MOSH創業者インタビューエンジニア村井「誰もが ”自分の意見が重要” と感じられる組織でありたいと思っています」
ネットでサービスを売れるサイトMOSHでは、様々なバックグラウンドを持つメンバーが活躍しています。
今回は、Moshの共同創業者であるエンジニアの村井にインタビューを行いました。
経営者でありながら、エンジニアとして実装も担う彼ですが、その過去に遡ると起業とはまるで無縁の人生を歩んできていました。
目標もなく、だらだらと過ごす日々を送っていた彼が、なぜMoshを創業するに至ったのか、そして近い未来にMoshをどのようなチームにしたいか、その胸の内に迫りました。
時間だけを浪費していた学生時代も、そばにはいつもPCがあった
Q: 村井さん、よろしくお願いします!普段聞けない赤裸々な話を期待しています!まず、これまでの経歴を教えてください。学生時代はどんな学生だったんですか?
中学時代はしっかり勉強をしていました。そして野球部に入り、運動もしていましたので真面目な生徒だったと思います。高校は大阪の進学校に入学しました。しかしながら、大きな目標もなく、それどころか”やんちゃがかっこいい”という考えのもと、少し道を外しました(笑)アルバイトばかりしていましたね。
高校卒業後は、大阪電気通信大学というゲームの専門学校に行きました。パソコンには少し触れていたので、そのような背景もあって。
Q: 当時からパソコンには触れていたんですね、いつ頃からパソコンに触れていたんですか?
小学生の時から触れていました。自分の部屋にテレビがないけれど、パソコンがあるという環境だったんでゲーム代わりにずっとパソコンをいじっていました。
Q: お、早速いいですね!記事になりそうです(笑)どんなことをしていたんですか?
漫画が好きでずっと読んでいたのですが、読みすぎると自分が一体何の漫画を読んでいて、新刊がいつ出るのかというのが把握不能になるんですよ。
それに困っていたんで最新の本の販売表を引っ張ってきて、エクセルにして...というのをやっていました。それが中学か高校くらいの時ですね。今振り返ると、なんだかんだ僕の日常にはパソコンがあって、活動時間の8割くらいはパソコンの前にいました。
Q: それは癖の強い少年ですね!そして生活の8割でPCに触れていたとは…その後大学ではどんなことをしていたんですか?
大学でも本気で何かを学ぼうとはせず、高校の延長といった感じです。アルバイトに時間を使っていました。基本友達の家にいて麻雀とパチンコをしていました。どうしようもない学生ですね(こんなこと話していいんだろうか…)。
Q: 正直にありがとうございます(笑)その時にはプログラミングを始めているんですよね?
はい。大学受験でC言語を使った試験とかがあったんですよ。加えて大学の授業でもプログラミングの授業とかあって、それが楽しかったんですね。このあたりから、ちゃんとプログラミングを始めました。
接客業からエンジニアに転身
Q: なるほど、ではそこからエンジニアを目指すことになるわけですね!?
いや、実はそうではなくて一回接客業を挟みます。学生時代の僕はかなり偏った考えを持っていたんです。生きるための食事があればよし、あとは空き時間を最大限使ってゲームができれば、僕の人生はこれでいいなと。食事とゲームをまかなえる収入さえ得られればいい、という考えでいました。そのため、当時はコンビニアルバイトの延長で生計を立てようと思っていました。
そう思って勤しんでいたコンビニでの接客業ですが、僕にとって接客業は時間の流れが遅くてかなり苦痛でした。辛かったです。一方、趣味で続けていたプログラミングはずっと好きで、その時間はあっという間に時間が過ぎていきました。それに気付いた時に初めてエンジニアになろうと決めました。
Q: なるほど!紆余曲折ありながらそこにたどり着いたわけですね。
そうですね。思い立ったら行動は早く、インターンとしてエンジニアリングの仕事をはじめました。今思えば大学の時に一日の半分くらいはプログラミングしていたかもしれないです。
Q: それは……完全にハマってますよね。
ハマってました(笑)。逆にそれ以外は何もしていないという感じだったので。
Q: そうしてはじめたインターンから、そのまま社員になるんですよね?
