毎日見てたチャンネルが終わった話
こんにちはmoshです。
Twitterと同じくらいYouTubeを見ることも習慣になっているんですが、その習慣のなかで起きた事、それについて感じた事の話です。
お絵かき活動をちゃんと継続的にやっていこうと思えたきっかけでもあるので文章にしておこうと思います…!
みんないろんなチャンネルの動画を見てると思うんですが、そのなかに「めちゃ大ファンって訳でもないけど毎日見ちゃうチャンネル」ってあると思います。
自分は特にYouTubeをヘビーにチェックしてるわけでもないので、毎日投稿をしてるチャンネルはそれだけで毎日見る理由になるのですが…
毎日そのチャンネルの動画を見るとなると、「朝起きてぼーっとしてる間に見る」とか「夕ごはんを食べながら見る」とか、その動画を見ることが、自然と生活に組み込まれて習慣になっていくんですよね。
まあ、そういうチャンネルのうちのひとつが去年無くなったという話なんですが…
最初そのチャンネルを視聴した理由は、「そのジャンルの情報が欲しかったから」というだけだったんで、出てる人の個性とかについてはあまり関心はなかったんですけど、毎日見てると知らない間にその動画の空気感みたいなものが心地よくなっていくようで…
「僕たちのチャンネルは今日で終わりです」と告げられたその時すぐは、「へぇ〜そうなんだお疲れ様!」ぐらいだったんですけど、後からけっこう寂しく感じました。
これ、なんとなく毎日眺めてるチャンネルが終わっただけでもかなり寂しさがあったので、もっと好きなものとか応援してたグループの終わりだったら、相当堪えるんじゃないかな…?って感じました。
一生死ぬまで続くコンテンツってそうそうないと思うので、普通は2〜3年とか、長くても5年とかでコンテンツが終わったりする事が多いはず。
なのでそれを考えたら、「生きがい」とか「毎日の楽しみ」を何かに依存するのって、そういう周期で心がダメージを受ける可能性があるという事っぽい…
これがなんでもない日ならまだいいですけど、「今は心が乱されると困るな~」というタイミングに重なると仕事や生活に影響が出ることもありそうです。
そういった「不意なタイミングでの心の乱れ」を減らしてコントロールしようと思ったら、追っかけるコンテンツは「ほぼ死ぬまで続けてくれるってくらい信用できるコンテンツ」か「自分のやる事とその結果」のどっちかにするのが良さそうなのかなって最近は考えてます。
特に「自分のやる事とその結果」は、自分がやめちゃわない限りは一生続いていくので、ある日無くなってめちゃさみしくなるとかって事にはあまりならなそう。
もちろんインプットはちゃんとやっていきますが、依存先を他の何かじゃなくて自分自身にしちゃえばある種の強さみたいなものが得られそうかなって…
商業的な理由から、まだ追ってる人がいるのにも関わらず発信者の意図とも違うタイミングでコンテンツが終わったりするのは、外から見ててもさみしいです。何かに依存して生きていくのはそういう不意の寂しさと隣り合わせな生き方なのかもなーとも思いました。
そういう部分を考えていくと、自分はmoshとしての活動で少ないかもしれないけど見てくれてる人がいる状態で、その人たちにそういうさみしい思いをさせる事になっちゃうのは嫌です。始めたからには終わらせられないなと思います…!(自分のためにも。自分の一人目のファンは自分なので)
長々書いてきて、最終的に言いたいことが「moshはある日突然終わったりしないぜ!安心して着いてきてくれよな…!」という事になってしまうのですが…
気まぐれや事情によって表現のカタチが少しずつ変化することはあっても、突然消えたりはしないので、安心して見ててもらえたら嬉しいです。(右手が無くなったら左手で描きます)
Twitterとかでもらえるコメントなどを生きがいにしつつやっていきます…!
なんか久しぶりに文章を書いたらまとめ方がわからず、わりとお気持ちテイストな感じになってしまいました。
moshでした…!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?