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横浜のタルタリアぽい歴史的建造物

横浜 その名前を聞くだけでお洒落な響きがします。

その期待通りに素敵な建物があります。

神奈川県立歴史博物館(旧横浜正金銀行本店)

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神奈川県に長く住んでいたのに、この科学博物館の存在は知りませんでした。

山下公園や氷川丸は小学校の遠足できたことがあります(かなり昔です)

屋根のドームは可愛らしい印象ですが、外壁がヨーロッパ(ローマ風の重厚な感じになってます。

東京芸術大学 大学院映像研究科 馬車道校舎 (旧 富士銀行 横浜支店)

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この建物も重厚でローマ風ですが、この建物越しに見える塔がタルタリア風です。

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屋根はタルタリアぽいですが、かなり外観は新しいです。

教会のようでした。


神奈川県庁第2庁舎(旧生糸検査所)

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日本郵船歴史博物館

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柱の土台と柱の継ぎ目がよくわかります。

この柱はタルタリアの技術ではないですね~たぶん

横浜税関資料展示室

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屋根の上のドームとアーチ状の窓枠にタルタリアの雰囲気があります。

外壁はかなり改修されているように思います。

横浜開港記念館

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この建物は完全にタルタリア風です。

屋根の上のドーム・突起、アーチ状の窓枠、赤レンガの外壁

要素がそろってます。

1F部分が石で覆われ、2Fと思われる部分に階段で上がって入る特徴もあります。

ということで、この建物はかなり古いと思われます。

神奈川県庁

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正面

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ドームもないし、アーチ状の窓もありません。

でもなんだか気になります。

かなり特大サイズの建物です。

まとめ・考察・関東大震災の影響

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横浜開港資料館の中庭で見つけた看板です。

建物の写真、左右の三角屋根の張り出しに違和感がありますが、

タルタリア様式と思われます。

看板の文字は以下の通り

横浜から広がった西洋文化 Western culture spread from Yokohama
日本大通りと横浜税関 近くを通る日本大通りには西洋風の建物が建ち並ぶようになり、1885年に建てられた横浜税関も、 赤レンガづくりでした。(横浜開港 館)
横浜にやって来た西洋人(イギリス人やアメリカ人など)は、 西洋の知識や文化を日本人につたえました。アイスクリームや ビールなどの食品、せっけんやマッチなどの日用品、汽車や汽 せん 船などの乗り物、テニスや野球などのスポーツ、いろいろなも のが横浜を通じて全 に広まっていきました。この中庭に展示 してあるガス灯や近代的な水道も西洋から伝わったものです。
横浜開港資料館 YUXORAMA ARCHIVES OF HISTORY


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運よくこの展示を見ることができました。

撮影禁止だったので、お見せできないのがとても残念です。

このパンフの左側、タルタリア風の建物、半壊・全壊しています。

震災前の写真では、馬車道~日本大通り近辺はタルタリア様式の建物の間に日本風の屋根の低い建物(2階建てくらい)が少し混じるという街並みでした。

関東大震災により、現存するいくつかのタルタリア風の建物を残し、ほぼ全壊してしまったようです。

残された建物も外壁などの損傷がひどければ、相当の改修がされたと思います。

関東大震災は12年(1923年)9月1日11時58分32秒発生

丁度お昼どき、煮炊きのために火を使っていたため、火災が急速に広がったということです。

現代の私たちはたくさんの情報を短時間に得ることができますが、当時はそうではなかったと思います。

母方の祖父は当時、東京で憲兵をしていました。

当時のことを「ぐらッときてびっくりしたんじゃ~」と語ってくれましたが、その先の話は全くしてはくれませんでした。

孫の私にはとてもやさしい祖父でしたが、何かを知っていたのか知らなかったのかは、全くわかりません。

孫である私は、まだ真相がわからずにもがいていますが、もっともっと知りたいと思っています。

プロセスを楽しむことを忘れずに、知っていきたいと思います。

本日も長い記事をお読みいただきありがとうございました。

どうしてこの世に生まれてきたのかをずっと知りたかったのです。 あちらこちらに頭を突っ込んで、楽しかったり、ドツボにはまってもがいたり、 その全ての体験が笑ってしまうほど愛おしい。 これからの人生は、自分流、気ままに楽しく創造しちゃいます。