そうです。2年のインターン期間を経て、そのまま正社員になり、結果的に大学も中退しました。インターン期間を合わせたら6年か7年くらい同じ会社に所属していて、色々なことを学ばせてもらいました。
なぜMoshに?Mosh代表 籔との出会いで起こる転機
Q: 代表の籔と出会ったのもその会社ですよね。
そうです。僕がちょうど社員になったタイミングで籔くんがインターンで来て、当時インターンの指導担当だったというのもあり「最近どう?」みたいな軽いコミュニケーションは取っていました。
Q: ただ籔さんは会社に合わず、村井さんという逸材だけ見つけて去っていくと(笑)
そうです。籔くんは数ヶ月で辞めてしまったんですよ。雰囲気が合わなかったのか「もういいや」みたいな感じで去っていきましたね(笑)
Q: その時に籔さんと「将来は一緒にやろう」みたいな話はしてたんですか?
いや、全然してないですね。でも彼は「将来起業したいんですよね」と言っていた記憶はあります。一方の僕は、当時の仕事が充実していたのと、起業には全く興味はなく、ピンときていませんでした。
Q: なるほど。それが今は創業メンバーとして一緒に。転機はどう訪れるんですか?
当時いた大阪から東京に僕が転勤したタイミングで、新卒でRettyに入社するという連絡が籔くんからきて、ご飯に行きました。
それから1,2年くらい経った時にまた連絡が来て、なぜか一緒に香港に行ったり、Retty社長の武田さんともご飯行ったりして。そのような経緯もありRettyに入社して、丸2年くらい働きました。
Q: 長期スパンで戦略的に引き抜かれた感じですね(笑)その時は籔と「将来起業しよう」という話はしていたんですか?
いや、この時も全くしてないです。覚えてないだけかもですが、記憶にはないです。そもそも僕はRettyに入った時点で、自分の会社をやろうとは思っていたんですよ。
Q: ええ!それは驚き!めちゃくちゃ心境の変化ありますね。最低限の食事とあとはゲームできる時間があれば…という大学時代の考えから。
自分でも想像しなかったですよ(笑)ただ、一社目の社長に受けた影響が大きいんです。「社長にしか見えない世界がある」という話を聞いたりするうちに、社長という職に興味が湧いてきて。
会社全体の意思決定をする際に、どのような変数があって、どのようなロジックの下で意思決定が行われるのかなっていうのが気になったんですよね。それを社長に聞いてみたら「社長にならないと分からない」と言われて、じゃあ社長になるしかないなって。
Q: なるほど、1社目の社長さんの影響が。ところで、籔さんの話を聞く限りでは、自分が起業するときは村井さんを引き抜くと決めていたらしいですよ。Retty社長の武田さんにも事前に話していたと。
え、それは全く知らないです(笑)
籔くんがRettyの一年目終わった頃、「色々と自分でもサービスやってるから教えて欲しい」みたいなやりとりがあり、休日にプログラミングを教えたり、結局何かを作ったりということをしていたんです。そのうち「プロジェクトチームがあるから一度合宿に来て欲しい」と言われたのを記憶しています。
八王子の山奥に行きました。そこにかずきくん(村山:Mosh共同創業者)もいて、教育系のチャットアプリを作ってました。
Q: そこからどのようにしてMoshとしてフルコミットするようになったんですか?
ある日、籔くんから「もうすぐ会社にするんですけどいいですか」と唐突に話があり、「村井さんいけますよね?」って言われたんです。それ以前から、それとなくそういうニュアンスは伝えられていたのですが。
「やりますよね」って言われたので「あ、うんやるか」みたいな感じでした。
籔くんってそういうのが上手いんですよね。いつの間にかそういう前提ができてるから、意思決定がすごく簡単というか、高いジャンプが不要な意思決定ができるんですよ。
MOSHのプロダクト開発に関して
Q: そこからMoshに入って、プロダクト開発はどういう感じで進めていったんですか?
