エッセイ:エゴの在り方

生活から苦しみを取り除くために感じた苦しみを分解してみる作業をよくやっている。
考えてみると、生活していて感じる苦しさは専ら寂しさ、嫉妬心である。昔から常に人肌恋しく、それでいて嫉妬深い性格だった。それを満たすために沢山の人と半端な関係を築き、齟齬を感じては関係を切り捨ててきた。


水野しずのnote記事にて、嫉妬とは何か解説した文があった。有料部分であるので抜粋は控えるが、要するに傲慢さが原因となっているという旨だった。

傲慢さ つまりこの相手を独占して然るべき/できるだけのちからがあるという驕り。実際に赤の他人を独占などできないのでその認識と現実の不和が嫉妬心として発露するのである。謙虚さを欠いた態度、あまつさえ他人を所有できるというエゴイズムが己を苦しめるのだ。


それを踏まえ振り返ると自分は奢ってばかりの愚か者だったと思い知らされる。他者から容姿を褒められることがそこそこにあり、良く言えば学究的な(悪く言えばオタク的)性格で何かしらの物事に対する知識が深いことがあったりなどから無意識に他人を見下してしまうことがあった。反省したい。

しかしそのエゴイズムは、幼い頃他人に否定されたトラウマから自分を守るために後天的に鍛えられたという側面もある。新しい環境に身を置くたびに他者に頭ごなしに否定されることを恐れ、否定されても構わないようにと心の中で虚勢を張るのだ。それが癖になり、傲慢さとして残った。

その虚勢が役に立った日も少なからずあった。そんな日は自分の心を守り安心して眠ることが出来たし、自信があるように見えて、弱気な人間の好意を得ることもあった。


でももうそれは卒業しなければならない日が来ていると思う。虚勢を張っても実際のところ何の意味も無い。それで守る精神衛生など空虚なものであろう。なによりもそれによって強まったエゴがこうして嫉妬心や他者への執着として現れ、心を蝕んでいるのだ。

他人を所有することなどできない。

謙虚に善く生き、己の精神を育んでいくべきだ。




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