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幼い頃に3年間だけ住んだ街を歩いた。(昨日の夜に書いたもの)

ひとり旅第三弾

今日着いて一泊して
明日には帰ります。
(つまり今日帰ります)

急な計画でしたし
コロナは増えていますし
少し迷っていたのですが、

来て良かったです。

リフレッシュという意味でも本当に。

ただ、いろいろ歩き回っていたら
2万歩を達成していました。


しっかり疲れました。


では本題です。


今日私は、

小学校2〜4年生を過ごした場所に
行ってきました。

数えてみたら
もう15年も前みたいです。

そんなに前なんですね、
実感としては"少し前"くらいなのに。

たった3年、とも言えますが、
3年は十分濃くて長い時間です。

今回泊まっているところから
少し郊外へ、
電車でその場所へ向かいました。

住んでいた当時は
ほとんど電車には乗っていないです。
乗った記憶は全くないです。


電車で向かっている時間が
一番センチメンタルで
何度も泣きそうになりました。

まだ着いても見えてもいないのに。


何に対して目の奥が痛くなってたのでしょうね。



かつて日常だった場所へ
大人になって自分の足で来ていること

そんな今日が不思議で、

もうあの頃とは何もかもが違っていて
今は大人になって
帰った地元で働いていて。


だけどきっと当時関わりのあった人は
今もここでの生活が続いていて。


私がここで大人までの時間を過ごしていたら
どんな中学、高校、大学生活になっていたのかな
何で少し思ってみたり。
ありえない話ですが。


覚えていることも沢山あるのに
忘れていること、思い出せないことも
それ以上にたくさんあって、

変わってしまった景色もあれば
変わらないそのままの部分もあって、

その場所に立ったら
ずっと全く思い出したこともない
思い出の記憶がグッと蘇ってきたり

人の記憶ってわかりませんね。



小学校までの通学路も歩きました。
片道15分でした。

小学校の前に歩道橋があったこと
顔がそっくりな双子の同級生がいて
私はちゃんと見分けがついていたこと
校舎へは校庭を大回りしないとたどり着けないこと
絵を描く授業で校舎を選んだこと
その校舎の時計の形はそのときのままだった
金柑やガムの実を取って食べていたこと
その木は見えなかったけれど場所は覚えてる、

校門の前に立つと蘇る記憶が
いくつもありました。

通学路は毎日歩いていたはずの道なのに
あの頃から変わったのか変わってないのかも
わからず、思い出せないことも沢山ありました。


住んでいた場所の前に
雑草と砂利の広場(空き地?)があったのですが、
公園と道路になっていました。

砂利の面影は無く、
ブランコができていました。 
綺麗に道路になっていました。


狭い道に現れる神社や
徒歩で通った習い事の場所、

電車でも今日までの数年間の日々でも
全然思い出すことがなかったことも、
いざ目にすると
その場所に立つと
出来事がつい最近のことのように
頭の中を駆け巡りました。


来ようと思えば来られる距離だけど
新幹線or飛行機でいくつもの県を越えて、
さらに少し郊外へ向かう必要があります。

少し遠いからこそ
行きたいなと思ったのでしょうか。

ふと思い立って
Googleマップで検索したことがありました。

その時からかもしれないです、
いつかまた行きたいと思っていました。



あの頃に戻りたいとか
そういうわけではないです。

こっちに住みたいかと言われたら
別にそういうことでもないです。


ただ、
私が幼少期を過ごした場所

小学校を3つ通った私が
一番長く小学校生活を過ごした場所


それだけです。


それだけなんです。





私にとっては
小学校の3年間だったけれど、

親にとってはまた違う3年で、
きっとここへ来たら
また見え方も違うんでしょうね。


もしずっとこっちに住んでいたら、

東京に行きたい!関東に住みたい!

なんて思ったかもしれません。
いや、絶対思ったと思います。笑


結局はないものねだりだし、

道はひとつしか選べないから、
選ばなかった選択肢のことを
考えてしまいがち。

でもどんなに
もう一方のことに想いを巡らせても
過去には戻れません。


その時その時に好きなことをして

今と未来を生きていきたいです。




さて、日曜日、
今日は何して過ごそうかな。






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