少数ながらも、籔くんをはじめとした当時のメンバーが全員一丸となって進めていました。その頃はinvisionもあったし、そこで検討して体験を確認しながら作ってました。籔くんが細かい仕様を書いて、僕が動くプロトタイプを作って、そこに共同創業者のかずきくんがスタイル当てて。それが初期の動き方でしたね。
それがいろいろな形を経て、かずきくんが仕様を書き、僕がプロトタイプを作っていくという今の体制に落ち着いています。業務委託の方などもおらず、創業メンバーの2名でプロダクトを開発を担っています。開発組織作りはまさにこれからがスタートです。
Q: 初めはずっとエンジニアリングをやってきて、途中から経営サイドがぐんと増えたと思います。ジョブチェンジに近いことをやっていると思いますが。
ジョブチェンジというか時期によって切り替わっているだけなんですよね。今は開発に集中していますし。その時の会社の状況、フェーズ、体制によって必要なことをやっていくというイメージです。
僕ら経営スタイルは籔くんが大きな方針を打ち立てて、それを元に全体でディスカッションしつつ、みんなで意思決定していくという進め方なんです。
そうやって決まった方針において、必要なこと・求められることを僕がやっていく。もちろんエンジニアが本職ではありますが、ある時期は調達に向けてのファイナンスもやっていました。
Q: 開発を担いつつ経営もやっていく立場になったと。資金調達の時期はほぼ経営メインになっていたんですか?
そうですね、その時期は。
これまでメンバーの入れ替わりも経験したりしながらいろいろな役割を担うようになりました。半年くらい前でいうと、経営に関わる様々なことを決め直さないといけなかったのでそこに注力していました。マネタイズのポイントについても様々な議論がなされていたりとか。
また、コアバリューやミッションは何かとか、ターゲットはどこだっけといったところは徹底的に話していましたね。
MOSHの開発の今、そしてこれから
Q: Moshのエンジニアリングの課題とか今後どうしていきたいみたいな話を聞きたいです!今は村井ジャングルになっていると聞いたのですが......
村井ジャングルになった経緯は怠惰でしかなく猛省しています。人数が少なくて、属人化しすぎました。
Q: “スタートアップあるある”なのかなとは思うんですけど、スピードを重視するあまりリリース最優先で負債が溜まっていく感じですか?
そうでもないです。どの口が言うんだという話ではあるんですが、エンジニアの立場から言うなら、ちゃんと作ることと速度は反比例しないんです。
ちゃんと作るから信頼性が上がっていくし、信頼性が上がるからテストとかも最低限で済んだりとか。影響範囲も明確なので、時間をかけてテストしてもらう必要もなくなります。
ただ一人でやれちゃう分、圧力がかかりにくいのはあまりよくないことだと思っています。なので、今後は開発チームを組織としてしっかり機能させていきたいです。しかし今のままではとても新たなメンバーを迎えられるような中身になっていないので、新メンバーを迎えるためのリニューアルに尽力しているところです。
Q: なるほど、開発組織を築いていくためのリニューアルですね!リニューアルの先にはどういうプロダクトを作っていきたいとか、どのような開発体制を構築したいとか、ありますか。
プロダクトや開発組織というより、会社全体だと思うんですけど、やっぱり所属するメンバーが居心地よくあることがすごく大事だと思っていて、チーム作りにおいて、そこにはこだわりを持ちたいです。
逆にいうと、開発体制構築のための方法論などは世の中に溢れているのですが、取り入れる手法とかへのこだわりはないです。あくまでチームの生産性向上にフォーカスした意思決定をしていきたいですね。
チーム作りにおけるキーワードは”リスペクト”
Q: こういう人に来て欲しいっていうイメージはありますか。開発チームの初期メンバーになると思うのですが。
表現が難しいのですが、あるべき論を押し付けない人ですかね。
僕、人が腐ってしまう瞬間ってよく見える方だと思うんです。何が原因になるかというと、リスペクトなく扱われたり、あるいは職能で職責を制限されたりとか。
よく見てきたのが、その道のスペシャリストが集まり、職能別にチームができることによる弊害。職能別のチーム自体は全く問題ないのですが、これが縦割り文化を作ってしまうと問題です。自分に想いがあっても、自身のチーム以外にその意見は全く通らなくなる。そして受け入れ側も、他チームの助言は排除してしまう。そんな状況です。つまりはお互いにリスペクトがなく、特定領域のスペシャリストという間違ったプライドのもと、閉鎖的な働き方をしてしまう。
