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日記:10/31 二度寝る 劇光仮面4巻を読んだ

極めてねむい。
生活リズムが全然整わない。

昨日は仕事が終わり帰宅してから、劇光仮面4巻を読んで、そのまま寝てしまった。
で、23時くらいに目覚め、疲れていたのでこの居眠りは大変気持ち良かったのだが、そのあと眠れず結局3時ころまで起きていた。

睡眠不足になると体調ががっつり悪くなるタイプなのでこういう状態は非常に好ましくないのだが、もう2週間くらいこういう感じだ。
週末など時間のあるときに早寝して習慣を正したいところだが、あいにく火曜日なので難しい。


まあ、依頼絵とかの締め切りがないことはむしろ都合良かった。
文字通りなにも出来ていないので、期日のある作業があったらやばかったかもしれない。



で、昨日発売されたばかりの劇光仮面4巻なのだが、
め~ちゃくちゃ良かった。

1~3巻で積み上げてきた抑制的なリアリティが限界突破し、その底にたぎっていた山口先生特有の熱量が完全に開放されたかたちだった。


3巻の最後の話あたりからいきなり物語がブーストしはじめ、4巻はそこで残された謎を追求するところから始まる。
で、終盤に敵の正体が判明するのだが、どうやら一巻に登場した「伏龍」と関連を感じるようなところであり、物語としての着地点もなんとなく見えてきた。

単行本の煽りのコメントにもあるように、相手は「本物」なのであり、たぶん主人公ら特撮美術研究会が「本当」の「本物」に敵うのかどうかという部分が最大のテーマなんだろうと思う。

彼らは「本物」を作ろうとして実用性(武器としての性能)を備えたコスプレスーツを作っているのだが、結局はコスプレに過ぎず、妄想の再現なのではないか、という虚無感が漂っている。

そこに、「現実に存在する」「兵器として作られた兵器」が対峙し、今後この命題が追究されるのだと思われる。

まあ、私からすれば「ヒーローになりたい」という中二病精神が最大の動機である時点で甘っちょろ野郎だし、「原作再現」が最大の美徳とされている時点でコスプレの域は出ないのではないかと思うが。
もしも、仮にいま対峙している人龍を斃(たお)したとして、実相寺君が「コスプレ殺人鬼」になって終わってしまう可能性もあるわけで、謎が究明されて「劇(はげ)しい光」が失せた時、そんな虚無の闇をどう処理するのか期待したい感じである。


良い言い方をすれば、そういう生々しい部分の心配をしたくなるほどリアリティを追求している作品であり、人龍がエクゾスカル震電の見た目をしていて、雪の中バイクを破壊して闘いが始まるシーンなどは完全に「ヒーローとは何か」という哲学を追求したエクゾスカル零の模倣で、ふたたびそのテーマを追求しているという暗示なのだと思う。

人龍はエクゾスカル震電だが、今回のミカドヴェヒター”漆黒”は、登場シーンからすると衛府の七忍に出てきた”霓鬼(げいき)”であり、エクゾスカル零の連載後、衛府の七忍の完結を迎えて、そして見えた結論の先をバトルを通して示そうとしているのかなと思った。炎の中から出てきたミカドヴェヒターが漆黒なのは、炭化を示しているのだろうか。


…話を戻すと、私からすれば、家出少女やドロップアウトした青年、社会に潜む闇を救いうる手段は唯一政治の力によるものであり、愚連隊は長期的に見れば社会悪であると思っているので衛府の七忍のラストみたいに、警察組織の一員になるとかそういう収まり方をする必要があるのではないかと思うのだが、今のところそういう兆しは一切見られない…
まあ、山口先生的にはその辺は重々承知であると思われるので今後の展開が楽しみである。









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