「セカンド7番」の痛みと心意気を見た日
オードリーの若林は、カメラの前でも、ちゃんと弱いところを見せられる人だ。
「取り繕っても全部見えてしまうのがテレビだから」
などど言われる世界だが、それでも取り繕おうとするのが、人の性(さが)。
しかも、一旦炎上すれば、いつ誰に攻撃されるかわからない「カメラ前」で、弱点を堂々と曝け出せる。
すごい事だと思う。
先日、その若林のかっこよさを「あちこちオードリー」の中で改めて見せつけられた。
「あちこちオードリー」という番組は、若林がMCとしての「役割」をこなしている時の顔と「本音」を言っている時の顔が、瞬時に入れ替わり、それがリアル感を生んでいる稀有な番組だ。
そしてそのリアルな場で生まれた「本音」が時に、視聴者のとんでもない共感を生み、名言として残っていく。
例えば、「セカンドの7番として死んでいく」という言葉。
「分相応」と要約すれば、ネガティヴに聞こえるし腹立たしく思う人もいるかもしれないが、「適材適所」と要約すれば、なるほどと腑に落ちる。
先日放送された、マシンガンズ、ラバーガール、とにかく明るい安村がゲストで登場した「あちこちオードリー」(2023.6.7放送)では、この若林の名言が痛みから生まれた本音であることが、よくわかる回だった。
和気藹々と和やかに進んだ番組に、不穏な空気が生まれたのは、終わり間近のことだった。
とにかく明るい安村(以下、安村)が、若林にずっと言いたかったことがある、と訴えたのだ。
オードリーのブレイク直後、番組に呼ばれて「普段やらないネタを見せる」という課題を与えられた安村は、体操のお兄さんのような格好で「油揚げの歌」を歌い踊ったのだという。
結果は当然のことながら、現場をシーンとさせた。
安村はその時、若林にこう聞かれたのだと記憶していた。
「今のネタやってる時は、どういう気持ちだったの?」
すべった芸人をフォローするでもなく、突き放し、俎上に載せて、さらに傷口を抉ろうとする言葉だ、と安村は感じた。
若林の「悪意と攻撃」だと捉え、その後何年も「嫌なことを言われた」とずっと、しこりとして残っていたのだそうだ。
あちこちオードリーは、打ち合わせなしで、いきなり本番が始まるトーク番組だ。
だから、若林は、安村がこの話をここで出してくることを知らない。
若林は、その時のことを何年も覚えていたため、安村が話し出した瞬間に、「あの話だ」とわかったのだろう。
上の写真2枚は、若林がカメラの前で滅多に見せない、心からの苦悶の表情を浮かべているところに、注目してほしい。
下積み時代、さんざん馬鹿にされ悔しい思いをしてきた若林だ。
安村を傷つけたことは、瞬時に理解できたし、しまった!とも思った。
だが、口から出てしまった言葉は、もう元には戻せない。
安村のターンは続き、嫌だった気持ちを若林に向かって吐き出した。
若林は、それを黙って最後まで聞くと、その時の自分の気持ちを話し出した。
以下要約と、私なりの補足を含む。
自分はMCの役割を背負っているので、番組を盛り上げるために、ほかでは見たことのない展開を造らなければならないと思っている。
あの時の安村への質問は、「あのネタをやっているとき、何を考えていたのか」という純粋な好奇心から出た言葉で、そこからもうひと展開生まれるかな、と放った一言だった。
この仕事をしていると、傷つけようという意図はなくても、自分の芸が足りないばかりに、結果として誰かを傷つけてしまうことは多い。
それで、アイドルの子達を泣かしてしまったこともあった。
安村さんへのひとことは、ずっと覚えていたし、あれは自分の未熟さが招いた大失敗だった。
でも、やってしまったことについて、言い訳したり謝罪するのは、卑怯だと思うから、黙って嫌われ役をやらなくてはいけないと思ってる。
エラーをしたセカンド7番の言葉だった。
それでも、セカンド7番を全うしようという決意が滲んでいた。
若林正恭は、考え続け、深化し続ける生き様芸人である。
そんな彼が目下、心血を注いでいる大きな仕事がこちら。
ランジャタイの伊藤は、立川談志が亡くなってから談志の「芝浜」を観て、「同時代に生きていたのに、どうして観に行かなかったのかと後悔した」と語っている。
オードリーは、まだまだ生きるし、この先も観るチャンスはあるだろう。
でも、セカンド7番を追求している途中の若林を見られるのは今しかない。
「同時代に生まれていたのに」と後悔したくなければ、ドームへ行こう!
**連続投稿502日目**
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