なにも成せない焦りの正体、そしてそれと折り合いをつけて生きる事①スキルが欲しい、楽しく生きたい

やなです。


この記事では、眠れない夜にぐるぐると脳内で巡り浮かんでは散って消えるとりとめない思考――この先幸せに生きていけるんだろうかという不安、何にもなれない焦り――を、スマホのメモをもとにして整理・言語化してみようと思います。長くなりそうなので複数回に分けます。


普段はメモなど残さずに寝て忘れるんですが(そして次の不眠タイムに「ああこういう不安何度もあったな」と思い出す)今回は、つまりまた眠れずにぐるぐるしていたこの記事の前日の夜は、「そうだこれをnoteのネタにしよう!」と思い立ってしまったため、不眠が悪化するのを承知でevernoteにメモを取り更に思考を掘り下げて出来る限りのメモを取りました。


結果いくらかの収穫はありましたが......乱れた自律神経×動かない重い頭で真剣に考えようとするのは、気が狂いそうになるのでやめた方がいいと分かりました。もうしません。


正体の分からない不安などは、無理やり正体を掴もうとするより放置して忘れたほうが精神的にはずっと良いです。考えすぎると自我が不安定になるような、命を削っているような感覚に陥ります。小説家が自殺するのも分かるなと思ってしまいました。この記事も、不安定な脳みそが生んだバグみたいな内容かもしれません。何日か置いて読んだ時に、意味不明、ばかばかしい、と笑い飛ばせてしまう内容かもしれません。しかしこれも自分の一部ではあるので、予定通りnoteに残しておこうと思います。色々な要素が絡み合っているので記事を分けて書きます。
予定としては
①スキルが欲しい、楽しく生きたい
②認められたい
③間接的な障害物にめげてしまう
④深夜に考える暗いことがアイデンティティな気がしてくる


今回は①。以下本題です。
イラストや音楽や専門知識、専門技術がある人を見ると羨ましくなります。私も世間に通用するレベルの何かが欲しい。


例えば上手い絵を見ると、自分も画力欲しいと思う事がよくあります。私は最初、絵が好きなのにそれを突き詰められなかったのが悔しいのかなと自分で考えていたのですが、語学力や文章力やコミュ力がある人を見ても同じ感想(自分もそれ欲しい)を抱くので、絵に限った話ではないのかもしれません。


スキルを得てどうしたいかって言うと、自分のしたい表現をしたいのも勿論ですが、その先にはやっぱり自己肯定感が欲しいです。自分は楽しく生きられる、できる人間なんだって思いたい訳です。


人生は楽しく生きるものだし、私の中の価値観では人生の楽しさってのはスキルとか知識とか思考力の豊かさに直結しています。他の人の楽しみ方を否定する訳じゃありません。私のみに適用される、私の中での考えです。


つまり自分が何にも出来ない(それなりに出来ることはあるけど自分が納得するレベルにじゃない)事に対する嫌さっていうのは、人生もっと楽しめるはずなのに自分の出来なさのせいで楽しみきれていない事への悔しさなんだと思います。なのでスキルがある人を見ると、あー私の知らない世界が見えてそうでいいなあって思ったりします。


あんだけ〇〇だと人生楽しそうだな、の一言で終わるような内容ですね。でもごっちゃごちゃの脳味噌を切り分け掻き分けて、とりあえずここに辿り着けて良かった。


これとは別に承認欲求の話もあります。次書きます(書けたらいいな)


スキル欲しいなら努力して得ればいいじゃん、って話ですね。なかなか上手くは行きません。努力が実らないというより努力自体なぜかできません。これも後で書きます。


②に続きます。今回はこれで。

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