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敦賀だより15 龍が住む洞窟の話

敦賀半島の先端にほど近い水島から敦賀湾をはさんだちょうど真東に杉津(すいず)はある。
敦賀の市街地から越前海岸に沿って北上する8号線沿いに、ぽつぽつと点在する集落の一つだ。

急峻な山々が海にむかって急角度で落ちていくような北陸の海岸地帯では、川沿いのわずかばかりの平地に畑を作り、半農半漁で暮らす人たちが多かったのだろう。
今も上手に船を操る海の男が多く住んでいる。

今回はそんな海のおじさんたちに訊いた、龍が棲むと言い伝えらえている洞窟の話。

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昨年の秋に越してきて、初めて北陸の夏を体験した私は、あまりの美しさ、生物の多様さに海のとりこになった。
コロナ禍でほとんどの海水浴場は閉鎖していたが、地元の人たちが自己責任でひっそりと、釣りやシュノーケリングを楽しむスポットはいくつかあったのだ。

晴れてさえいれば、私はそれらのスポットのどれかに出向き、泳いだり海の生き物の写真を撮ったりして過ごしていた。

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バイクに乗った女が一人でやってきてシュノーケリングしていると、最初は警戒される。密漁に来たと思われるのだ。だが、海のおじさんたちは、私が潜っている間にこっそりとナンバープレートを確認しにいき「敦賀」の文字を見つけると、途端に友好的になった。

「なんや、ねーちゃん、敦賀のもんかい?」
「はい。昨年越してきました」
「どっからや?」
「神奈川からです」
「よう一人で来とるなあ。一人もんか?」
「いえ、連れ合いはいるんですけど、そこまで海が好きじゃないみたいで」
「ねーちゃんは、海が好きか?」
「はい、大好きです!」

どこでもこんな会話から始まる。そして、海が好きだと伝えると途端にどのおじさんも嬉しそうで得意げな表情になり、そうだろう、そうだろうというようにうなづくのだ。

杉津で仲良くなったおじさんもそうだった。釣り船のレンタルをなりわいにしていて、一日中海岸でボートを管理しているその人は、海のことなら何でも嬉しそうに教えてくれた。撮った生き物の写真を見せると、これはあれだと、すべて名前を教えてくれたし、例えばウミウシならいつ頃の季節が一番たくさん見られるのかも教えてくれた。

「俺はもう70年もここで暮らしとる。この辺の海は、ガキの頃から遊んどるから、庭みたいなもんだで何でも聞いてくれ」
おかげで私は魚の名前をずいぶん覚えた。

何度目かに杉津に行った時、いつもの貸しボート屋のおじさんが、一つ先輩だというアロハにサングラスのちょい悪な見た目のおじさんと二人で、何かの地図のようなものを書いていた。

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「なんですか、これ? どこかの洞窟?」
私がのぞき込むと
「こりゃあな、蛇(じゃ)の穴だ」
と言う。
「蛇の穴?」
「ほうよ。昔から龍が棲んどるといわれてる穴でな。先月テレビが取材に来とったのよ。先々週、福井テレビの「なんだーワンダー」で放送しとったんだが、見たか?」

「見てないです! そんな秘密の穴があったなら見たかった」
私が勢い込んで言うと、
「だいたい分かったから、見れんことはないで」
だいたいわかった? え?

おじさんたちは、私の見ている前で、蛇の穴の内部を描いた地図を記憶を突き合わせるようにして、完成させていった。

横で話を聞いていて、いくつかのことが分かった。
蛇の穴は船でしか行けない場所にあること。おじさんたちも若いころには入ったことがあるけれど、「玉石」がある蛇の穴の最深部には入ったことが無いこと。テレビクルーの取材のおかげで、言い伝えでしか様子がわからなかった蛇の穴の内部が正確に分かったこと。人間が玉石のある最深部に入ったのは、実に70年ぶりであったこと、などだ。

「70年ぶりって、なんでそんなに誰も入ってなかったんですか? この『船が回れるくらい』って書いてある広いところには、おじさんたちも入ったことがあるんでしょう?」
ふたりのおじさんは顔を見合わせ、ちょい悪おじさんの方が話し出した。
「何べんもあるで。船をうまく操らんと行けんところやから、腕試しによう行ったわ。だけどよ、この玉石のあるところは、そこから人間一人がやっと通れるくらいの狭い水路を、真っ暗な中、泳いでもっと奥にいかなあかんねん。中がどうなっとるのか、なんもわからんのやで? 変なガスが出とったらおしまいや。そんなとこ、一人で入れるか?」
「無理です。こわい」
「そやろ? それをな、あのテレビ局の若いにーちゃんはやりよったねん。初めて入った洞窟で、まあ大した度胸や」

「でも、70年前にはライトもないのに、奥まで入った人がいたんでしょう?」
「おう。俺の親父や。浮かべた板の上にロウソク立てて、その灯りで入ったて言うとったわ」
今度は貸しボート屋のおじさんがよく通る早口で言う。
「親父は今年で99なんやけどな、70年前に雨が降らん夏があってな、『玉石とってきてくれ。おまえ海軍帰りやから怖くないやろ』って村のもんに言われて、行ったんやて」

ちょい悪おじさんが、口をはさむ。
「その時、洞窟に入ったのが二人おってな、一人はもう亡くなったんやけど、俺らその時の話を聞いて知っとったから、たぶんこんな感じやろって、洞窟の中の地図を書いとったわけや。今回はあれや、バージョンアップっちゅうやつやな。テレビのおかげや。そやけど、お前の親父さんが玉石を取ってきたってところは、ここやと思っとったんやけど、違ったな、横穴がようけあったんやな」
地図の一点をさして、おじさんが言う。

