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知らないまま、がわたしを守る

今日は、4歳の娘と1歳の息子と一緒に、
自然体験施設へ。

施設内の昆虫標本や塗り絵を
一通り楽しんだ後、
中庭で森を見ながら、お昼ご飯。

中庭のベンチに座ると、
目の前には、大きな森が広がる。

平日ということもあり、
わたしたち以外には、
2.3人の来館者が通る程度。

3人でベンチに腰掛けて、
おにぎりを食べていると、
目の前の高い木々から、
様々な鳥の鳴き声が。

チュンチュン・・
チチチ・・
チーッチーッ・・

しかし、残念ながら、
わたしが鳥の名を認識できるのは、

ホーホケキョ、のうぐいすの声だけ。

娘と息子と、
ホーホケキョの声が聞こえるたびに、
顔を見合わせて笑う。

娘が、「みんなで一緒に言おう。」
と声をかけ、
3人で「ホーホケキョ」

タイミングよく帰ってくる、
本物の「ホーホケキョ」

なんて、平和な時間。

あらゆる鳥の鳴き声の中から、
ときどき聞こえる「ホーホケキョ」

わたしたちには、
その声だけが、とても鮮明に
美しく聞こえる。

そのとき、ふと、
もっと鳥の名前がわかったら楽しいのに、
と思い、
その世界を想像してみた。

あの鳴き声はこの鳥、
この鳴き声はこの鳥・・
たしかに識別できたら、
娘と息子に名前を教えられるし、
楽しそう。

でも、あらゆる鳥の名前が分かったら、
鳴き声が聞こえては次々に識別したくなる。
すると、こんなふうに、
「ホーホケキョ」だけに集中して、
その美しさをゆっくり堪能することが
できなくなるんじゃないかな。

そう思うと、
知らないくらいが心地よい。
丁度いい。

知らないけれど、
ちょっと知ってる何かに出会うと、
とても嬉しい。

そのくらいがワクワクする。

今の時代、スマホで調べれば、
なんでもわかる。識別できる。
解説動画を見ることができる。

でも、心地よいことは、あえて、調べない。
知らないままのわたしでいる。

これが自分にとっての「心地よい」を
守ることにつながるかもしれない。

美しい森から、そんな気づきもらった、
穏やかな午後でした。

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