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生(セイ)の実感

昼から夜までずっとやる気も出ずぼんやりしていた癖に、布団に入ったら頭がすっきりし始めて困った。例のごとく眠れないうちに空が白んできてしまったので、布団から出ることにした。昼夜逆転など知るか。


豆乳の空パックを洗って開く。ゴミ袋を持って外に出る。頭が動いていない時は視界に入っていても意識されなかったそれが、今はひとつひとつ現実感を帯びてそこに「ある」と認識出来る。


外はすっかり晴れてほの明るく、大気は朝もやがかかり、静けさと清々しさに満ちていた。玄関を開けた先の、見慣れすぎたはずの景色がいやに幻想的に見えて感動してしまった。


そして、外の空や大気や木々、ひっくるめた外の世界が「そこにある」物として強く感じられると同時に、私も地面を歩いて「ここにいる」感覚を感じられて、私が日頃求めている生の実感、今生きているという感覚を今得ているのかもしれないとひとり感激した。


言葉で上手く説明できずスピったような表現になってしまった。一応言っておくけれどヤクをキメた訳ではないし世界が輝いて見える訳でもない。むしろこれはおそらく大部分の人には当たり前の事なのだ。自分が今ここにいて生きてるなんて当然じゃないか。


白状すると、私は普段生きてる時、自室や外を空間的に捉えるのが難しい。空間ってのは沢山あるそれぞれのモノの位置関係を同時に把握してはじめて認識出来るんだけども、私は何かに視線を向けるとその他の物の存在感が曖昧になってしまうので、そこに生まれる空間性、そこから感じられる世界の立体感みたいなものも曖昧になってしまう。これは私の探し物下手の元凶でもある。2年前受けたWAISで知覚統合がだいぶ低い(80ぐらい)と判明したんだけれどこの現象はそれ由来かもしれない。

今みたいに頭がしゃんとしている時は、部屋のモノ一つ一つの自己主張が強くなるというか、それらに同時に意識を向けられる感覚がある。貴重な状態だ。ずっとこうだったらいいのに。薬を飲めば解決する可能性があるけど今の所それは考えていない。

ちなみに離人感はない。現実感消失症と呼ばれるものとも違う気がするけれど医者じゃないので私には分からない。

何の話だっけ。生の実感の話だ。

自分が今ここに生活してるっていう充実感は、新鮮な体験をする事で得られると思ってたんだけど(勿論それもあるけど)、もしかしたら世界を立体的に、つまり現実感をもって感じられるっていうこちら側の状態も同じくらい重要なんだと思う。世界に立体感があればなんでもない経験もきっとより印象的になる。


関連して、私はイヤホンで曲を聴くのが好きなんだけども、それは視覚を使わなくても脳内で立体感=世界 が感じられるから、という理由がある。また別の機会に書けたら良いな。

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