内なる怖れに立ち向かう勇気
私たちの地球は変化の大きなエネルギーの中にあり、
世界中の共通課題 コロ菜とワク珍 に向き合っています。
アメブロの方で書いたのですが、初対面に近い方とコロ菜・ワク珍の真相をお話しすることができました。
日本人の目覚めは?
海外に比較すると日本は目覚めが遅れている、
眠ったままの人が多いと言われますし、
私もそのような印象・イメージを抱いていました。
けれど、本当にそうだろうか?と思うようになりました。
もしかすると、知ってはいる、何となく情報は見ているけれど
声に出さない、言わない、周囲の様子を見ている、
そんな人が多いのかもしれないとも考えるようになりました。
発信している方はすでに十二分に頑張っていらっしゃる。
でもそれが大きなうねりにならない。
日本人特有の空気を読む、同調圧力、
変わった人を排除しようとする、出る釘は打つ
そのような特性の奥底には、怖れがあると思います。
親・教師・社会の中で何かあるごとに繰り返される体験により
身に付けてしまった怖れ、
その怖れから、知らぬ、存ぜぬ、関わりにならないという態度
が身にしみ込んでいる人が多いのかもしれません。
過去の経験からくる怖れ
何を隠そう、私自身も怖れ満載の人生でした。
生粋の軍人の父に怒鳴られたり、やり込められたり、
母の意地悪と腹いせで、あることないこと父に言いつけられ、
一方的に軍隊調で怒鳴りつけられたりしました。
大人の顔色を伺う良い子として振る舞っていました。
でもそうすると、自分を生きられないですね。
大人になってから理不尽な事は言う事にしました。
相手が誰であろうと理不尽なことや違うと思ったことは、
受け入れるべきではないと思います。
一度受け入れてしまえば、これもあれもと
次々と受け入れてしまうことになります。
言い返す、言い返さないなどはともかく、
自分の考えや意見はこうですよ。
相手の意見にもしっかり聞いたうえで、
「あなたはそうなのですね。考えが違うという事ですね」
ただそれだけで良いと思うのです。
日本人的な調和に愛の基準を
日本人は相手の気持ちを察することのできる能力を
持った人が多いと思います。
声高にもめる事を嫌い、優しく調和しようとする性質を
持っていると思います。
その性質の負の側面は、何が何でもみな一緒・同調となり、
陰険なパワハラ・モラハラ・いじめにもなりかねません。
もめごとは嫌い、優しい、皆で協力するは、
愛と叡知をもって行われるとき、真価を発揮すると思います。
怖れゆえに、もめごとは避ける、優しくしておく、協力しておく
は全く違うものであると思います。
自分の真実を生きる勇気
負の側面に傾いてきた日本人的性質を、
勇気をもって変えていく必要があると思います。
日本人的な性質も意図的に作られたモノかもしれません。
これでもかこれでもかと
怖れを与えられ萎縮してしまった
心と精神と身体の自由を
取り戻していきましょう。
何か失敗してもいいし、行き過ぎたら
素直に謝ればよいことです。
待つだけでは変わらない
少し、嫌なことも書きます。
自分から行動はしないけれどやっているふりをして
メリットだけは受け取ろうとするタイプの人もいます。
今までの人間社会ではごまかせました。
そういう人がうまく世の中を渡ってきました。
今の時代はそうはいかないと思います。
自分の内面の怖れに立ち向かう勇気がもつかどうか
誰かが代わりにやってくれるわけではありません。
さて、私もほぼ同意見なのですが、
ある方が
「ライトワーカーが増えるほど、デクラスとベーシックインカムの導入が早くなる」
とリーディングしています。
これに
ライトワーカーとしての自覚と行動
と私は付け加えたいと思います。
どうしてこの世に生まれてきたのかをずっと知りたかったのです。 あちらこちらに頭を突っ込んで、楽しかったり、ドツボにはまってもがいたり、 その全ての体験が笑ってしまうほど愛おしい。 これからの人生は、自分流、気ままに楽しく創造しちゃいます。