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脳の水ぜんぶ抜く

雑記


 ちゃんと論理的に理解している人からいつか指摘されてしまうかもしれないことを恐れている。
 私の思考に靄がかかり出したのはたぶん小6とかだったと思う。実家の2階から1階を見下ろしていたときに、なんか息苦しさを感じてからずっとこんな。義務教育の辛いところね、これ。
 学校で、俺はヘドバンができると息巻いて、教室の入り口あたりでヘドバンみたいな行為をしたときに、脳の血流かシナプスが遠心力でおかしくなったのかもれない。義務教育の辛いところね、これ。
 靄現象にはブレインフォグっていう名前があるらしい。名前とかつけるなよ。特別感が薄れる。
 (多分私のは病的なやつではなく、感覚的なものに過ぎないから、病的なやつではない。普通に疲れてるだけな気もする。)
 これの影響というか害として、論理的な思考に対する苦手意識が生まされた。ずっと靄がかかってんだから、考えらんないよ、論理とか。でも私は論理学を受講している。数学がずっと得意だった。
 数学みたいな論理はパズルに近くて、パズルはそれっぽいのを合わせてれば勝手にできるから私はパズルが好きだし数学が得意。私はパズルを感覚で解いている。なぜならかっこいいから。
 逆に、現代文に存在している論理は嫌い。人の思考や感情に、因果関係を見出すことがすこぶる苦手。靄がとくにかかっている場所がここ。別に本文の意図がわからないとか、人の心がわからないとか言ってるんじゃなくって、一つ一つの感情の発露は理解できるし、共感とかはめっちゃする。人の感情で普通に泣きそうになったりする。ただ、その感情が何で起こったのかを理解するのが苦手。理解というか思い出す?のが苦手。
 例えるなら、英単語はわかるのに文法がわからないみたいな感じです。
 だから、文法がわからないから、「なんとなくそれっぽい」で全部乗り切っている。
 この靄は、個人的に煩わしさを感じているだけで、友達と仲が悪くなるみたいなことには今のところなっていないし、まあいいかとか思っている。
 でもものすごく怖い。いつか、脳みそがめちゃめちゃスッキリしているスポーツ狩りの人とかに、「お前の脳みそきったねーwwww」とか言われたら、どうなっちゃうんだろう。だから本当に怖い。すごく怖い。
 人と会話しているとき、私は何も考えていないよ。考えられないの方が近い。別に、常に考えながら会話してる奴もいないだろうが。
 『君たちはどう生きるか』を見たとき、青いスタッフロールが流れた瞬間に涙が流れてきた。でも何で流れたのかが全然わからない。今ある仮説だと、映画が終わって全部を思い返したときに、1個の抽象的な球体として捉えていて、その色がすごい綺麗だったから泣いたということになっている。綺麗だったから泣くのは、なんか良いなって、思えるように最近はなった。ただこれを指摘されたら立ち直れない気もする。論理とか整合性に欠けていて、論文だったら一発アウトですしね。
 辛いよー;;

 最近は、一旦短歌にすることで事象の理解に努めている。短歌にすることで自分の主観を客観視できる感じがする。俯瞰を、ワンテンポ遅れてやってる。
 最近歌会があって、感想を伝えられているときに、自分の歌についての解釈が自分より「正解」って感じがしたから、悔しかった。というか正解だった。私より私を理解してらっしゃってね。羨ましいねー。
 ファイアパンチにこんな感じの話あった気がする。
 なりたい私になっていくよー。

 50000年は生きていたい。

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