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【月刊noo】海よりも山よりも【2023.8月号】

《月刊noo 2023.8月号 目次》
・ごあいさつ ~はじめに~
・エッセイ:ソ連邦のおもひで
「マイ・ホーム~ダブリニンスカヤ~」
・サバイヴ:返事と挨拶ができない人のことを考える。(再掲)
・ごあいさつ ~おわりに~
・★公演告知★
・オマケ

ごあいさつ ~はじめに~

酷暑の続く日ですが、皆様お元気でお過ごしでしょうか?
今夏は久しぶりに劇作家女子会。の4人が揃って夏休みを過ごしたり、泊まりにきた友人とそのお子様と遊んだり、海へ行ったり等々、夏の楽しみも色々充電中。日差しはきついですが、青い空に真っ白な入道雲がわきあがっている夏空をあおぐと、なんだか元気もわいてきます。
しかしながら今年の夏は、海よりも山よりも、舞台!
というわけで、劇作家女子会。feat.nooの9月公演にむけて、暑い熱い夏を過ごしております。公演にむけて気持ちは燃えておりますが、頭と体はなるべく冷やしてすごす所存です。
このnoteが公開される頃は残暑厳しいことが予想されますが、皆様も、健やかに残りの夏を楽しまれますように!

エッセイ:ソ連邦のおもひで
「マイ・ドーマ~その名はダブリニンスカヤ~」

ソ連邦に赴任した私達家族の家になったのは、ダブリニンスカヤという名前の外国人専用のドーマ(集合住宅)だった。
横長の建物で、エレベーターホールが数個あり、一つのフロアーに3件ぶんの部屋のドアが面しているタイプの集合住宅。
私達のドーマはサドーバヤ環状道路に面した角部屋で、L字型の全面ガラス窓の部屋にはレースのカーテンだけがかかり、正面には数メートルもある大きなレーニン像の立つ広場。その先にはゴーリキーパークという名前の広い遊園地。窓から見える環状道路を右にすすむとクレムリン宮殿(※1)に続くので、晴れた日は遠くにクレムリンの旗が見える、そんな部屋だ。

ダブリニンスカヤはものすごく巨大な集合住宅で、住居棟に囲まれた敷地内には、よく酔っぱらっている守衛さんのいる詰所と、子供達が遊べるような公園があったし、自分の棟の1階にはいつも見張りっぽいおじさんもいた。たぶん、当時ソ連邦の人達が一般的に住んでいる住居よりはセキュリティがしっかりしていたのだと思う。
(守衛酔っぱらってるし子供にマルボロせびってたけど…)
敷地内の公園は、大人抜きで遊びに出かけられる数少ない場所だった。
当時、ロシアンマフィアが臓器売買目的で子供を誘拐している、特に外国人の子供が危ないという噂があり、子供が大人なしでウロウロするのは危険だったので、私や妹は最初のうち、大人の付き添いなしで外出できるのはダブリニンスカヤの敷地内の公園くらいだったのである。
とはいえ守衛は酔っぱらっているし、人攫いのリスクは少なかったけれど野良犬はよくうろついていた。
モスクワはソ連邦の首都だったが、私達が赴任した頃は崩壊間近という荒れる世相を反映したのか、ロシアンマフィアだけでなく、野良犬の群れが人間を襲う事件がまあまああったのである。
(首都なのに…)

外国人専用、といっても日本人専用ではなかったので、色んな国の人達がその集合住宅には入居していた。私達のフロアは他の2部屋も日本人の家族が入居していたけれど、母が別の階の友人の部屋に遊びに行った時は、友人の部屋のお向かいさんが、ドアに「チェ・ゲバラ(※2)」の写真を飾っていて怖かったらしい。確かに主張が強い。

