恋愛とその他の愛はなにがちがうの

自分が幸せにしたいと思うのが恋で、幸せになって欲しいと思うのが友愛?
男の子は可愛くて仕方がなくて好きな女の子にキスしたくなる、とかいうけどそれは親が子供に対して抱く感情と何が違うの?
キスやセックスがしたければ恋?でもそんなの誰とでもできるし、好きな人にしか触れたいと思わないならワンナイトなんて存在しないじゃん。
一緒に一生暮らしたいとおもったら恋?わたしは女の子でも男の子でも、この人となら一生一緒にいたいなって思うこともあるけどその感情は特定のひとりに向く特別なものではないよ。
独占欲がわいたら恋?そんなの女の子にだって沸くよ。
会いたくなったら恋?会いたいって思う相手はそのときの感情によってちがうし、みんなに等しく会いたくなるよ。
ほかの女の子を好きになったら嫌だ、と思ったら恋?でもおじさんとかどうでもいい男の子にだって思うよ、おもちゃを失ったような感覚。
こういうのぜんぶが含まれれば恋?いろんな愛の集合で、恋とはまた別なんじゃないの?それとも恋はその他愛の延長線上にあって独立した感情ではないの?

私は恋愛感情をこころのなかできっと所詮性欲だなどと、すこしばかにしていて、同時に神格化しているのかも、でも本当はもっと案外ありふれた感情で種のようなものはどこにでもあって誰にでも向くのかな、だってみんな簡単に出会った人や周りにいる人と手軽に恋愛してる。ときめきなんて本当は存在しないのかな、それとももう感じていて、それを友情だと信じ込んでいるのかな、それとも依存こそが恋愛の形で最上級の感情だと思っているのか。

恋愛っていうのは常識ではしあわせなもので、結婚は幸せの一種の形を理想としてするものだと思う。だから、恋愛するということは、自分が幸せになるために誰かと結ばれる事を願うことだとおもってる。そして自分が幸せになることが許せないわたしは、自然と自分の恋愛感情にストッパーをかけて、表に出てこないようにしているのかな。いやだな。

そもそも結婚は幸せを追い求めてするものなんだろうけど、結婚した瞬間は確かにしあわせでもその先にしあわせが待っているとはおもえなくて、どうにもしたくない。わたしがこんなに人生に苦しんでいるんだから子供なんてうみたくない。自分が産みだした最も愛すべき存在にこんな思いをさせたくないから、産まないほうがいい。

だいたいパパとママはしあわせじゃなかった。しあわせになれなかったからこうなった。わたしは、いろいろなことがあって、理論的なことでいえばパパをきらいになるべきなんだろうし、ちょっと恨んでいるけど、多分パパのことは大好き。これだけはどうしようもない事実で、でもパパに会いに行ってもわたしの会いたいパパには会えない。だから、もしかしたら男の子にはパパを求めているから恋愛できないんじゃないかとも思ってる。わたしにとってのパパは、子供を無条件で愛するし、私を肯定してくれるし、私に性欲は抱かない、だから男の子に向けられる恋愛感情に勝手に裏切られたって感じたり気持ち悪さを感じたりするのかな。

自分が本当はなにをおもっているのかすらもわかんなくて、感情なんか持っているのはつかれる、それが本当のきもちなのかもわからないのに、生きている限り感情を持ち続けなければならなくて、わたしはそれに振り回される、もう正直つかれてしまった。

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