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【仏教】四法印について

こんにちは!MOT代表の Katsu です。
大阪でパーソナルトレーニング・ヨガ・整体・鍼灸などを行っています。

【記事のテーマ】
 仏教の四法印しほういん について

【四法印】
 ▶諸行無常しょぎょうむじょう
 ▶諸法無我しょほうむが
 ▶一切皆苦いっさいかいく
 ▶涅槃寂静ねはんじゃくじょう


【四法印】諸行無常

すべての現象は、不変ならざるものである。

「この世のものごとは、全て変化している。」というものです。

有名なのは平家物語「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」でも使われています。

スッタニパータ(最古の文献)で無常アニッチャについて記載があります。

少しまとめると「人は、「我が物」という囚われがあるがゆえに苦しむ。」
「所有しているものは常にあるわけではない」「ただ消滅するだけのもの」なのだから執着してはならない。

人であれ、物であれ、目に見えない人と人との関係性であれいずれ消滅していきます。

行とは、物事を生み出す形成作用を意味します。
現在では行ではなく、業のほうが上記の意味合いを持っているかと思います。

諸行無常の「行」には、生み出したあとのものも含まれています。


【四法印】諸法無我

別:一切法無我
すべての物事は、自己ならざるもの。
この世のものごとは、全てつながっている

これもスッタニパータで記載があり、無我アナッタンは2つの意味合いがあります。

【無我】
 ▶対象が我がものと捉えない
 ▶自己の存在を本体的(実体的)な自我として見ない

諸法無我とは、あらゆる法に我がないこと、またはあらゆる法が我でないことをいいます。

ダンマって何かというと、現象のこと。
例えば「風が吹く」これは我は全く関係しません。

それだけでなく、あなた自身もあなたではないということを指します。
このときの「我」というのはアートマン(真我)であり、あなたの身体や意識ではありません。(ややこい)

(あなたがあなたと思う)我と、法(現象)は関わりがない。のではなく、例えば、あなたのかいた汗はあなたではありませんが、蒸発することで雲となり、雨となり、川となり、それを飲むことでまた帰ってきます。

つまり、自然も出来事もすべては我ではなく、また我ではないからこそ繋がっている。とも言えます。

すべてはつながっているということは、「我のもの」「他のもの」というものはないとも言えます。


【四法印】一切皆苦

別:一切行苦
この世の全ては苦しみである

一切皆苦は三法印にはなく、四法印にあります。

【三法印】
 ▶諸行無常印
 ▶諸法無我印
 ▶涅槃寂静印

この世の中は、全く持って全て思い通りにならない。それゆえに全ては苦である。という意味合いを持ちます。

だからこそ人生は楽しい。と釈迦は言います。



【四法印】涅槃寂静

涅槃は安らぎの境地である。

煩悩の消えた悟りの世界は、静かで安らぎの境地であるということです。

涅槃寂静ねはんじゃくじょう以外の教え諸行無常しょぎょうむじょう諸法無我しょほうむが一切皆苦いっさいかいくを悟ることにより、何も所有しない・何も執着しないことで老いの不安も死の不安もなくなります。




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