ダブリニンスカヤの私達家族の部屋は、とても広かった。
まず玄関をはいると玄関ホール的な広めの空間があり、右手は家族用のプライベートキッチン。正面の扉をあけると、L字型の全面ガラス窓に陽がさんさんとはいる応接室。
玄関ホール左手には父の個室と、お客様が来た時に大人数で食事ができるようのレセプション室があり、左手奥の廊下にお手洗いとお風呂場が並び、一番奥に母と私達が使っていた大きな部屋があった。
子ども心に面白かったのは、日本の家屋のように室内で靴を脱ぐ、という習慣にあわせてつくられていないので、いわゆる玄関のタタキ的な場所がなかったことだ。玄関から先の室内に段差はなく、私達は日本の習慣で、室内ではスリッパにはきかえて生活していたけれど、基本どの部屋も土足で行き来する想定になっている。

ちなみにモスクワに滞在している間、両親は度々我が家に他の国の大使館職員らを招いて夕食会をひらいていたのだが、そういう時、ゲストの人達は玄関ホールやレセプション室、応接間を土足で闊歩していた。冬にパーティーをする時は、皆玄関ホールでブーツからお洒落靴や革靴にはきかえてパーティーを楽しんでいた。
「入居した当時、窓から見えるクレムリン宮殿に掲げられていた旗はソ連邦の赤い旗だったけれど、8月のクーデターの後、今の赤青白のロシアの旗に変わったのよね」
母は、それがすごく思い出深い出来事だと後に語ってくれたのだが、子供だった私は旗が変わったりしたことはあまり覚えてなくて、引っ越し当初、応接室に山とつまれた日本からの荷物の段ボールにテンションがあがって、段ボール箱の山のなかでキャンプごっこをして遊んだこととかのほうをよく覚えている。

その、段ボールの山が片付くか片付かないかのうちに、すわ帰国か?!という事態が起きたのは、1991年8月19日。
「ソ連8月革命」とも呼ばれるクーデターであった。

to be contained…

(※1)
旧ロシア帝国の宮殿。ソビエト連邦時代にはソ連共産党の中枢が設置された。
(※2)
政治家、革命家でありキューバのゲリラ指導者。

サバイヴ:返事と挨拶ができない人のことを考える。(再掲)

※本記事は、2018年1月27日に別媒体で掲載した記事の再掲です。
※当時思いがけずバズったSNSの投稿をきっかけに書かれたものです。


2018年に当時バズった投稿。

初めてツイートがバズった。
なんかやたら通知がくるので、珍しく数十RTとかいいねされてるのかと思って自分の呟きを遡ったら、その時点で数千を超えてて、現在1万RTまでされている。

ツイートがバズると、なんとなくイメージ的にアカウントが「ドンドンパフパフ~おめでとうございます」的な、やったことないけどパチンコの確変でたみたいなテンションの高い感じになるのかと思っていたのだが、特にそんなことはなく、今はだいぶ落ち着いたけど、私のアカウントには「〇〇さんの他14人がRTしました」的な通知が淡々と届くだけであった。

拡散がひろがるにつれて、私のツイートに共感や意見などのコメントが引用リプなどでつけられることも増えた。
もともと無精者だし、リプ通知の取りこぼしもあるみたいなので個別には全然返事をしていないのだが、読んで考えさせられることもあり、「あ、そこ私の意図と違うな~まあ受け取りからはそれぞれだしな~」とか、「これが…クソリプというものか…」と遠い目になることもある。

自分にとっては軽い日常の延長線上にある呟きだったので、世の中に特別にモノ申したかったわけでもなし、自分の意図をいっぺんの曇りも誤解もなくわかってほしいとか、補足説明をしようという気持ちもないのだけれど、バズったことをきっかけに、呟いた時よりももう少し色々と考えた、自分のための備忘録としてブログを書くことにした。

まず、「返事や挨拶は人として最低限の礼儀」はよく言われるけど、それについては私も「そうだよね」と思う。
誰だって無視されるのは気持ちいいことじゃないし、人と関わりながら生きる必要がある世の中では、返事や挨拶が出来た方がスムーズに生きやすいのは間違いない。返事や挨拶をするのは人として普通のことだというのが、まあ世間の常識だろう。

ただ世の中には、相手に失礼なことをしたくないのに返事や挨拶が普通にできなくて「失礼な人」になってしまう人がいる。
もう少し正確にいえば、心身の問題でできない状況の人がいる、と思う。

