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【月間noo】夏の出入り口【2024.7月号】

《月刊noo 2024.7月号 目次》
・ごあいさつ ~はじめに~
・ソ連邦のおもひでエッセイ:『のっぽのタチアナ』
・エッセイ:諦めるために歩くということ
・詩:そらが青く晴れているので
・ごあいさつ ~おわりに~

ごあいさつ ~はじめに~

今年は梅雨が短く、初夏にしてすでに真夏日のような暑さ。
夏…はじまったばかりですよね?もう本番すぎない?私たち、日本に住む人類の、夏リハーサル足りてなくない?初夏なしの本番じゃない?夏の入り口がもう出口じゃない?
みたいなことを、さんざんぼやきながら生きております。
皆様もくれぐれも熱中症にはお気をつけて…。
今月もよろしくお願いします。

ソ連邦のおもひでエッセイ:『のっぽのタチアナ①』

タチアナは、ロシアに来て初めて私達家族についてくれたメイドのライサが、年齢や体調もあって仕事がきつくなったことで新しくウポデカ(※1)から派遣されてきたお手伝いさんだった。背が高くて痩せていて、手が大きくてゴツゴツとした、ライサよりもくすんだ金髪に灰色がかった緑の瞳だったと思う。
母いわく、タチアナはメイドにしては仕事がおおざっぱで、何度言っても洗ったあとの食器がベタベタしていたり、カレーを作らせると水っぽすぎてベチャベチャしてたりした。母がお土産や贈り物をおくると、必ずお返しをくれる義理堅さもありつつ、きっちりとした仕事人だったライサと比べると、陽気で少しいい加減なところのある「典型的なロシア人」タイプだったという。
旦那がいたが、どうも暴力をふるうこともある旦那だったらしく、夫婦喧嘩で顔をはらして家にきて、仕事中ずっと友達に電話をして愚痴っていたこともあった。その時はさすがの母も怒って「フショウ!」(※2)と言って電話を切らせたとか。
正直、日本人の水準と感覚に照らせば、お世辞にも仕事ができるタイプではなかったけれど、タチアナは明るく善良で、子供好きで私や妹とよく遊んでくれる気の良さがあった。それに残業を嫌がらず、遅くまで残って私達子供の面倒をみてくれたので、それも母にはありがたかったらしい。
ライサやセルゲイを同じようにタチアナも日本語は話せなかったので、母とはロシア語と英語で、私達とは身振り手振りやカタコトのロシア語でコミュニケーションをとっていた。私達はタチアナの言っていることはほとんどわからなかったけれど、動物園に連れて行ってくれたり、お風呂上りにタオルで遊んでくれたり、ねだるとジャイアントスイングをしてくれたりするタチアナのことが、私と妹はとても好きだった。
けっきょく洗い物は最後までベタベタしがちだったけれど、タチアナは私達一家がロシアを去るその日まで、ソ連崩壊後のロシアで軍事クーデターが起きた時も休まずに、我が家で働いてくれたメイドだった。

(※1)当時のロシアでメイドを派遣していた組織。
(※2)ロシア語で「おしまい」という意味。

エッセイ:諦めるために歩くということ

少し前に、通りすがりのファッションビルのウィンドウに、ちょっと気になる服が飾ってあった。
買ったことはおろか、お店に入ったこともないブランドで、普段の私が着るテイストとは違っていたけれど、なんとなく通り過ぎるたびに気になって足をとめてしまう服だった。

その店は私の住まいからは離れた場所の駅ビルのなかにあって、私は月に1~2度の通院の時にしかその近くを通らないし、普段はその駅ビルによったことがない。なので気になりつつもスル―して、でもやっぱり気になるな…ということが2、3回続くうちに、その服はウィンドウから下げられてしまった。
夏のセール期間がはじまって、私はふと、自宅の最寄り駅であの服のことを思い出した。あの服はまだあるだろうか。あるとしたら、あの服も3割引きくらいのお値段になっているのではないか。

その服を売っているファッションビルのある駅は、何の用事もなしに行くには、ちょっとだけ遠い。おまけにその日は雨で、私はもともと食料品の買い出しのために駅前まで出てきたところだ。服を買う予定なんて全然ない。
普段の私は、予定にない行動をとるのが苦手だし、予定が変わるのも苦手だ。朝一番にたてた予定を粛々とこなすことに心の安定と安寧をえるタイプなので、ここで衝動的に買い物に出かけてしまう、ということはなかなかしない。
だけどその日に限って、どうしてもあの服が気になってしまった。気になっていたのに一度も試着してみなかった服。もしかしたら3割引きになっているかもしれない服。

日々のルーティンもそうだが、一度謎に「こだわり」が発生すると、それを解消するまで落ち着かないのも私の特性である。結果、どうしてもその服がセール中かどうかを確かめたくなって、私は予定にない遠出をすることにした。
(これで売り切れて店になかったりしたら、こだわりを消化できなかったストレスでプチパニックだろうな…)と予想がついたので、道中なんども頭の中で「売り切れの可能性」や、「買えない可能性」について自分に言い聞かせる。
(売り切れてることもある、買えない場合もある)
その可能性について頭と心を慣らしておけば、いざ店に着いてから「ない!」となっても自分を納得させやすい。

