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淡路島に残るユダヤ人遺跡

淡路島・菰江遺跡

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旅と気づきの場 プロデュース 様よりお借りしました。

時は昭和9年の9月20日。
旅館・四州園の経営者・森重吉氏は、旅館の湯殿を建てようと敷地内を整地していたところ
地下1メートルのところで不思議な石組を見つけました。その天井板を外すと、その中にはきれいな青い石が敷き詰められており、8個の小石が置かれていたというのです。
ところが、ところが。
この遺跡を掘り出した森重吉氏は、その夜、うめき声をあげて急死してしまったのです。
「これは遺跡の祟りに違いない。」
このように恐れた人たちが、遺跡を埋め戻してしまいました。
その後、昭和27年になって、淡路古文化協会・会長の白山義高氏が、この遺跡は、イスラエル人の遺跡であることを発表したのです。こうして、この遺跡は世間の注目を集めることに
なりました。そして昭和27年10月14日に、この遺跡は発掘されることになりました。この調査には、外務省嘱託内藤智秀博士、イスラエルのローゼン大司教、日本イスラエル協会
小林孝一らが立ち会う大規模なものでした。
当時の新聞記事(神戸新聞 昭和27年10月13日)


淡路ユダヤ菰江遺跡発掘65周年記念式典

この遺跡が発掘され、一時は注目を浴びましたが、次第に世間から忘れられていきました。

けれども、遺跡発掘から65年目の2017年に、65周年記念式典が淡路島洲本で開催されました。

この式典には賛同したのは以下の神社

伊弉諾(いざなぎ)神宮 出雲大社 大神神社

枚岡神社 中山神社 剣神社、大剣神社、西島神社

出雲大社と伊弉諾神宮で、この式典と同時刻に祭典が執り行われました。

伊弉諾神宮では、宮司さんが

  「太陽の国(シオン)、日本!神話の源流・淡路島から世界へ「希望」よ、届け!」

という演題で講演をしています。


ユダヤと日本をつなぐ点と線

イザナミ・イザナギの国生み神話は、一番初めの重要なエピソードです。

伊弉諾神宮は伊勢神宮よりも格が高いとされてるようです。

また、伊弉諾神宮からみて

【夏至の日】  日の出の方角→諏訪大社
        日の入りの方角→出雲大社

【冬至の日】   日の出の方角→熊野那智大社

          日の入りの方角→高千穂神社

となっているそうです。

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主婦ルンのご機嫌な毎日様よりお借りしました。

重要な神宮が淡路島にある、神話の始まりが淡路島、ここに古代ユダヤ人の遺跡がある、重要な神社の配置、

などなどのことから、(他要素もいろいろあり)

神道のルーツにユダヤ教が深く関係している

というのは間違いないところと思います。

お読みいただきありがとうございました。










どうしてこの世に生まれてきたのかをずっと知りたかったのです。 あちらこちらに頭を突っ込んで、楽しかったり、ドツボにはまってもがいたり、 その全ての体験が笑ってしまうほど愛おしい。 これからの人生は、自分流、気ままに楽しく創造しちゃいます。