日記:10/20 絵の才能
先日書いた日記(主にゲームのことが書いてある)が沢山いいねを貰えていて嬉しい。
いくつかのトピックについて書いたので、全員がvanquishを懐かしんでいいねしてくれているとは思わないのだが、いずれにせよ嬉しい。
一つの記事にするには強度が足りないかも…というようなエッセイをまとめて日記という体裁で書いているが、vanquishの回に関しては個別記事にしても良かった。
まあ、そういう打算的なことを考えるようになると途端に怠くなってくるのでどうでもいいが。
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仕事の一環で色と光の勉強をしていて、絵のセンスというのは、手先の器用さと視覚情報の処理能力、目の細胞の数なのではないだろうかと思った。
1.手先が器用=脳内のイメージを正確に表現しやすい
2.視覚情報の処理能力=高度に理解しているものに対しては記憶に残りやすい
3.目の細胞(錐体)が多い=鮮明に色を知覚できる
という理由からだ。
1.の手先の器用さに関しては言うまでも無いだろう。
2.の処理能力というのは、例えるなら聴覚に優れたピアニストが楽譜なしで(いわゆる耳コピ)演奏をできたりする現象だ。
私も、まあ、普段絵を描かないような人たちに対しては得意といえる方であり、簡単な形状のものだったり動物であったりとかは、現物を見なくても描くことができる。(できるというとおこがましいが、要するにその動物だと理解できるような表現が可能ということだ。)
これに関しては、俗にいう絵心の無い人に対して、視覚情報を処理する能力が高いということであり、現物を手本にしようがしまいが、処理する能力が高い人ほどリアルな形状をキャンバスに再現することができるのであろう、ということである。
しかしながら、これは描く対象をよくよく観察することで補える部分であり、画家の訓練の一環としてデッサンを行う理由の一つでもある。
3.錐体の多さについては、これは多少難しい話である。
が、理科で習った記憶がある。
色を知覚しているのは、網膜にある錐体細胞という細胞で、赤錐体、青錐体、緑錐体という三種類の細胞がそれぞれ赤色とか青色とかを知覚し、情報として脳に伝達しているのだ。
色覚特性のある人はこの錐体細胞のうちいくつかの数量が少ないことで特定の色を認識できず、三種の錐体細胞を持つ人と違った見え方をしているというわけだ。
しかしながら、細胞の数は当然ながら人によって違うので、三種類の錐体細胞を持っていても、鮮やかさは誰しもが異なっている可能性が高い。
色覚特性とされるような人たちはあくまでそれが顕著であるだけで、実際に私自身が見ている風景は、これを読んでいる君らとは違うだろうし、明確に色自体が違うので無ければ比較することも非常に困難であると言える。
そして、つまり、世間には通常のレベルよりもはるかに多い錐体細胞を持っている人も存在しているということであり、彼らはより精緻な色合いを判別することが可能であるということだ。
色覚特性の人らも、そういった意味では他にない個性を有しているのであるが、どちらにせよ、彼らは私をはじめとした錐体細胞の多さが平均的であると思われる人間たちに対してはかなり表現しがたい、奥深い視覚的芸術表現が可能なのである。
いずれにしても先天的能力による差が生じることは十分に考えられるため、特に絵画については才能というものが存在するのだろうと思う。
そして、どの部分についても努力次第で再現可能であるのだとも思う。
つまり、羨ましいなあと思う次第である。
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