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それは本当にお前のやりたいことか?(これは自問自答のメモですよ)

こんばんは。モサクです。俳優しています。
今年はお仕事件数が激減していますが、かわりに一本当たりの質というかエキストラ率が下がっている気がします。
そして、それは求められる技能が上がってきてるということですので、ずっと思ってる演技力の足りなさがとうとう露呈し始めた感があります。
なので、ここに自信の今後の指針とすべく、ちょっと考えをまとめておきたいと思います。
※全て自分メインで書いているので「知らんがな」的内容です



憧れを持つ

今現在、憧れている人がいるか。

あこがれ【憧れ/▽憬れ】 の解説
あこがれること。理想とする物事に強く心が引かれること。憧憬 (どうけい・しょうけい) 。「―をいだく」「未知への―」「―のまと」

出典:デジタル大辞泉(小学館)

即座に思いつきません。
過去に思いを馳せると、一定の個人に憧れを抱いたことが無いように思います。しゃべりの達者な友人の話術に憧れて真似したり、楽器が得意だった彼に憧れて自分も楽器をしてみたり、鉄道&旅好きの友人を真似て鉄道の旅に出たり、という時期もあります。いずれも友人であり身近な人でした。

某コンピュータ系総合学園の専門学校入学したときは恩師がいました。色々社会のこと、会社のことを教えていただきました。が、憧れとはちょっと違うのですよ。人生の「先輩!!」って感じの方が強いです。

卒業後、サラリーマンになりました。PG/SE、営業を含め約16年。申し訳ないのですが職場でお会いした方々に、「尊敬」はあっても「憧れ」はなかったです。上司は常に反面教師と思っていました。(もちろん全員ではないです。元上司の方々の名誉の為に補足します)

サラリーマンをやっている最中もいろいろ趣味はありました。
スキー、車(なんなら鈴鹿や岡山などの国際サーキットでの走行)、鉄道&旅、カメラ、お酒、アニメ鑑賞、etc…
しかし、どれも強い憧れをもって始めたものではないのです。個人的に興味のあったこと、友人・知人とのコミュニティ的なものであったこと、一人でただ黙々とやっていられること、それらが主な理由でした。

現在、映像系の俳優としてたまに画面に出ながらアルバイトしています。ここ1年ほど、「憧れ」というか師事したい方に渇望しています。振り返ると最初にあげた友人以外、真似たいと思える人もいない人間になってしまいました。



なぜ俳優になろうとしたのか?

そもそも、なぜ俳優になろうと思ったのか?
某日本のナレーションと演技の専門学校で声優になれなかったから。

なぜ声優になろうと思ったのか?
高校の時から漠然と声優になりたいと思っていたから。

では、何がそう思わせるのか?
小学生~中学生頃まで聞いていたラジオドラマやドラマCDでのキャストの方々が自由奔放に楽しそうだったから。

そうです。楽しそうな空間が、耳の先に広がっていたのです。
当時は脚本家もプロデューサーも入り乱れて、楽屋オチのようなネタを使いながらも、その雰囲気はとてつもなく楽しそうで力強く感じました。

「楽しそうだ!やりたい!!仲間に入りたい!!!」

その空間に「憧れ」ました。

そして、当時からベテラン声優さんはご高齢の方が多かったような気がしています。そこから思ったのは「年齢を重ねても楽しくやれる仕事があるんだ!!」、「命尽きるまで皆んなでワイワイ楽しそうにいつまでも演っていたい!!」というもの。
いま考えると、この「憧れ」も特定のだれかではなく、「空間」や「時間」に憧れていたように思えます。そして同時に、そこへ到達するにはどうしたらよいか?ということを常に考えていた気もします。

当時の声優さんや脚本家さん達は私が二十歳になるころには業界の変遷とともに、はたまた私のライフワークの変遷とともに、お見掛けする機会が減りました。しかし、「空間」「時間」への「憧れ」だけは続きます。



空間や時間が憧れなら今はどうなの?