あ、相手を傷つける目的で返事や挨拶をしない、あからさまな無礼者などについては除外します。
心身の健康の低下で人として最低限のコミュニケーションができなくなってる人の話です。

自分自身にも覚えがあることだけど、疲れたり弱ったり、自尊心を奪われている状態の人は、他人へのほんのちょっとした働きかけも怖くてできないことがある。
わかりやすいところでは、いじめとか、虐待とか、ブラック企業でのパワハラとか。色んなシチュエーションで「お前は価値のないダメなやつだ」というメッセージをうけつづけると、人の心は他人へ触れることを怖がり、こんな自分が人並みに他人と接するのはいけないことだと思うようになってしまう。

「こんな私がおはようございます、なんて普通に相手に話しかけていいのか」
「こんな自分に反応されたら相手は嫌がるのではないだろうか」
「私なんかが視界にはいってごめんなさい」

これは全部、メンタルが絶不調だったり自尊心が低下している時期に自分が感じたことだ。
この状態が続いてレベルがあがってしまうと、「こんな私が人並みに挨拶や返事なんてしないことが相手を不快にさせない礼儀」のような、謎のルールが自分の中でできあがってしまう。
心身が健康を損うと、判断力の低下や認知の歪みがおきる。結果、相手に不快に思われたくない、失礼をしたくない、という気持ちが「返事や挨拶は人として最低限の礼儀」という常識と真逆の行動をとらせてしまい、人としてますます嫌われたり孤立するという負のループにハマってしまうのだ。

ちなみにわりとメンタル強者かつ意識高い系の私の同居人は、上に書いたような気持ちは全然まったく理解できないらしい。
コミュニケーションの明朗会計を是とし、些細なことでも「私ってやっぱ素晴らしい」「ワカヌちゃん天才」という誉め言葉を自分にも他人にも惜しまない同居人は、この「自分に自信がない=自尊心が低い=返事や挨拶という相手とフラットな立場で交わすコミュニケーションを相手に失礼と思ってしまう」という心理の方程式がこの世に存在することが目からウロコだったらしい。

「自分には意味がわからないけどそんなことがあるのねていうか、世の中私みたいに、そういうこと知らない人が多いと思うから呟いといて」

というこの同居人の一言が、例のツイートをしたきっかけである。

結果、同居人と同じく目からウロコの人からも、共感し今もその状態に苦しんでいる人からも、たくさんの反応を頂く結果になった。

で、そのなかでちょっと気になったのは、私のツイートに対して「返事や挨拶ができない失礼な人間が、返事も挨拶もきちんと出来る普通の礼儀正しい人間である私に配慮をもとめるな」的な反応が散見されたことである、
ざっくりいえば「人並みのことができない奴が言い訳して甘えんじゃねえ」ってことかしら。

えーと、私の件の呟きには「私は返事や挨拶ができないけれど、そんな私に配慮してね」みたいなことはどこにも書かれてないと思うんだけど…。

あとなんていうか個人の感想だけど、そういう反応をする人は、相手に配慮するということを自分が損をするとイコールだと思ってるように感じたのね。
相手を失礼だと思う自分の自由が減る、弱っている相手のことを考えるという手間や面倒をなぜおしつけられるのか、みたいな。

でも、それは違うんでないかい、ということは言いたい。

ある状況について知識があること、想像力をめぐらすことは、自分がそれにどう反応するかの選択肢が増えることになるので、実はこちらの自由度はあがる。

たとえば返事や挨拶をしてくれない相手を前にした時、「返事や挨拶は人として最低限の礼儀」「返事や挨拶は友好の証」という常識しか頭になかったら、

相手が返事や挨拶をしてくれない
→なんて失礼な人なんだろう(怒り)
→なんでだろう? もしかして嫌われてるのかな?(不安)

と、反応がだいたいこの2種類にわかれると思う。
でも「自分に自信がなかったり、弱っている人は返事や挨拶ができない」という知識も一緒に頭にあったら

相手が返事や挨拶をしてくれない
→なんて失礼な人なんだろう(怒り)
→なんでだろう? もしかして嫌われてるのかな?(不安)
→もしかして今弱ってたり疲れてたりするのかな? そっとしとこう(静観)new!
→返事や挨拶もできないくらいの事情があるのかな? 大丈夫かな?(心配)
new!
→返事や挨拶してくれなかったけど、相手に事情がある場合もあるから嫌われてるとは限らないよね(冷静)new!