これが特にエンジニアだと起こりやすいと思っています。エンジニアはコミュニケーション言語が、職能・職責によって露骨に異なってくるじゃないですか。
技術のことがわかるのはエンジニアだけだからエンジニア内で完結しようってなりがちで、これがプロダクトの品質向上を妨げる最大要因になると思うんです。そうならないためにも、職能に制限されないオープンな対話を大事にしたいです。自分もこの領域に口出していいんだという雰囲気は組織内に醸成したいですね。
Q: なるほど。職能による断絶をせず、なんでもカジュアルに言い合えるコミュニケーションが取れる人がいいってことですかね。
そうです。ただその度合いは難しいんですけどね。
お互いに思ったことを全部言えばいいかというと、そういうことでもないですよね。傾聴してもらえるという空気感が組織内にあることが大事です。
”自分の意見が重要” と誰もが感じられる組織でありたいと思っています。そういった空気作りができる方、そういう気遣いができる方がチームにとって必要ですし、一緒に仕事がしたいです。
Q: たしかに、適度なプライドを持った上で、他者を尊重できる集団は強い気がします。ちなみにテック関係の話で言うと、村井さんって自分がCTOになりたいとか開発の責任者になりたいって感じではないじゃないですか。それはどういう考えからそうなっているんですか?
僕は、「自分自身が発言していいんだという感覚、そしてそれを聞いてもらえるという感覚があればいい」と思っています。それさえできていれば、ポジションはなんでもいいです。
とはいえCTOという立場が、有事の際、休みだろうが食事をしていようがなんとかする最終防衛ラインという位置づけなのであれば、今は僕がやるべきだと思っています。
今はそう思っていますが、メンバーが増えてきて、僕の説明だと納得いかないけど、ある人の説明であれば納得がいくみたいなことが起こるようになったら最後の砦的な立ち位置は別の方にやってもらった方がいいです。そしてその際はポジションに拘らず自分のできることを喜んでやります。
Q: ポジションにはこだわりがなく、サービスが最大限伸びていけばいいという感じですかね。
そうですね、サービスというか会社かな。組織のバランス感みたいなところをとにかく意識していますね。
Q: なるほど。テック領域でMoshに入ると面白いポイントってありますか?
テクノロジー領域で働いている人って、これから2パターンに分かれると思うんですよ。
技術の発展によって、一昔前よりもシステム開発の敷居が下がっていますよね。シンプルに実現できることが圧倒的に増えています。なのでテックの部分だけじゃなくてユーザーの理解だったりとか、チームでの動きが取りやすい人みたいなソフトスキルに満ちたエンジニアが今後重要になってくるのではないかという気がします。
もちろん高い技術を駆使し、圧倒的にすごい開発をしないといけないチームも多く存在しますが、そういう意味では僕らはソフト面を大事にするチームです。ミッションに紐づく形のシステム開発、ユーザーに徹底的に寄り添ったシステム開発、というのがMoshにおける開発の醍醐味ですし、求められるスキルセットかなと思います。
例えば、比較的年配の方が僕らのサービスを使う時にどういう設計にしていけばいいんだろうなど、ユーザーの想いに立ってからプロダクト開発ができる人と仕事がしたいです。
Q: 最後に、村井さんの人生において、夢とか理想とかありますか?
夢かあ。夢ではないのですが今の想いとして。
今日々の生活においてどんどん理解したいことが増えているんです。何かを思考する上で、自分自身の理解が浅いと思う局面が非常に多いです。エンジニアリングに関しても、組織作りに関しても。
大きな人生の目標とかではないのすが、日々の学びを圧倒的に増やしていって、どんな事象でも「なるほど!」と理解をしたい。目標に近いんですかね。そのような理解の瞬間が僕にとっての楽しみであり、様々な発見や課題に直面しながら、ジャンルにとらわれず色々なことをどんどん学んでいきたいですね。
Q: 村井さん、ありがとうございました!
今回はMoshの創業者でありエンジニアの村井にインタビューを行いました。
Moshでは一緒に働く仲間を探しています。Moshの採用ページはこちら。
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