「空間」や「時間」に憧れていたと分析しました。
では、今はどうか?

今、そのようなものが身近でもテレビでも舞台でも、どこかに存在することを発見できているか?

一番近いのは「浅生鴨」さんです。
なんなら、上京していつ俳優になるかモヤモヤしていた時に、一歩を踏み出す勇気を貰ったのが鴨さんのこの本です。

そして、鴨さんの周りには「糸井重里」さんや「田中泰延」さん、元をたどれば「SHARP」さんや「ヤンデル先生」から惹かれていった世界です。
そこに、学生の頃夢見た「憧れ」の空間が広がっていました。

では、そこに私は踏み入ることができるのか?

少なくとも、現状では無理だと思っています。
なぜかというと、先日YouTubeで発せられた「加藤順彦」さんの言葉「特異な得意」が私には圧倒的に足りていないと感じているから。

「憧れ」の「時間」や「場所」に到達したくて「特異な得意」を得るために「俳優」になったはずなのですが、実力がその域に達していないのです。
(ここ以外の「時間」や「場所」であったとしても)



特異な得意を作るには?

では、「憧れ」に近づくにはどうすればよいか?
私の中の渇望としては、「憧れの個人or団体」に師事することです。
巨人の肩に乗らせてもらい、その先を見たいといったところでしょうか。
もしかしたら、巨人の肩が高すぎて登るのに苦労するかもしれません。
しかし、まだ登ってすらいないと思っているので、とにかく登ってみないことには始まらないのです。

と、ここで冒頭の「憧れを持つ」に立ち返ってみます。
この一言は、「特定の有名人」を指す意味合いが強かったと思います。
しかし、私はここまでで「特定の有名人」を誰一人挙げていません。
先にきっかけとなっ方々は「憧れ」の「時間」や「場所」を実現していると思われるのだが、特定の個人に「憧れ」を抱いているわけではないのです。

さて、困りました。



そもそもなんで俳優なの?

そういえば、なんで俳優になっているのかというと、ズバリ!
「声優になれなかったから」

これ、今更ですが、別に声優でも舞台俳優でも映像俳優でもなんでもよかったのです。
なぜなら、学生の頃夢見た目標が「憧れの時間と場所」に到達するため。
そして、手段が「声優」であったからです。
40歳を超えた今、「声優」になれないと悟った私は手段を「映像系俳優」に変更しました。もしかしたら「お笑い芸人」という選択肢もあったのかもしれません。
ただ、各先駆者や今から目指す方の為に弁明しますと、「簡単になれる」などとはこれっぽっちも思っていません。
むしろ、いままでやってきたどの仕事より困難であろうと思っています。
そして、それを楽しみにしていたのです。



そして憧れへ

どうやら私の憧れは、特定の個人ではなく、「時間」や「場所」のようです。とはいっても、生きてきた時々で師事を仰ぐ方は当然いたわけです。ただ、思い返すと、ほぼすべての方が「私が入りたい」という「時間」や「場所」を作っていた方々のように思えます。

果たして、「憧れ」とは?

俳優になって、その業界に行けば少年のころに私が望んだ「時間」や「場所」に近づけると思っていました。少なくとも、サラリーマンの中にその答えを見出すことはなかったのです。
しかし今、サラリーマン時代と大差ないような悶々とした日々が続いています。望んだ状況に至っていないのと、至るための手段(鍛錬など)がよくわからないからです。なんなら、目標まであやふやになってきました。

なんやねん。「時間」や「場所」って。
具体性全くないやんけ!!
(#ノ゚Д゚)ノ ・゚・┻┻゚・

やはり、目標に具体性を持たせるためにも、「憧れ」の人を具体的に見つけ出さなければならないようです。
私はどんな人を「憧れ」るのでしょうか。
(北大路欣也さんとか香川照之さんとか佐藤浩市さんとか好きですし、安田顕さんに憧れたのもあります。あ、憧れてたのか!?)

<了>