「その玉石ってなんなんですか? 宝物?」
「洞窟の奥にな、波に削られてまあるくなった石があってやな。それをとってきて神社に奉納すると雨が降るって言われよったんよ」
「へえ!!雨乞いですね?」
「おうよ」
「いわゆる神事ってことですよね? あれ? じゃあ、なんでその後、70年も誰も行かなかったんですか?」
おじさんたちは笑いながら口々に言った。
「科学の発展、てやつやな」
「石とってきても雨は降らんって、わかってしもたんや」

なるほど。古来から伝わる神事が形だけ残ることはよくあるけれど、ここでは、人はもっと実際的なのだった。役に立たないとわかったら、誰もやらない。合理的。

「いいなあ。蛇の穴、行ってみたいなあ」
ぼそっとつぶやくと、
「穴の前までならいけるで。入れるかどうかは、その時次第やな」
とちょい悪おじさんが顎をさすりながら言う。
「今からですか? いいんですか?」
「おう」
「やった!!ありがとうございます」

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もやいを解くのを待って、後部に小さなスクリューを付けただけの簡易モーターボートに乗せてもらう。ちょい悪おじさんは器用に船体を操って向きを変え、テトラポッドに囲まれた小さな湾から船を出した。風はなく波は穏やかだ。エメラルドグリーンの海は澄み、岩場を通り過ぎるときには船の下にサザエが見える。

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杉津花崗閃緑岩からなる岡崎山の断崖絶壁を見ながら、確かにここは船じゃないと来られないところだなと思っていると、最近は、ジェットスキーで来る人が多いのだとおじさんが教えてくれた。YouTubeにジェットスキーで蛇の穴に入る動画を載せた人がいて、それを見てやってくる人が増えたらしい。たしかに海上観光スポットになりそうだ。

「東尋坊や蘇洞門で遊覧船に乗った時も、こんなふうにそそり立つ岩と洞窟を見て回ったんですよ。ここも船で回る観光地にしようと思ったらできちゃいそうですよね」

私が言うと、おじさんは首を振った。

さすがに「龍がいる」とか「雨を降らせてくれる」とは誰も信じてないが、それでも蛇の穴は地元の人たちにとっては大事な場所であり、あまり観光地化してほしくないという。ご先祖様が大切に思ってきた場所を汚されたり荒らされたりするのはたまらない。ひっそりとそこにあればいいのだという。

話しているうちに船が蛇の穴に着いた。

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入り口がとても狭く感じる。実際、幅は2メートルくらいしかないらしい。小さなボートは波で岩にぶつけられたらひとたまりもないので、長い竿を持った人と二人で入り、洞窟の壁をうまく押しながら岩に激突しないように操船しなくてはいけないのだそうだ。

「ベタ凪の時なら、俺一人でも入れるんやけどもな。今日はちょっとうねっとるから無理やな」

私にはとても穏やかに見えたのだが、海面に白い泡が立っているときはダメなのだという。うまく入れたとしても今度は出られなくなるのだそうだ。

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後日、蛇の穴にカメラが入った場面を録画した番組で見ることができた。確かにこの時の海面に泡はない。

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洞窟の中は、波一つなく幻想的である。青の洞窟みたいだ。入ってみたかったなぁ。

「今日はせっかく来たのに、すまんかったな。また今度乗せてやるから、その時は中まで入ろうな」
帰る途中でおじさんは言った。海が凪いでいないのはおじさんのせいではないのに。海の男は優しいのだ。

帰宅後、蛇の穴のことをいろいろ調べてみると、どうやら昔、杉津と阿曽で、大規模な土砂災害が発生し、そこから「龍が棲む」という伝説が生まれたらしい。当時の人たちは、「山に千年住んだ龍が、海に千年住むために鉢伏山を割って飛び出したから」災害が発生したと考え、その出来事と蛇の穴とがつながったのであろう。

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上の図は敦賀近辺の地質図だ。敦賀湾の西に位置する敦賀半島はほぼピンク一色で塗られている。これは、敦賀半島が地質的に均一であることを意味する。この半島は花崗岩質のマグマが盛り上がってできているのだ。

対して、敦賀湾の東側に位置する山々は、古生代から新生代までのあらゆる時代の岩石が、巨大な力で褶曲させられてできている。その曲げられた山と海の隙間にあるのが、杉津や阿曽なのだ。近隣に活断層も複数走っているし、地震も多かったのだろう。急峻な山で、かつ脆い堆積岩の地層が露出しているため、大雨の際には土石流が起きやすかったのかもしれない。いずれにしても、かつて起きた恐ろしい災害から龍の伝説が生まれたことは間違いないだろう。

こちらが阿曽の民話こちらが杉津の民話である。わずか数キロしか離れていない集落で、同じ龍と蛇の穴をモチーフにしながらこれだけ話が違うのもおもしろい。阿曽の人たちはまじめで、杉津の人たちは龍のデートを邪魔したり、龍の大事な玉を盗んだたり、かなりやんちゃである。かつては、海沿いの道路も整備されておらず、冬には海が荒れて行き来ができなくなってしまったため、お互い文化的な干渉がないまま独立した話になったのだろう。

民話や洞窟の中の様子を知る人間がいなくなろうとしていた今、代わりにテレビクルーがその秘密に切り込み、新たな情報をもたらしてくれた。龍はいなかったし、竜宮城もなかった。伝承は伝承でしかなく、民話もやがて雨乞いの神事同様「非科学的」とレッテルを貼られ忘れ去られていくのだろう。

私たちは、小さな集落が大切に守ってきたものを、大切なまま見せてもらえる最後の世代なのかもしれない。




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