見出し画像

ざっくり人生を振り返る

とりあえず、自分のこれまでのことを思い出そうと思う。

人生と大仰に書いたけど、30年も生きていない若造…いや、30年ってまぁまぁなのかもしれない。

家庭環境

育って来た環境は決して波乱万丈なものではなく、むしろ平穏なものだった。

地方の片田舎ながら父親はそれなりの給料を貰っていたみたいだし、母親は専業主婦。私は面倒見の良い姉によく懐いていた。物心ついた時には一戸建てに住んでいて、長期休みには両親それぞれの実家(遠方)に里帰り。祖父母にかわいがられ、歳の近いいとこと遊び、両親の仲も良く、真面目に勉強や生活することも苦痛ではなく、そのうえで適度に自由に過ごしていた。習い事もしていたし、バランスの良い食事もとっていたし、夜はしっかり眠り遅刻もせず学校に通った。

それだけ恵まれた環境でも、なぜかどんどん生きるのがしんどくなっていった。

小学校時代

例えば中学年の頃、めちゃくちゃ話が盛り上がるほど仲良くなった男子が居た。しかし周りが冷やかしてきた途端喋れなくなり、そこから男子とまともに話せなくなったり、

同じ頃、すごく仲が良かったはずの子と段々合わなくなって、話すのもしんどくなって無視してしまったり、

友達を遊びに誘うために電話をかけることに強い抵抗を覚えて結局家で絵を描いていたり、

気が付いたらクラスの少数派グループでひっそり絵を描きあうようになっていた。

中学校時代

中学生に入るとなぜか男子にからかわれだした。頭の中では反論の言葉が溢れるのに、何も言い返せない自分に心から失望したり(今思えば、もっと柔軟だったらマジレスじゃなくてノリで返せるレベルのからかいだった)、

名前をネタにからかわれたこともあったが、親にそれを言うと「それぐらいで」と困らせてしまったこともあったし、

まともに授業を聞かずに騒ぐ男子に殺意すら覚えたこともあった、でもその怒りをどこにも発散できなかったし、

異常に厳しい担任に当たって心が砕けて毎日のように泣いたこともあった(それでも体調は崩さなかったから卒業時に皆勤賞を貰った笑)、

総じて中学校生活では、がちゃがちゃした生徒達も、先生に向けられる罵倒も、大人しいクラスメイトに向けられる嘲りも、とにかく全てが嫌で、離れたい気持ちが強かった。

高校時代

結果、できるだけ知った人の少ない隣町の高校に進学し、そこでようやくひとつ開放された気がした。

高校は中学に比べて遥かに治安は良かったが、やっぱりクラスにはあまり馴染めず、クラスメイトもなかなか覚えられなかった。

でも馬鹿にされることも馬鹿にする声も無くなって、面白い友人にも出逢えて、確かに世界が拡がった。

しかしこの時点で既にやたらと萎縮した精神を持っていたので、地元出身の彼女達と遠方から来ている自分という隔たりを、勝手に感じていたと思う。私が勝手に感じていたのだと思いたい。

例えば、友人たちとの会話で出た話題が、自分だけが初耳であることが多々あった。なぜこの子のその情報を皆知っていて私だけ知らないのだろう、やっぱり地元民じゃないからだろうか、という思考に陥った。

他人との距離の詰め方が分からない人間になっていた。

分からないから自分から詰めるのは怖くて、相手から詰めてくれるのを待っている。そんな状態で友人たちと接していたから、友人の情報も知らなかった。多分それだけだったのだ。

思えば当たり前で、受け身であり続ける限り、相手の中の私の優先度が劇的に上がる筈もないのである。

そんなことに気付いたのは、社会人になってからだった。

私に向けて相手が発信する感情ばかり気にして、自分の希望は抑え込み、好意を受けてからしか返さない。それが他人中心な思考であることに、結局20代後半になって気付くわけだ。

しかしすっかり自信や自尊心をなくしていた私は、自己否定の言葉を毎日のように自分に浴びせるのが癖になっていた。自分を守るように自分を刺し続けていた。生きるのが下手だなぁ、といつも思っていた。

大学時代

大学に進学しても、やはり生きるのは下手だった。

地元を出て、都会の総合大学に進学して、世界はもっと拡がったにも関わらず、相変わらず私は閉じていた。

美術部に入った。似たような感性や知見や視点を持つ人達同士で過ごす時間はとても心地よかった。

些細な思いつきの呟きも馬鹿にされない、むしろ面白くしていく。オタクでも非リアでも馬鹿にされない、そんな人達が多かったから。

まさにモラトリアム。中学進学も、高校進学も、大学進学もその度に待ち遠しく思っていた私だが、ここに来て先に進みたくない思いが強烈に湧いてきた。

社会が怖かった。また中学のように平気で罵声を吐く人間が居る所に戻らねばならない。まともに話が通じるかも分からない他人と話さねばならない。オタクや非リアを馬鹿にする一般人の中に飛び込まなければならない。