と、「返事や挨拶をしない相手」に関する知識が1つ増えるだけで、「どう反応するか」の選択肢も色々と増えるわけで、不安やストレスが減ったり、打開策を考えたりすることも出来る。

そのうえで「相手にも事情があるかもだけど私はやっぱり挨拶もしない人は失礼だと思う」と反応するのも、「返事も挨拶もしてくれなくて気になるけど、そこまで親しい相手じゃないからスルーしとこう」と反応するのも、「返事や挨拶もできないくらい弱ってるの心配だな。様子を気にしておこう」と反応するのも全部ありで自由だ。

返事や挨拶もできないくらい弱っている人がいるのを知ることと、いつでも特別にそういう人に配慮しなくてはならない、ということは別で、人にはそういうこともあるよ、というのを知らされただけで「それは挨拶や返事をしない人に私が配慮しなくちゃいけないということですか!?」と目くじらをたてる必要はないんじゃないかな。

ただ、返事や挨拶もまともにできないくらい心身が弱っている人に「それでも返事と挨拶は人として最低限の礼儀です。どんな事情であれそれができないあなたは失礼な人です」というのは、シンプルに思いやりのないことだよなあと思う。

人間、調子がいいときもあれば悪い時もあり、皆平等に年をとってボケたり体にガタがくる以上、心身ともに永遠に強く正しくいられることなんてないんだから、「強くて正しくて健康なわたし」が今弱っている人にむける態度や言葉は、いつか弱くなる自分にかけている呪いにもなるのではないか。

私は心身ともにそんなに強くないので、せめて他人や自分を呪わないようにしようと思う。

他人とフラットなコミュニケーションが出来ないくらい弱っている状態を気のもちようでどうにかするのは難しい。人並みのことができない自分というのは本人的にもすごく辛くて苦しいのを私は知っている。
そして人並みじゃない自分を責めて、ますます他人に申し訳なく人から遠ざかり、孤立し孤独に…以下負の無限ループだ。

かつての自分と同じように、今返事や挨拶ができなくて苦しいという人には、信頼できる人やメンタルクリニックを頼ったり、自尊心を奪われる環境を変えたり、少しずつでも心身の健康を取り戻していって負の無限ループから脱出してほしいし、返事や挨拶ができなくなる人の気持ちなんて全然わからないという人には、うちの同居人みたいに、「自分には意味がわからないけどそんなこともあるのね」くらいに思ってもらえればいい。

頭の片隅に「人は人として最低限のことすらできなくなるほど弱ってしまうこともある」という知識があることは、悪くないと思うのである。

ごあいさつ ~おわりに~

月刊noo8月号、今月もありがとうございました。
9月公演の稽古もいよいよ始まって、忙しくも楽しく、そして何よりワクワクしております。
クレバス2020公演の稽古場レポ等も劇作家女子会。のnoteで書いておりますので、こちらも読んで頂けたら嬉しいです。
上演をより楽しんでいただけるよう、更新していきたいと思います。

クレバス2020 稽古ノート
https://note.com/gekisakujoshi/n/n4aa9fae04bff

公演特設サイト

モスクワカヌのゆるゆるマガジン、月刊nooの次号は9月20日頃公開予定。
9月公演の初日直前になりますが、頑張ります…!
来月号もどうぞよろしくお願いいたします。

★公演告知★ 

劇作家女子会。feat.noo クレバス2020
It's not a bad thing that people around the world fall into a crevasse.
作:モスクワカヌ(劇作家女子会。)  演出:稲葉 賀恵
公演日程:2023年9月27日(水)~10月1日(日)
会場  :シアター風姿花伝

