見出し画像

生きる働く#09 はじめての躁

葛根湯ドーピング生活

休職中の記憶はあまりないのですが、とにかく常に身体が重くて怠くて、葛根湯を飲まなないと動けませんでした。健康なときの葛根湯ってあまり効果を感じない(※個人の感想です)のですが、この時の葛根湯はとんでもない威力を発揮していていました。朝目覚めたら葛根湯!保育園お迎え前の葛根湯!という生活でした。
土日は子どもと外にも出かけていましたが、私が途中で疲れて横にならないと夜まで体力がもたないので、夫がほとんど子どもの世話をしていた気がします。ありがとな!
不眠は相変わらずで、眠れる日と眠れない日を繰り返していました。それでも徐々に元気になってきて、一時期は思考が完全にストップして料理もできませんでしたが、頭もそこそこ回るようになってきて、ご飯も食べられるようになり「顔色が良くなった」と言われるようになりました。

治療出社の開始

そして今考えると、なんで始めたのかよく分からないのですが「復職できそう」とでも思ったのか、治療出社(休職扱いのまま復職に向けて出社する期間)を開始しました。元々仕事は好きで、会社の人間関係も良好(たぶん)なので行くこと自体は苦ではありませんでしたが、そもそも眠れないと起きれないので出社できない日が結構ありました。後々知ったのですが「最低1週間は決められた時間に毎日出社して退社時間まで会社にいないと復職できない」というルールがあったようで、まぁ全然無理でしたね。中でも一番困ったのは、会社に来ると妙なハイテンションになってしまうことでした。数々の奇行の連発(普段からテンション高めで奇行もあるが許容範囲であり、今回はその閾値が完全にぶっ壊れている状態)、止まらない手の震え(ペンが持てない)、、、そしてふと気づいたのです。「もしかして躁状態なのか?」と。

治療出社の中止

上司(仏)と産業医(菩薩)にSOSを出し、治療出社は中止になりました。職場に「休職の先輩」と心の中で呼んでいる後輩がいるのですが、彼女に「薬飲んでても不眠状態で出社は無理ですよ、薬なしで過ごせるくらいまで回復しないと!私は断薬しました!」とご教示いただいたことがあり、自分より信用できるなと思いました。そもそも隣の席のおじさんには「どうした今日も躁か?」と突っ込まれていました。素敵な職場ですよね。

次回は再び自宅療養になった日々を書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?