見出し画像

愛らしい存在達との出会い

ハンディを持った子ども達との出会い

子ども時代の私を救ったもの、本・自然と書いてきまた。


学生時代から社会人になりたての頃の私を救ったのは、

身体的・知能的にハンディを抱えた子ども達でした。

高校の頃になると進路を決めるように急がされました。

親の指示や要求に従うことで生きざるを得なかった私は、

自分の独創的なものなど何も持ってはいませんでした。

はっきり自覚していたわけではないですけど、

誰か他人に役立つことでしか考えられませんでした。

自分でそれをやりたいのだと思い込んでいましたけれど、

それ以外のことはやりたいと言えるものはなかったし、

他のことはできなかったと思います。

社会システムの奴隷ぽいところもあります。

両親は怖れの見地から、権力や支配の社会システムに

従うように(媚びるように)しろと強制してきました。

強いものに媚びる気はなかったので、

ハンディを持った方の手助けをする道を選びました。

その方向性で専門学校に行こうとしたら、

またもや大学に行く道をを選ばされました。

仕方なく、その方面の大学に行くことになりました。

ありがたいと言えばありがたいのですが、

どこまでも親の意向に従わなければならない自分に

嫌気がさしていました。

高度成長期がバブルに移行していく手前の学生時代は、

大いに遊ぶことに集中しました。

この時期は遅れてきた反抗期だったかもしれません。

その中、ハンディを抱えて子ども達との出会いは

光るものがありました。


純粋な魂との触れ合い

学生時代は遊ぶこと・ハンディを持った子ども達の

行事などのボランティアに明け暮れました。

その流れのまま養護学校・施設関係・放課後のデイサービス

等で働きました。

ハンディを持った子どもたちとの出会いは、

私の中で小さな革命を起こしていました。

人は、人前では取り繕いますね。

相手によって態度を変えたり、

場面によって言う事や行動が変わったり、

ハンディを持った子どもたちは、

そういうことをしない子が多いし、実際できない事も多い。

(中にはちょっとずるく立ち回る子もいますが(;'∀')

この子たちの在り方がとても新鮮だったのです。

重度の障害を抱え、精神年齢が1歳に満たない子たちもいました。

抱っこしたり、遊んだり食事の介助をしていると、

ハートが温かくなるのを感じました。

それは私にとって始めて 愛を感じた瞬間 でした。

今回はここまでです。


お読みいただきありがとございました。

ハートの愛が皆様のハートにもひびきますように


次の記事はこちら












どうしてこの世に生まれてきたのかをずっと知りたかったのです。 あちらこちらに頭を突っ込んで、楽しかったり、ドツボにはまってもがいたり、 その全ての体験が笑ってしまうほど愛おしい。 これからの人生は、自分流、気ままに楽しく創造しちゃいます。