2020年第20回AAF戯曲賞特別賞を受賞した作品。コロナ禍による緊急事態宣言中の2020年の日本を主な舞台に、当時を生きた人々へのインタビュー、ニュース、社会情勢をもとに書かれた50本の短編作品を、長編として編纂したもの。緊急事態宣言中にDV避難を余儀なくされた若者を軸に展開される、コロナ禍を舞台にした群像劇。

【本作をご観劇になるお客様への事前のご案内】
本作は、直接的な描写はありませんが、下記を想起させる表現を含みます。
希死念慮 自殺 虐待 性暴力
12歳以下の方がご観劇する際は、保護者の方の同意があることが望ましいです。
事前に台本の内容をご確認される場合は、以下のリンクから閲覧が可能です。
https://www-stage.aac.pref.aichi.jp/event/item/Itsnotabut.pdf

また、ご観劇の際のご心配事等ありましたら、本公演に関するお問い合わせ先へご連絡くださいませ。

舞台出演者
伊東 沙保 
大石 将弘 
勝沼 優 
木内 コギト 
工藤 広夢
小池 舞
小石川 桃子 
小早川 俊輔 
田実 陽子 
田尻 祥子 
西田 夏奈子 
丸山 雄也 
水野 小論 
毛利 悟巳 
ユーリック 永扇 
吉岡 あきこ 
蓮城 まこと

映像出演者
阿久澤 菜々
今井 公平
KAKAZU
小林 彩
小林 春世
β

公演日程:
9月27日(水)19:00~
9月28日(木)13:00~
9月29日(金)13:00~/19:00~
9月30日(土)12:00~★/18:00~
10月1日(日)12:00~
★…公演終了後、ポスト・パフォーマンストークを実施いたします。
*受付開始は開演の60分前、開場は30分前

チケット:  ★発売日:2023年7月29日(土)10時★

劇作家女子会。応援チケット(特典あり) ¥10,000
劇作家女子会。応援チケット(特典なし) ¥6,000
チケット(前半割) :¥4,200
チケット(一般)  :¥4,500
チケット(U24)   : ¥3,200
チケット(障がい者): ¥2,000
※身体障害者手帳・精神障害者保険福祉手帳をお持ちの方、また付き添いの方1名様までご利用頂けます。
チケット(当日券)   :¥5,000

チケット取り扱い
Confetti(カンフェティ)

※カンフェティでチケットを購入されると、無料で託児サービスをご利用いただけます。
※未就学児の方のご観劇はご遠慮くださいませ。

会場
シアター風姿花伝

〒161-0032 東京都新宿区中落合2-1-10
JR山手線「目白駅」より徒歩18分/バス6分
都営大江戸線「落合南長崎駅」より徒歩12分
西武池袋線「椎名町駅」より徒歩8分
西武新宿線「下落合駅」より徒歩10分

スタッフクレジット
ドラマターグ:オノマリコ(劇作家女子会。/趣向)
美術:角浜有香
照明:松本永(eimatsumoto Co.Ltd.)
音響:星野大輔
音楽:西井夕紀子
映像:和久井幸一
衣裳:富永美夏
演出助手:大月リコ(yoowa)
舞台監督:土居歩、松谷香穂
音響オペレーター:宮崎淳子
宣伝美術:デザイン太陽と雲
制作:植松侑子、古川真央(syuz’gen)
インターン:山尾みる
主催:劇作家女子会。 noo

本公演に関するお問い合わせ
劇作家女子会。feat. noo (制作担当:合同会社syuz'g
〒116-0013 東京都荒川区西日暮里5丁目6-10 gran+ NISHINIPPORI 6階
TEL:03-4213-4290(土・日・祝祭日を除く平日10:00~18:00) FAX:03-4333-0878
MAIL:feat.noo.mw@gmail.com

オマケ

劇作家女子会。での夏休み
ボールプール満喫
4人での写真
一緒に滑り台


応援・サポート、いつもありがとうございます。 気持や生活、いろいろ助かります。 サポートを頂いた方宛てに、御礼に私の推し名言をメッセージ中です。 これからも応援どうぞよろしくお願いします。