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ミッドサマーの感想と解説

まず、監督の描きたかったものはホルガの人々と生活、それと"異常性"、あとダニーの内面の情動だと思います。派手なアクション映画ではないし、監督も言っている通り(そうでなくても観ればわかりますが)ホラー映画でもないので、いかにしてダニーの感情やその動きを表現するか、というのが製作時のポイントだったわけです。

映像作品では、「快晴の昼間」というのは元気さ・明るさ・楽しさなんかの記号として用いられます。当然観客もその前提を無意識化で承知の上、観劇するわけですが、実際は巧みにちりばめられた様々な演出で「快晴の昼間」なのに不安で気味が悪い、という「メチャクチャな気持ち悪さ」を味わうわけです。

この映画の主人公はダニーで、冒頭のガスの下りから始まりダニーの心境を中心に据えて劇が進行するので、観客も基本的にダニーに感情移入するようになっています。映画の主な表現イメージは前述の「メチャクチャな気持ち悪さ」なわけなのですが、これがダニーへの「感情移入」と重なって、ダニーのパニック障害を患って常に「不安で不安定で気味の悪い」という心境をリアルに感じ取れるようになっているわけです。

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ホルガの儀式の進行に伴い、ダニーを取り巻く状況や心境にも変化が訪れます。ダンスのシーンでは、薬物の影響もあってかホルガの女性と心を通わます。色々見ちゃって己のうちに湧き出す激情を露わにするシーンでは、自ら激情を共に分かち合おうとする人々の姿を目の当たりにします。家族を失い、友人や恋人にも心を許せず孤独感に苛まれる彼女は、最終的に「コミュニティ自体が個であり、人々は構成要素に過ぎない」ホルガに溶け込むことで救いを得ます。

このダニーの「救われ」が映画の帰結であるのです。この映画の最も素晴らしいところは、アリアスター監督の優れた手腕により4K並みに解像度の高い「絶望と救い」が描かれていることです。

アリアスター監督は、社会の隅で孤独感に苛まれ毎晩膝を抱えるお前に「救い」の一つのパターンをまざまざと提示するのです。


ホルガの人々は異常か?それはわかりません。

自分が交わったことの無い、他の文化は珍妙に、気味悪く、異常に見えるものです。これは相手が"怪しいカルト"だからではありません。一般人からすれば大麻常用者は異常に見えるし、オタクだって世間に忌み嫌われ淘汰されます。喫煙者を「単なる臭い依存症患者」としか見做さない人達も沢山います。彼らには、彼らなりの文化、生き方、居場所、救いがあるし何ら異常でない日常として文化を謳歌します。彼らは決して外部から迫害される謂れはありません。それはホルガも同じです。ホルガはあえて異常性を強調して描かれていましたが、それはただの演出に過ぎないと考えます。外部からみれば何だって異常に見えるのです。


社会(コミュニティ)に属することで孤独を癒す。普遍的な方法に聞こえますが、自らが背負ってきた孤独感によってそれすら恐ろしいと思える人々は沢山居ることでしょう。しかし、ダニーのように、コミュニティに染まってみてもいいんじゃねえの......??アリアスター監督はお前にそう言ってるんですよ。


人はひとりでは孤独を感じて生きていけないのに、基本的に社会に教わる最適解は「恋人を作れ」です。でも人間の感情や感性は不定かつ複雑怪奇極まるものなので(しかも二人分)孤独を癒せる健全な恋人を作ることは至難の業です。人間は異性にうまい具合に依存すると、セロトニン、ドーパミン、アドレナリン、オキシトシンなどが際限なく出て幸福を感じます。しかし、飽きも来ます。相手が浮気する可能性もあります。好きな人に相手にされず道化になったり嫉妬に狂って般若になったり、浮気して般若にその喰われたりするよりも、皆で一緒に泣いたり笑ったりする方が遥かに健全でしょう。


おわり








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