが痛んできて、それでトイレに行った。祖父母の家のトイレはめちゃめちゃ寒くて、そのくせ便座だけあったかい仕様になっていて、男性器とつま先だけが冷たかった。しばらく下痢をした。嫌だなあと思った。当時旬だった歌手がNHKホールで歌う声と、それをみて感想みたいなことを言い合っている人たちの声が居間からずっと聞こえてきていて、たまに大丈夫ー?という声も聞こえてきていて、大丈夫と返事をしながら、(本当に大丈夫だったが)壁をぼーっと眺めていた。30分くらいしてから居間に戻って、つま先をさすりながら紅白歌合戦のつまらない感想を私も話した。
 祖父母の家の居間で、父親の飲んでいた甘めの缶コーヒーをおいしそうに飲んでいる自分の姿を、窓の外の少し浮いた場所から三人称視点で見ているという記憶がある。これはたぶん夢の中の記憶で、それ以上でもそれ以下でもないのだが、高校生のときに自販機で買った缶コーヒーの味がその夢とまったく一緒で嬉しかった。


 夜に眠るのが絶望的に下手くそで、意味もなく馬鹿みたいな時間まで起きたり、馬鹿みたいに昼に寝るせいで夜は眠れない。何がしたいのか自分でもよくわからないまま朝になっていて、中学生の背伸びみたいな事実だけが淡々とどこかに積みあがっていくのがたまらなく辛い。


 普通の会話の中では一人称は「俺」しか使わないのに、やや自省的な文章であったり、空想の中の文章であったり、そもそも空想の中の自分の一人称はずっと「私」なのは、「私」ということばのほうが形と音がきれいだからだ。私が本当に使いたいのは「私」であって、「私」という語に似合うような文章で人と会話していたい。でも、薄っぺらい自意識と、取り返しのつかないような人格形成の末に、私はもう「私」と口に出すことはない。「私」と口に出すような人を見ると、そいつに成り代わってやろうかとか、思ったりする。自分でも呆れるほど身勝手で、というか原因は自分の意志の弱さでしかないのに、他人に理由を求めようとしている。
 中学生のとき、好きだった人がいて、私はその人になりたいと思っていた。その人は私の斜め前の席に座っていて、私は、彼女が椅子の下で交差させている足首の、右足と左足の上下を真似していた。
 人が人に勝手に期待して何かを求めたりするのは独善的ではあるが、そうしないと友達ができない。

 先延ばし癖がやばい!!!!!!


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