地図を作りやすい時期
引っ越し早々、大変ありがたいことにお仕事ラッシュに見舞われ、松山を把握するのに時間がかかってしまった。
しかし、ようやくどこにいても家に帰って来られる程度に土地勘がついてきた。
慣れてみると、こんなにわかりやすい街はない。
瀬戸内海は北(場所によっては西)、四国山地は南にしかないので、現在地の把握が容易だ。
敦賀では、街中のどこにいても360度山に囲まれていたのでさっぱり方向が分からず、最初はナビのお世話にならずに家に帰れなかった。
山は決まった方向にだけあってほしい。
目印なんだから。
もう一つ、松山には方向音痴の私にとって、とても助かっていることがある。
それは「県庁」への案内標識だ。
松山市内を走る幹線道路には必ずこの標識が出ているので、どこにいようとも県庁にさえ辿り着ければ家に帰れる。
これが、半端ない安心感がある。
いよいよ、迷子遊びができようというものだ。
海を中心に松山の地理の把握に努めてきたが、これからは山の方も攻めていこうと思う。
ところで、地図が読めない方向音痴の人が、頭の中に知らない土地の地図を作っていく時、まずは目的地までの「線」を覚えるのが初手だと思うのだが、どうだろう?
みんなそうだろうということで、私を例に話を進めるが。
わが家の近所には、5軒のスーパーがあり、いずれも川沿いに建っている。
この場合、買い物に行こうと思ったら最寄りのスーパーまでの道を覚えるのが初手である。
①家から川までの道
②川沿いの道
③川から最寄りのスーパーまでの道
この3本の線を頭に叩き込むのが、まずすることだ。
ここに何度か通ううちに、3本の線が太くなる。
脳内のニューロンもがっちり繋がって、ルートの記憶は定着した。
そうなると、飽きて新たな線を加えたくなる。
「今日は上流のスーパーに行ってみよう」
「最下流のスーパーに裏道から辿り着くにはどうすればいいんだろ?」
最寄りの目的地までの最短ルートしか知らなかったのが、遠回りや、寄り道や、裏道開拓をする事で複数の線が引かれ、面が形成されていく。
これが「頭の中に地図を作る」という行為のあらましだろう。
で、今回、私が何が言いたいかというと。
人生には、この「地図を作りやすい時期」があるのではないか、と思うのだ。
人によってその時期は違うのかもしれないけれど、私にとっては小学校高学年がその時期だった。
なぜか?
学区内を自転車で走り回れるようになり、遠くの友達の家まで遊びに行けるようになったのが、その時期だったからだ。
面の元になる線をたくさん引くには、目的地が複数あることが必要だ。
私の育ったど田舎では学区が4km四方あり、クラスメイトには片道1時間かけて学校までくる子がざらにいた。
そういう子達と仲良くなって放課後遊びたくても、学区の中程から端まで片道4〜5kmを徒歩で移動するのは、さすがに田舎の子でもしんどい。
それが4年生から自転車解禁となれば、楽々移動できる。
私は、毎日のように自転車で学区内の友達の家を遊び歩き、広大な田園地帯の中に散らばる集落の位置関係と名前を覚えていった。
小学校の3年間、友達の家への線を引きまくったおかげで、今でも小学校の学区内の地図はわりと正確に描けると思う。
たくさんの目的地と暇な時間が、その地図を作ってくれた。
試行錯誤の賜物だ。
今は、暇はあっても目的地が自動で生まれない。
自分で「行きたいところ」を作らなければ、頭の中に地図ができないのが「高齢移住」ってことなんだろうと思う。
**連続投稿757日目**