いつもは通院の時にしかこない駅について、10分くらいコンコースを歩く。歩きながら(とっくに売り切れているかもしれない、別に買わなくても困らない洋服のために雨の日に予定外の遠出をしてこんなに歩くなんて、私は何をやってるんだ)と思いながら、だけどもうここまで来てしまったので足を前にすすめる。サマーセール中のファッションビル内は混んでいて、お目当てのその店も、3割引きプラス2点購入でさらに1割引き!という色鮮やかなセールのポップを賑やかに飾っていた。

入口をはいると店内が思ったよりも広くて、店内のディスプレイの感じに慣れないのであちこち探し回ったが、例の気になっていた服は、ちゃんと売れ残っていて、ちゃんと3割引きになっていた。
ここでその服を購入できたら、予定外のお買い物でお宝ゲット、たまにはルーティンを外れてみるのもいいね!的ないい話になったのだけど、結論からいうと私はその服を買わなかった。
あるあるなのだが、試着してみたらお店のマネキンが着ているのと私が着るのとではシルエットがかなり違ってしまい、私が着ると短めの首と広い肩幅が強調されて、控えめにいってガン〇ムみたいになってしまったからである。いや量産型ザクかもしれない…。

そんなわけで、私は雨の日に予定外の遠出をした結果、成果ゼロで帰宅することになった。服は買わなかったけれど、時間と交通費がかかっているので収支で言えばプラマイマイナスで、無駄な遠出である。だけど、それはそれとして不思議な達成感があった。
気になっていた服を、ちゃんと自分の目で見て、着てみて、諦められたこと。もし今日店に行かなかったら、そのまま服がセールで売り切れてしまっていたら、私のなかには何かのわだかまりが残ったかもしれない。それはたぶん小石程度で大したあれじゃないのだけれど、それを自分のなかに残さないために行動できたのには爽やかな余韻があって、そのためだけの雨の日の遠出だったとしてもいいじゃないか。そう思えた。気に入っていた服というマテリアルはゲットできなかったので、具体的に得られたものはなかったけれど、ただしっかりはっきり諦めるためだけに歩いたことに、疲労感はあっても徒労感はない。

帰り道で、これはなんとなく人生みたいだな、と思った。
生きていると、諦めざるをえないこともたくさんある、というか、叶えられることのほうが少ない。努力しても報われる保証はなく、善く生きても幸せになれる確約もない。
人生はよく道に例えられるけれど、生きることが歩くことなら、その道中のほとんどが諦めるために歩いているのと同じだと思う。しかも諦めなくちゃいけないのは、ちょっと気になったセール中の洋服どころじゃない。夢とか未来の展望とか好きな人とか、自分の幸福にがっつりかかわる大きなものだ。それでも多くの人は、歩けるうちは歩くし生きているうちは生きようとする。
自分の若い頃は、人生は夢や目標をかなえて幸せになるために歩く道だった。今は、諦めたり手放したりするもののほうが、叶えられる祈りよりもずっと多いのだと知っているし、最終的にはみんな死ぬ。身も蓋もない。
それでも、自分で失ってきたから、諦めてきたから、「こりゃダメだ」と思ってきたから、このデスロードを歩かされていることが、たまに嫌になるけど恨みにはならない。
だから気に入った服を諦めるために歩くことも、死ぬまでに自分の人生を、まるごとすっぱり諦めるために歩くことも、悪くはないのだと思う。

詩:そらが青く晴れているので

飛び込んだらザブンと音がしそうなくらい
そらが青く晴れているので
私のあたまのなかのクジラを泳がせてみた
寝室の壁のなかのサメも
目玉の裏のハトも
視界の右側の椅子に座って足をぷらぷら揺らしているトモダチも
からだのなかのあああああも
みんなそらの青のなか

ごあいさつ ~おわりに~

今年は珍しく晴れた七夕の日。
七夕の日は近所の神社がひらいていた七夕祭りに便乗して、願い事を書く短冊に「世界平和」と「猫と暮らしたい」と書いてきました。世界平和、というと規模がでかいしなんだかふんわりしているな…と我ながら思うのですが、自分やその周囲の幸せだけを細々と願うのもみみっちい気がするし、たとえ名前も顔も知らない相手でも苦しんでいるのは気の毒なので、夢は大きく!の気持ちで「世界平和」をえらびました。
ちなみに他の短冊には「ミッキーの国へ行きたい」「たくさん食べて大きくなる」的な微笑ましいものから、私とおそろいの世界平和、合格祈願や家族の健康を願うもの、推しが売れますように等、人の数だけ鮮やかな願いの短冊が飾られていて、叶わない願いもあることは重々承知ですが、そうと知りつつ願いをかける人々の気持ちが、天の川あたりからいい感じに見えていたらいいと思います。

夜景。
海ー!
ここはどこでしょう?






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