真面目で怒られず良い子に生きてきた、そして「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を抱えた状態で、怒号と嘲笑を我慢せねばならない。

人間関係を築くのはおろか生きることが下手なコミュ障マジレス陰キャオタクが、この先何年何十年もの間、一般社会に揉まれて生きていけるとは思えなかった。

ひたすらに恐怖だった。

それでも、絵に描いたような健全な家庭で育った自分には「そこそこの企業に就職する」しか道は分からず、それ以外の何かを貫き通すほどの自尊感情も信念も勇気もエネルギーも無かったから、他人への恐怖や自己否定感に苛まれながらどうにか就活をやりきったのだ。

社会人になって

1年近い就活を経て入社した会社は、幸運にもなかなかのホワイト企業だった。

それでも、ろくにバイト経験も無く、オタク以外の人間との会話経験も乏しく、上下関係の厳しい組織に所属したことも無い私は、ずっとビクビクとしていた。

人生の経験値が圧倒的に足りていないと感じた。人生が周回遅れである感覚が常に付き纏っていた。

「普通」とか、「一般常識」というものが、分からない。

運は良いのだ。平穏な家庭で育ち、金銭面ではほとんど苦労せず社会人まで辿り着けたうえ、興味ある分野のホワイト企業に就職出来たのだから。

でも、人間関係の「普通」が分からないことにひたすら恐怖を抱いて常に泣きそうな気持ちで日々を過ごしていた。

営業職への異動

1年が過ぎた頃、営業部への異動を命じられた。

総合職で入社したのだから覚悟はしていたが、覚悟しきれていないタイミングでの異動。当時までの私を知る人は、営業になるという事実に耳を疑うほど、人見知りのコミュ障を極めていたのにだ。

結果として営業は自分に向いていない職種だと確信することにはなるが、それでも本当に必要な経験で、価値あるものだったと思う。

知らない人と強制的に会話する職種は一気に人生の経験値を高めるに役立ったし、社会への恐怖心を和らげるにも役立った。

少なくとも社内の人に対しては、徐々に心の開き方を覚えていった。自分がどんなキャラ付けで見られているのかも学んだし、罵倒や怒声を飛ばすこと無く接してくれる上司や同僚に大いに救われた。営業になることは恐怖でしかなかったが、この営業所に来られて良かったと本気で思えた。

この間に、大学時代に知り合った人と付き合うという経験もあった。最終的には最悪な別れ方をするのだが、営業職に恐怖する当時の私にとって大いに支えになったのは間違い無く、人と付き合うことが出来たという事実は自信にもなったのは確かである。

その後、マーケティングの部署への異動が決まる。

視点の大転換

また手探りの仕事が始まり、不安と無力感と戦っていたところで、前述の通り当時付き合っていた人と最悪な別れ方をしたのであった。

大きくメンタルを傾けたが、その時「死にたい」とはならなかった。ただでさえ豆腐メンタルだった精神がおぼろ豆腐状態になっていたものの、自分でも大きな成長を感じて自信にもなった。何度も風邪を引きながらも「絶対に糧にしてやる」という強い怒りの方が勝ったのである。

この時、ある時点までは相手を哀れみ心配し様子を伺う、他人中心の思考に支配されたままだった。

同期に事の顛末を話した時だっただろうか。「私は私のために怒りの感情を抱いて良い」ということにようやく気付いた瞬間があった。

相手がどんなに同情に値する事情を抱えていようが、相手の辛い事情という事実と、私が「悲しい」「腹が立つ」と感じたという事実とは、何も関係の無いことなのだ。

相手も辛い事情があったから自分は腹を立ててはいけない、なんて全く論理的ではない。

自分は傷付いたし腹が立った。それは相手がどう受け取ろうが、独立した事実なのだ。

そう気付いた時、視点ががらりと変わる予感がした。自分中心に考える視点を漸く理解し始めた。これまで染み付いた自分の価値観が変わるには時間が要るとも予感したが、確実に前に進む方向が見えた気がしたのだ。

自分のために生きるといったニュアンスで語られる、好きな漫画や小説で名言と認識していたセリフや言葉を、本当に理解できた。

その後さらにマーケティングの部署の中で異動をし、また新たな同僚との出会いも経て、自分の特技と経験を生かせる仕事を得て、気付けばこの2,3年で随分と生きやすくなり、今に至る。

今も精神が安定しきっているわけではないが、随分と呼吸しやすくなったと思う。

上手く会話し人間関係を築くのが不得手でも、別の得意分野があると知った。

HSPという言葉を知ったのもこの1,2年の話だ。自分の生きづらさにひとつの解を見つけて、「ではどうすればいいか」と次のことを考えやすくなった。

振り返ってみて

こんなかたちで、内向的で内罰的で、恐怖に行動を制限されてきた(してきた)私である。

今回ひととおり整理できたので、以降適当にテーマを設定しながら、考えてきたことを言葉にして残していこうと思います。

自己満足だが、改めて言葉にするとは良いものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?